第1話 新しいこと
オレは眩しさを感じて目を覚ました。
まず目に入ってきたのは白い天井。次に目に入ったのがベランダへと続くガラス扉だ。眩しさを感じたのはそこから太陽が差し込んでいたからのようだ。少し首を動かすと机や本棚が目に入る。
「また、あの夢か」
ここは見慣れたオレの部屋。決して魔王の城などではない。
けれど、オレが先ほどまで見ていたあの夢は単なる夢ではない。本当にオレが経験した出来事なのだ。
いや、この表現は正しくないな。正確には単なる記憶でしかない。どうやらオレは、前世の記憶を引き継いでしまっているみたいだ。
それを自覚したのは三歳のころ。たぶんその頃から徐々に記憶が引き出されていったみたいだ。現にその頃から子どもらしからぬ考え方を持っていて中々周りに馴染むことができなかった。
まあ、でも、十五歳となり今日高校で入学式がある今ではそういうこともない。人と関わるのにも慣れてきた。
それに、オレの前世の記憶は十六歳あたりで途切れてしまっている。だからか、今の年齢がオレにとって一番、素を出しやすい年齢だ。
オレの前世の記憶は先ほどいったように十六歳のあたりまでしかない。正確にいえば、今日、夢で見たところまでの記憶があるのだ。あの白い光に包まれた直後に何があったのか覚えていない。
もしかしたら、あの直後に死んでしまったのかもしれない、とオレは密かに思っている。でも今更オレ個人の過去の調べることなんか出来ないので否定も肯定もできない。それに、今ではそんなことどうでもいい、と思ってる。
何故なら二度目のこの人生、勇者だった頃と違い楽しいことがあるからだ。あのときはとにかく苦しみしかなかったような気がする。
それに対して、今はとても平和だ。魔物はいないし、物はたくさんある。
けど、争いはある。オレの暮らしている国は戦争に参加しないようにしている国らしいが他国では戦争をしているところがある。
魔物がいたころは国同士での戦争なんてなかった。もしかしたら、魔物、と言う存在が国家という概念を消し去っていたから戦争がなかったのかもしれない。
けど、今のオレには直接的に関係のあることではない。今のオレは日本に住む普通の少年で特別な力なんて持っていない。でも、一応剣道や合気道などの武術は習っている。前世の記憶のおかげかオレはそれらの武術をすぐにマスターすることができた。
これは、ある意味特別な力なのかもしれない。けど、前世のオレが持っていたような突出したようなものでもない。
よって、オレには世界を救う力なんてこれっぽっちもない。
と、そんなことよりも早く朝食を食べに行かないといけないな。入学式初日から遅れるわけにはいかない。
そう思い俺はすぐに着替えをすませ今はまだほとんど何も入ってない通学用鞄を掴んでリビングへと急いだ。
「あらー、おはよう、涼樹」
リビングに入ったとたんに母さんが声をかけてきた。
「うん、おはよう、母さん」
オレは母さんに返事を返す。
涼樹、というのはオレの名前だ。ちなみにオレのフルネームは北沼涼樹だ。
「今日でついに涼樹も高校生なのねー」
母さんは少し間延びした声でそんなことを言う。オレの母さんはだいぶおっとりした性格の持ち主でマイペースを貫こうとすることが多い。いや、貫こうとする、というよりは周りの速度に合わせることができないようだ。だからこそのマイペースなんだろうけど。
「今日は張り切って朝食を作ったのよー」
オレはその声に反応して机を見てみる。
そこにあったのはトースト、目玉焼き、そしておそらくインスタントのものであろうコーンスープ。どう見たって普通の朝食だった。
「これのどこか張り切って作った朝食だよ」
思わずそんな突っ込みを入れてしまっていた。
「えーとねー。トーストと目玉焼きをちゃんとタイマーで時間を計って焼いたのよー」
オレは母さんのその返答にがくっ、と肩を落とした。
「別のところで張り切ってくれよ」
「文句ばっかりいうんだったら食べさせないわよー」
オレが文句ばっかり言うからムッとしたらしく母さんは眉を微かに吊り上げながらそんなことを言った。
まあ、まともなものが出てきただけましだ。そう思ってオレは鞄を椅子の足元に置き自分の席に座る。母さんはそのマイペースさゆえに失敗が多い。特に焼いたりする場合はほとんど失敗すると言っても過言ではない。
その主な失敗は調理しているものを焦がすことだ。黒く変色したものが机の上に並んだことなど一回や二回程度ではない。
母さん、味付けはうまいんだから失敗しないようにしてくれよ、と思う。実際に母さんにそう言ったのだが次の日に早速失敗してしまった。
母さんに失敗をさせないようにするにはまずそのマイペースさを直す必要があるようだ。でも、シチューとかカレーとか長時間煮ても大丈夫なものは最高に美味しい。
そんなことを思いながらオレは「いただきます」と、言い朝食を口に運んでいく。うん、焼き時間をしっかりと注意しただけあってすごく美味しい。毎回、この感じでやってくれればいいのに。
「どうー?おいしいー?」
オレの向かい側の席に座っている母さんがそう聞いてきた。
「問題なく美味しい。できればこれからも今日みたいにちゃんと焼く時間に気をつけて作ってほしいんだけど」
「いやよー。そんな面倒くさいことしたくないわよー」
