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子兎とシープドッグ  作者: 篠原 皐月
【本編】
11/26

(11)翻弄される男

 一人で思い悩んだ挙げ句、祐司はまだアドレス帳に残しておいた番号に電話をかけてみる事にした。着信拒否されていたり、番号を変えていたら打つ手無しだなと覚悟していたが、その懸念に反してすんなり通じた事に拍子抜けする。

 しかし次に冷え切った声が耳に届き、祐司は瞬時に顔を引き締めた。


「それで? 久し振りに不愉快な声を聞いて、せっかく気分良く寝ようと思っていた所を台無しにしてくれたんですから、さっさと用件を伝える位の心配りはして頂きたいんですけど?」

「悪い。その、ちょっと聞きたい事があってだな……」

 皮肉混じりの声を聞いて、たじろぎながらも何とか祐司が口を開いたが、幸恵が冷たく切り捨てる。

「だから何だと言ってんのよ。同じ事二回も言わせないでくれる?」

 イライラとした口調で促され、祐司はこれ以上機嫌を悪くしない様にと、覚悟を決めて本題に入った。


「最近、社内で変な噂が流れてるだろ? それが気になって」

「変な噂?」

「その……、君島って子の事なんだが。お前が周りに、何か余計な事を言ったんじゃないのか?」

 怪訝な声で応じた幸恵だったが、祐司が控え目にそう口にした途端、苛立たしげな声で返してきた。


「はぁ? 余計な事って何よ。私は少なくとも嘘をついたりしてないわ」

「確かにそうかもしれないが、何か憶測で物を言ったりとか、周囲に誤解される様な言い方をしていないかと。そういうのはお前の為にもならないと思うし、もう少し言動に気を付けた方が良いと思って」

「へぇ? それはそれは。わざわざ私の事を心配して、電話をかけてくれたわけですか。どうもありがとうございます」

「いや、大した事じゃ無いし、人として当然の」

「ところで、どうして高木さんが彼女の事に言及しているのか、その理由を聞かせて頂きたいわ」

 一瞬口調を和らげて礼を述べた幸恵に、祐司も少し安堵したのも束の間、鋭く突っ込まれて口ごもる。


「別に大した理由は……。ただ騒ぎが大きくなっているみたいだし、気になったから」

「ふぅん? 部署も違うし同期でも無い新人なのに、高木さんに気を配って貰ってる彼女は、周りの女性達からやっかまれそうよねぇ~。高木さん狙いの人って結構多いし。高木さんと付き合ってる当時、あんな事とかこんな事とかあったっけ。今となっては懐かしいですね~」

「…………」

 完全な当てこすりの台詞に祐司が思わず押し黙ると、幸恵が皮肉っぽく話を続けた。


「随分彼女の事を気にしてるみたいですね? 彼女の身元を噂が出る以前から知ってた様な雰囲気ですし?」

「いや、俺だけじゃなくて、弘樹の奴も知ってて」

「それはそうでしょうねぇ、ねじ込まれた当の本人の社長の息子なら、当然ご存知でしょうねぇ」

 半ば馬鹿にした様な物言いをする幸恵に、早くも祐司の堪忍袋の緒が切れそうになった。

「おい、ちょっと待て。だからそのねじ込んだって言うのは何なんだ? 憶測で物を言うのも、いい加減にしておけよ?」

 しかしそんな忠告めいた祐司の台詞を、幸恵は鼻で笑い飛ばした。


「はっ! 随分笑わせてくれるわね」

「何だと?」

「小娘にあっさり誑し込まれてるんじゃ無いわよ! それとも親の権力目当てに、自分から尻尾振ってすり寄ったわけ? 知らないうちに、随分情けない男に成り下がったわね、祐司?」

 そこまで貶されて、祐司はとうとう頭に血を上らせて相手を怒鳴りつけた。


「ふざけんな! 誰が尻尾振ったってんだ! お前こそそんな偏見まみれの女じゃ無かった筈だが、別れてから一気に性格が悪くなったらしいな!?」

「付き合ってる間、私がどんな女だったって言うのよ! ええ、そうよ、気が合わなくて別れたんだから、あんたの好みの女じゃ無い事だけは確実でしょ? あんた好みの綾乃ちゃんに宜しくねっ!!」

