第8話:漂う腐臭
冒険者組合での「死亡偽装」から数日後。
俺とシルヴィアは、隣国との国境近くにある【商業都市ザラダス】に到着していた。
高い城壁を抜けた瞬間、熱気が頬を撫でた。
視界を埋め尽くすのは、所狭しと並ぶ露店、色とりどりの果実、そして行き交う人々の欲望だ。
「……随分と賑やかな場所だな」
「ええ。人間特有の、脂っこい欲望の臭いがしますわ」
隣を歩くシルヴィアが、フードの下で顔をしかめた。
今の彼女は目立たないよう、豪奢なドレスの上から地味なローブを羽織っている。それでも、隠しきれない気品とスタイルの良さに、すれ違う男たちがチラチラと視線を送ってきていた。
「まあ、隠れるには丁度いい。金と物が集まる場所には、必ず『裏』があるからな」
俺たちは人混みをかき分けて進む。 この街に来た目的は二つ。
一つ目の目的は、資金調達だ。
懐には、シルヴィアを封印していた紫水晶の破片がある。
これを普通の店に出せば、無一文のFランク冒険者がなぜ国宝級の宝石を持っているのかと怪しまれ、足元を見られるのがオチだ。最悪、盗人として断罪されるかもしれない。
だが、この街の巨大な闇市場なら話は別だ。
あそこなら、持ち込むのが素性の知れないFランクだろうと関係ない。現物さえ本物なら、余計な詮索抜きで、かつ適正価格で買い取ってくれるはずだ。
もう一つの目的は、戦力の強化。
闇市場には、表では扱えない「危険物」が流れてくる。特に狙い目は『呪われた装備品』だ。
シルヴィア曰く、強力な呪いとは、すなわち強力な怨念の塊らしい。加護が付与された聖剣ですら、彼女に言わせれば広義では「呪い」の一種だという。
呪われた武器を捕食うことで体に異常が出るリスクも考えたが、恐らく杞憂だろう。
そしてシルヴィアの言うとおり、呪いもスキルと見なされるのであれば、俺にとっては「加護も呪いもご馳走」だ。
俺は、神話級結界を問題なく完食し、身体の底から魔力が湧き上がるのを感じている。
あれも封印自体が呪いのようなものだから、あの神話級のものを捕食ってもピンピンしている俺は、加護も呪いも影響を受けずに食えるのだろう。
シルヴィアも、「【絶対封印】を食べようとしたが私には出来なかった(硬くて無理だった)」と言っていた。つまり、体に毒であれば彼女は食べようとすらしないはずだ。
聖なる力であろうが、呪いであろうが、暴食の眷属の前では等しく「栄養」でしかないようだ。
つまり、俺たち二人にとって呪いの武器は危険物じゃない。
中身がたっぷり詰まった、未開封の『缶詰』だ。
思考を張り巡らせていると、大通りの向こうから、割れんばかりの歓声が聞こえてきた。
「……なんだ、この騒ぎは?」
路地裏へ向かおうとした俺たちの足を止めたのは、大通りから響いてくる地鳴りのような歓声だった。
「おおぉぉぉぉぉッ!!!」
「イリアル様ぁぁぁッ!!」
「聖女様! どうか、どうか慈悲をぉぉッ!!」
人々が雪崩を打って駆け出していく。
商店の主人は店を放り出し、松葉杖をついた老人は転びながらも這い進み、母親は赤子を抱えて祈るように叫んでいる。
その光景は、祭りの賑わいというよりは――集団ヒステリーに近い、異様な熱気を帯びていた。
「すごい人の数ですわね。……どいつもこいつも、目が狂っていますわ」
シルヴィアが不気味そうに呟く。
彼女の言う通りだ。群衆の目は血走り、焦点が合っていない者も多い。まるで何かの薬物中毒者のように、一つの方向を凝視し、救いを求めて涎を垂らしている。
「少し様子を見るか」
俺たちは人混みの後ろ、建物の陰から通りを覗き込んだ。
白い花びらが舞う中、豪奢な無蓋馬車がゆっくりと進んでくる。
その中心に座っているのは、一人の少女だった。
太陽の光を浴びて輝く、美しい金髪。
陶器のように滑らかな白い肌と、宝石のような碧眼。
この距離からでも僅かに香るほどの甘ったるい香水の匂い。
純白の衣を纏い、沿道の人々に手を振るその姿は、この世の穢れなど知らぬ天使そのものだ。
「ああっ! 聖女イリアル様! お願いします、私の足を見てください!」
沿道から、一人の男が飛び出した。
衛兵が止めようとするが、聖女イリアルはそれを優しく手で制し、馬車を止めさせた。
男の足は膿み、ドス黒く変色している。壊死しかけた酷い怪我だ。
