第69話:銀のロケットと家族の写真
未曾有のスタンピードから一ヵ月が経った。この街に刻まれた凄惨な傷痕は、まだはっきりと記憶にも形にも残っている。
しかし、人々は少しずつ前を歩きだし、以前のような活気が戻りつつあった。
中央広場には、白い石の慰霊碑が建立されている。道行く人々は、名前の刻まれた石板の前を通る際に、必ず一度足を止め、小さく頭を垂れてから歩き出す。それが、いつの間にかこの街の新しい習慣になっていた。
◇
午後の陽光が、居間の窓から斜めに差し込んでいた。
シルヴィアが優雅な所作で注ぐ紅茶は、琥珀色の液体となって、薄い陶磁器のカップに満たされ心地よい響きを奏でる。
「カナメ様、お茶が入りましたわ」
「ああ、ありがとう」
隣のソファでは、ルナがリスのように頬を膨らませてクッキーを頬張り、口の周りを菓子の屑で汚している。一方で刹那は、昼間から上等なワインを傾けて、「この年代物は悪くないのう」と、真紅の雫を慈しむように目を細めていた。
窓際の机に陣取るミラは、ペンを走らせる手を止めることなく、険しい表情で羊皮紙と対峙している。指揮官種から採取された魔薬の分析レポートは、彼女の眉間に深い溝を刻み続けていた。
平和だ。
金はある。住処もある。望んだものではないが、英雄という名の名声も纏わりついてきた。
だが、その満たされた日常の底に、拭い去れない『欠落』を感じていた。
この五人が一つ屋根の下に暮らし、食卓を囲み、魔物狩りやくだらない喧嘩に興じる日々。それは確かに家族の形をしているが、俺たちが家族であるという、目に見える確かな『証』は、未だどこにも存在していなかった。
前世の俺は、そうした情緒的な繋がりに無頓着であった。写真も撮らず、記念日を祝うこともなく、ただ一人で生きることを当然としていたのだ。だが、今は違う。
物思いに耽っていると、重厚な玄関の扉を叩く、遠慮のない音が響いた。現れたのは、黒竜商会の会長、ザガンだった。
その太い腕には、黄金とガラス、そして複数の複雑な歯車が組み合わさった、歪な箱型の魔導具が抱えられていた。
「カナメ様! 本日は、文字通り『歴史を止める』逸品をお持ちしましたぞ!」
ザガンは鼻息荒く、その装置を居間の机の上に置いた。俺は、その独特な機械の匂いに眉をひそめる。
「また随分と大掛かりなものを持ち込んできたな。それは何だ?」
「よくぞ、聞いてくださりました。我が商会が総力を挙げて開発を支援しております最新魔導具でございます!」
ザガンは装置の側面に備え付けられたレバーを回し、カチカチと精密な音を立てる。
「原理は至ってシンプル!レンズが捉えた光の粒子を、この特殊な魔導触媒によって瞬時に定着させるのですな。さあルナお嬢様、こちらに立って、じっとしていてください……。よろしいですかな?……行きますぞ!」
ザガンがボタンを押し込むと、装置の先端から「カシャッ」という硬質な音と共に、眩いばかりの青白い閃光が放たれた。
「ひゃっ!? な、なになに、今の光!? パパ、ルナ、目がチカチカする!」
ルナが尻尾の蛇を逆立てて飛び退き、俺の背中に隠れる。シルヴィアもまた、驚きに目を見開いていた。
「今のは一体何じゃ?攻撃魔法の類ではないようだが」
刹那が目を擦りながらザガンに尋ねた。俺は、形こそ違うが、現世に存在していたカメラを思い出し、ザガンが抱えるその奇妙な魔導具を凝視した。
「ははは! 驚かせて申し訳ございません。今のは『刻』を切り取った音にございます。少々お待ちを……ただいま現像の魔力を注ぎ込んでおりますゆえ……」
ザガンが装置から一枚の厚手の紙を引き抜くと、それを仰ぐようにして振った。白い紙の上に、じわじわと色が浮かび上がってくる。
「……! な、何なんですの、これは……?」
覗き込んだシルヴィアが、声を震わせた。そこに映し出されていたのは、驚いて目を丸くした瞬間のルナの姿だった。現実そのものを切り抜いたかのような鮮明な肖像。