「あ、おい、ちょっと待て!」

 幸恵の捨て台詞と共に、唐突に通話が途切れ、慌ててかけ直してみたものの、既に着信拒否された状態であり、祐司は携帯を握り締めたままうなだれた。


「しくじったな……。『あれほど首を突っ込むなと言っただろう!』と、弘樹に嫌味を言われる……」

 重苦しい声で呟いてから少しの間黙り込んでいた祐司だったが、このまま落ち込んでいても仕方がないと意識を切り替え、頭を上げた。

「一応、向こうにも電話をしておくか」

 そんな事を口にした祐司は、最近教えて貰ったばかりの番号を選択して電話をかけ始めた。そしてそれほど待たされないで応答がある。

「……はい、君島です。高木さん、こんばんは。どうかしましたか?」

 耳に届いた穏やかな声に救われた様な思いをしながら、祐司は話し出した。


「ああ、ちょっと気になる事があって……」

「何でしょうか?」

「その、最近職場で根も葉もない噂が広がっているし、他にも嫌がらせめいた事をされてるって小耳に挟んだから、心配になって電話してみたんだ」

 真顔で問い質した祐司だったが、綾乃は微塵も動揺せず、笑いすら含んだ声で返してきた。


「ああ、その事ですか。確かに書類の順番をバラバラにされたり、回覧物が回ってこなかったり、私物がゴミ箱の中から見つかったり、備品がいつの間にか切れてたりしてますが、別に支障はありませんよ?」

「……俺には支障が有り過ぎる様に聞こえるんだが」

 低い声で応じた祐司だが、相変わらず綾乃は何でもない事の様に告げてくる。

「小・中の頃の嫌がらせと比べたら、本当に可愛いですよ? あの頃は学校に行くのがもの凄く嫌でしたが、こんなに動じない性格になれたと思えば、無駄じゃなかったなぁって思います」

 それを聞いた祐司は(泣かされたりしてはいない様だが、それってどうなんだ?)と、正直頭を抱えたくなった。


「それは……、一応良かったのか?」

「仕事に実害は無いですし、笹木さんも色々フォローしてくれてますから大丈夫です。あ、それから、三部合同の懇親会も、笹木さんのおかげで参加できる事になりましたし」

「参加できる様になったって……、どういう事だ?」

 意味が分からなかった祐司が尋ねると、綾乃が簡潔に答える。

「総務部の取り纏め役の先輩に、受付拒否されてました」

「……そうか。色々すまない」

 電話の向こうには見えないながらも、祐司は思わず本気で頭を下げてしまったが、その気配を察した様に綾乃が宥めてきた。


「別に高木さんが謝る事じゃありませんよ? 幸恵さんが私の事を気に入らないのは、以前からの事ですから」

「それはそうだが。実は俺はその他にも、あいつを余計に怒らせる事をしてしまって……」

「高木さんがですか?」

「ああ」

 神妙に自分の不手際を打ち明けた祐司だったが、綾乃はちょっと考えてからあっさり断じた。


「でも……、それって要するに《嫌い》が《大嫌い》になる位ですよね? 《好き》が《嫌い》に変わるのと比べたら、大した事ありませんから大丈夫ですよ。そんなに気にしないで下さい」

 明るくそう言われて、祐司は小さな溜め息を吐いた。

「……分かった。懇親会は、予定を空けて俺も参加するから。何かあったらフォローする」

「本当ですか? ありがとうございます」

「じゃあ失礼するから」

「はい、おやすみなさい」

 そして最後は平穏に通話を終わらせた祐司だったが、先程以上にうなだれる事になった。

(馬鹿か、俺はっ……。反対に慰められてどうする。予想外に、こたえていなかったのは良かったが……)