「……可哀想に。痛むのでしょう?」
イリアルは馬車から降り、躊躇いもなく汚れた男の前に跪いた。
その慈愛に満ちた行動に、群衆から感嘆のため息が漏れる。
「聖女様、汚いですよ! こんな薄汚い男に触れては……!」
「いいえ。神の御前では、全ての命は平等です」
イリアルは美しい微笑みを浮かべ、膿んだ足に白魚のような手をかざした。
「――癒えなさい。神の愛によって」
カッ、と彼女の手が光る。
すると、信じられないことが起きた。
男の足からドス黒い変色がスゥーッと引いていき、膿が消え、新しい皮膚が再生していったのだ。
数秒後には、そこには傷一つない健康な足があった。
「お、おお……! 治った……! 俺の足が、動くぞぉぉッ!!」
「奇跡だ! 神の奇跡だぁぁッ!!」
「聖女様万歳! イリアル様万歳!!」
爆発的な歓声。男は涙を流して地面に額を擦り付け、周囲の人々は拝むように手を合わせる。
完璧な奇跡。
教科書に載るような聖女の偉業だ。
――だが。
「……カナメ様」
隣で見ていたシルヴィアが、扇子で鼻と口を覆い、顔をしかめた。
「臭いですわ」
「ああ。……酷いもんだな」
俺もまた、吐き気をこらえていた。
周囲の人間には「聖なる光」に見えただろう。
だが、俺の【魔力感知】には、全く別の「おぞましい作業」が見えていた。
俺の視界には、魔力の流れが赤いラインとなって映し出されている。
イリアルが男に触れた瞬間。
男の足に溜まっていた「病魔(ドス黒いヘドロのような魔力)」は、浄化されて消えたわけではない。
彼女の手を通じて吸い上げられ――彼女の背後にある、馬車の「荷台」へと高速で移動したのだ。
馬車の後部には、窓のない厳重な鉄の箱が連結されている。
華やかなパレードには不釣り合いな、無骨で黒い箱。
男の足から消えた「壊死」の概念は、あの箱の中へ「移動」させられただけだ。
「あれは治癒魔法じゃない。『転送』だ」
俺は冷静に分析する。
病気や怪我を治しているんじゃない。別の場所にある「ゴミ箱」へ押し付けているだけだ。
そして、あの箱からは――微かに、何かが押し殺したような、苦悶の唸り声が聞こえた気がした。
「……自分の手は汚さず、ゴミは裏へ隠す。随分と効率的な『掃除』だな」
俺が冷ややかに見つめる中、聖女イリアルは立ち上がった。
民衆に向けられた笑顔は完璧だ。
だが、俺は見逃さなかった。
彼女が馬車に戻り、民衆から見えない角度になった瞬間。
彼女が、先ほど男に触れた手を、ドレスの陰で執拗に拭ったのを。
(……汚らわしい)
口には出していない。だが、その表情には明確な侮蔑と嫌悪が浮かんでいた。
まるで、這い回るゴキブリに触れてしまったかのような目。
「さあ、皆さんに神の祝福を」
次の瞬間には、彼女はまた慈愛の聖女の仮面を被り、手を振っていた。
「……ふん。人間にしては、中々いい性根をしていますわね」
シルヴィアが、面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「見た目は綺麗な果実ですが、中身は腐りきっていますわ。あの方、先ほどの『病気』を誰かに押し付けながら、その手数料として男から『生命力』を掠め取っていますよ」
「……気づいたか」
「ええ。あの方から伸びている黒い糸……何人もの人間から命を吸い上げていますわ。あの肌艶、恐らく本来の年齢のものではありません」
やはりか。
治療代はタダではない。寿命で払わせているわけだ。
そして押し付けられた病気や怪我を引き受けている「ゴミ箱」が、あの馬車の箱の中にいる。
完璧なマッチポンプ。
民衆を救っているように見せかけて、その実、民衆を「養分」にし、裏では「ゴミ箱」を使い潰す悪魔の所業。
「関わりたくないな。あんなのを食ったら、こっちまで腐りそうだ」
「同感ですわ。ジャンクフードどころか、ただの毒物ですもの」
俺たちは興味を失い、熱狂する大通りに背を向けた。
聖女イリアル。
俺たちとは違う意味での「捕食者」。
だが、そのやり口はあまりにも美学がない。
「行くぞ。あんな詐欺師のショーより、俺たちの買い物が先だ」
「ええ。早く参りましょう。ここの空気は悪すぎますわ」
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