面倒くさいの一言でオレの提案は拒否されてしまった。前に言ったときは、覚えてたら頑張ってみるわー、だったのに。
「それにしてもなんだか新鮮な気分ねー」
「えっと、なにが?」
いきなり今までと関係のないことを言ってきて何を言っているのかさっぱりわからない。
「涼樹が高校の制服を着てることよー。中学校のとは全然違うのよねー」
母さんに言われてオレは今日、初めて着る高校の制服を見下ろしてみる。
中学校のときは学ランだったが今着ているのは深い緑色のブレザーだ。その下にはYシャツを着込み、首には赤と黒のストライプチェックのネクタイをしている。
と、そこでオレはネクタイがまがっているのに気がついた。
「あらー?ネクタイまがってるわよー」
母さんも気がついたようだった。オレは自分で直そうとしたんだけどなかなか真っ直ぐにならない。そんなオレを見た母さんは立ち上がってオレの隣に来た。そして、ネクタイを直し始めた。
「なんだかこうしてると懐かしいわー。私も高校生のころはよくあの人のネクタイをこうやって直してたのよー」
「あの人、って父さんのことか?」
「ええー」
母さんは昔のことを思い出しているのか少し楽しそうな微笑みを浮かべていた。オレは母さんの顔を見ながら、昔の母さんってどんな人だったんだろうな、と考える。
「さあー、できたわー」
そう言って母さんはオレから少し離れる。オレは直されたネクタイを見てみた。
「……なんで蝶結びしてあるんだよ!これは蝶ネクタイじゃねえよ!」
首もとの蝶ネクタイ……ではなく蝶結びをされたネクタイを見て俺はそう叫んでた。
「あらー、ごめんねー。つい、癖で間違えちゃったわー」
母さんは蝶結びをほどいてネクタイを真っ直ぐに直す。
「今度こそできたわー」
満足そうに頷く。
「なあ、母さん、もしかして、父さんのネクタイ直してるときって毎回蝶結びしてたのか?」
「んー……。そう言われればそうだったような気もするわー。あの人が蝶ネクタイをつけてると可愛いのよー」
父さんの蝶ネクタイをつけた姿を想像したのか母さんはふふ、と笑いらながら自分の席へと戻っていく。
「そういえば、聞いたことないけど母さんと父さんってどうやって知り合ったんだ?」
少し気になったのでそう聞いてみる。
「私が高校に入学したときに一目惚れして話しかけたのが最初よー」
それから、母さんの父さんに出会ってからの話が続いた。
話を聞いていてわかったんだが、母さんは昔からマイペースな人だったようだ。
例えば初めて父さんにお弁当を作ってあげたとき。作り終えたときにはとっくに授業の始まっている時間となっていたらしい。しかも、学校に行くときは全然急がなかったらしい。
まあ、この程度ならマイペースじゃない人もやりそうなことだ。だから、マイペースな母さんはもっとすごかった。弁当を自分で作るたびに学校に遅れていたらしい。
遅刻を十回超えたところでさすがに大変だと感じた母さんは料理を作るときだけはマイペースでいるのを止めたらしい。それなのに、毎回料理を焦がしている、というのはどういうことなのだろうか。
そんなこんなで、のろけ話、暴露話を聞きながらオレは朝食を食べていた。
「ごちそうさま」
オレは手を合わせてそう言う。結局、味わって食べたのは最初の数口だけだな。あとは母さんの話に集中してたからあまり味わってない。
少しもったいないことをしたような気がしたけど母さんと父さんのことについていろいろ知れたのでよしとする。
「もう、行くのかしらー?」
食器を片付けながら母さんが聞いてきた。
「ああ、そうだな。初日で遅れたくないしな」
そう言いながらオレは鞄を持って立ち上がる。
「ふふ、学校に行くの、すごい楽しみなのねー」
「ああ、そうかもな」
どんな人が一緒のクラスになるのか、高校ではどんなことをするのか、そういうことにオレは期待してるんだと思う。中学生の後半になった頃には忘れていた感覚だ。
前世ではこのようなことを感じるのは一度きりだった。
あの時は何日経とうと同じ毎日が繰り返されてた。毎日三食食べて、修行をして、眠る。それだけの毎日だった。
友達はいたにはいたが一歩距離の開いたような関係だった。だから、毎日がとてもつまらなかった。つまらないから、自分が何のために修行をしているのかわからなくなっていた。
だからか、旅立つときはひどくわくわくした。今の自分の世界が変わるんだって、思って。
その感覚と同じなんだ。中学から高校にあがる、ということと。今の時代はこのわくわくする感じを感じることができる頻度が高い。だから、オレは今、楽しいと思うことが出来るんだ。
そう思うと自分の顔が緩んでくるのを感じた。
「顔が緩んでるわよー」
オレは母さんにそう言われて慌てて顔を引き締める。しかも気がついたら玄関にまで来ていてた
「涼樹、早く行きたくてうずうずしてる感じねー」
母さんはオレがここまで無意識に来たということには気がついていないようだ。
オレは学校の指定の靴をはき、紐を結ぶ。こんなことをするだけで気持ちが高ぶるのを感じる。
「じゃあ、母さん、行ってきます」
「ええ、気をつけて行ってくるのよー」
間延びした母さんの声を後ろに聞きながらオレは扉を開け家を出た。これからの新しい生活を想像し胸を躍らせながら。