 そんな事を考えて暫く自己嫌悪に浸ってから、祐司は再度違う番号に電話をかけ始めた。


「もしもし?」

「どうした、祐司」

 怪訝な声で問いかけてきた弘樹に、祐司が言い難そうに口を開く。

「その……、お前が企画した懇親会、ちょっと荒れるかもしれん」

 その一言で、弘樹はおおよその事情を察してしまったらしく、声のトーンを若干下げて凄んできた。

「祐司……、お前、俺があれほど釘を刺しておいたのに、何か余計な事をしやがったな?」

 殆ど確信に近い問い掛けに、祐司は余計ないいわけはせず、端的に事実を述べた。

「宥めようとして、却って幸恵を怒らせた」

 それを聞いた弘樹からは、溜め息を吐いた様な気配が伝わる。


「まあ、そんな所だろうなぁ。どだい無理な話だろ。お前達喧嘩別れしてるんだし。お前が仲裁なんて、やるだけ無駄無駄」

「そうは言ってもだな!」

「確かに勤務先が同じだと、必要以上に気を遣うだろうがな。腹を括るしかないだろ」

「それは分かっているが……」

 そんなやり取りをしてから、弘樹がふと気になった様に言い出した。


「そう言えば、お前達はどうして喧嘩別れなんて事になったんだ? 別れた直後は不機嫌極まりない状態で、とうとう聞けずじまいだったんだが」

「どうして今、そんな事を聞くんだ?」

 憮然としながら問い掛けた祐司を宥める様に、弘樹が冷静に指摘してきた。


「第三者の視点で、冷静な判断をした上で、適切なアドバイスができるかもしれないだろ? よりを戻すってのは論外にしても、今回の綾乃ちゃん絡みのこれを、気まずい関係を払拭する機会にすれば良いんじゃないか?」

「それは、確かに彼女は幸恵と仲良くしたがってるし、そうなると俺が険悪な仲って言うのは問題だろうが、それとこれとは……」

 弘樹の主張に正当性を認めた祐司だが、流石に躊躇っていると、弘樹が更に軽く一押しした。

「この際だ。そう嫌がらずに言ってみろよ」

 そう言われた祐司は、渋々思い口を開いた。


「……付き合ってる最中から、色々違うと感じる事はあったんだ。幸恵は自己主張と自己顕示欲が強いタイプだし」

「付き合う前からそんな事は分かりそうなものだけどな。俺は嫌って程知ってるし。それで?」

 話の先を促した弘樹に、祐司は重い口調で告げた。


「長期出張から戻った翌日、幸恵が東京ドームで開催のゲームチケットを取ってくれてたんだ。内野指定席最前列の」

「野球か? でもお前の一押し球団って……」

 戸惑った声で話を途切れさせた弘樹に、祐司が補足説明をする。

「セ・パ交流戦の、巨人・ロッテ戦の奴だ」

「ああ、なるほどな。それで? 長期出張お疲れ様って事で、慰労してくれたんだよな?」

「幸恵の奴、こともあろうに一塁側の席を取ってやがったんだ」

 急に苦々しげな口調で告げられた弘樹は黙り込み、次に幾分腹を立てた様に確認を入れてきた。


「…………おい、祐司」

「何だ?」

「まさか、それが別れた理由とか、ふざけた事を言わないよな?」

「勿論それだけでは無いが、決定打はそれだった。あいつは熱烈な巨人ファンなんだ。あの時俺に、一緒に一塁側に座れと言いやがったんだぞ!?」

 そこで思わず声を荒げた祐司に、弘樹が負けじと怒鳴り返してきた。

「座ってやれよ! それ位構わないだろうが!」

「俺はその時二ヶ月に渡るニューデリー出張で、色々神経が擦り切れてたんだ! せっかく直に見に来たってのに、何で相手チームを応援しなくちゃならないんだ!」

 そんな祐司の心からの叫びに、弘樹が呆れた口調で返してくる。


「いや、しかしだな、お前大人げなさ過ぎるぞ? そういうキャラじゃないだろ」

「その事が引き金になって、それまでにお互いに積もり積もっていた鬱憤が一気に噴出したんだ。球場の前で売り言葉に買い言葉になった挙げ句、喧嘩別れしたってわけだ」

「お前、思ったより馬鹿だったんだな……」

「好きに言ってろ」

 うんざりした様に感想を漏らした弘樹に、祐司が拗ねた様に応じた。すると弘樹が宥める様に言い出す。


「良く分かった。お前達の関係修復はひとまず横に置いておいて、取り敢えず綾乃ちゃんの方を何とかしないとな」

「何とかって、どうする気だ?」

「まだ確定してないからはっきりした事は言えないんだが、ちょっと手配してる事があるんだ。懇親会を楽しみにしててくれ」

 明るくそんな事を言われた祐司は、却って不安を覚えてしまった。


「何やら余計に心配になって来たんだが……」

「落ち着いてどっしりと構えてろよ。そんな事じゃ社内で女を乗り換える様な真似はできないぞ? それじゃあな!」

「乗り換えるって、あのな!」

 抗議しようと思った祐司だったが、その時既に電話は切られており、祐司は一人で歯噛みする事になったのだった。


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