「パパ、見て……! 紙の中に、もう一人のルナがいる! 動かないけど、これ、ルナだよね!?」
「ルナ様、それはただの紙ではなく『写真』というものですぞ」
ルナがおそるおそる指先で写真に触れる。ミラもまた、解析レポートを放り出して駆け寄り、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「……光学的な反射を定着させているのですか?いえ、魔力波形の転写に近いですね。この精密さ……宮廷絵師でもここまでの再現は不可能ですよ。毛の一本一本まで、完全に『保存』されていますね」
「ふふん、そうですとも!先生の仰る通り、これは魔法と科学の結晶。これがあれば、栄光の瞬間も、愛する者の微笑みも、永遠に色褪せぬまま手元に残せるのです!その名も、『魔導照影機』です!」
ザガンの商売人としての弁舌は止まらない。だが、俺はその写真を見つめながら、背筋に走る微かな震えを無視できなかった。前世にあったデジタルな画素とも、銀塩写真とも違う、この世界独自の「記録」。
それは、一歩間違えれば魂を縛る呪具にもなり得るのではないかと思ってしまうほどの密度を持っていた。
「……ふむ。わらわの美しさをこの程度の紙きれに押し込めるとは思えぬが、なかなか豪胆な道具よのう。悪くない」
刹那が腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。彼女の言葉に、俺の胸の中にあった漠然とした『欠落』が、すとんと埋まるのを感じた。
「……ザガン。俺たち全員を撮ってくれないか?一枚の紙に、俺たち五人が収まるように」
「もちろんですとも!カナメ様……、いえ、英雄殿を最高の構図を整えさせていただきますぞ!」
茶化すザガンを連れて庭園へと場所を移し、冬の柔らかな光の下で撮影が始まった。ザガンが汗を拭いながら指示を飛ばす。
「はい、カナメ様は真ん中にどっしりと!
シルヴィア様、少しカナメ様に密着しすぎですぞ!ルナお嬢様と刹那様はもっとカナメ様の方へ寄って……そうです!
先生!それでは遠すぎます!」
俺が椅子に座ると、右側からはシルヴィアがとろけるような笑顔で腕に密着し、左側ではルナが俺の腰にしがみついて満面の笑みを浮かべる。背後では半実体化した刹那が威風堂々と立ち、その隣にはミラが、そっと俺の肩に手を添えていた。
「行きますぞ! 瞬き禁止です! 三、二、一……!」
カシャリと無機質な音が響く。
そして、眩しい光が一瞬だけ視界の中で煌めいた。そして数分後、ザガンの手から渡された一枚の写真。
そこには、種族も、出自も、バラバラな五人が、『本当の家族』のように、確かな温度を持って収まっていた。
「素晴らしい写りだな。ザガン、この写真を五枚同じものを作れるか?」
「もちろんですとも。魔力転写したものですから、媒体の紙さえあればいくらでも同じものを作れますぞ」
「ありがとう。では、それを五枚頼む」
「かしこまりました」
複製した写真を手渡すと、ザガンは新商品のデモンストレーションに満足した様子で、軽い足取りで屋敷を去っていった。
「……なあ、みんな。これから出かけないか?」
◇
復興の象徴としていち早く営業を再開した、老舗の宝飾店。磨き上げられたショーケースの中に、銀や金の細工物が整然と並んでいる。
背後で、シルヴィアが色めき立つ気配がした。振り返ると、彼女の視線はショーケースの「指輪」コーナーに釘付けになっている。頬が薄い赤色に染まり、両手の指を落ち着きなく絡ませていた。
「カ、カナメ様……!アクセサリーということは、つまり……左手の薬指にはめる、《《アレ》》ですのね……!?」
久々にシルヴィアが盛大な勘違いをしているところを見たような気がした。しかし、今回は指輪が目的ではなかった。
「いや、指輪じゃない。ルナや刹那、ミラも一緒につけられるやつだ」
「えっ……?あ、あら……そうですのね……」
シルヴィアが分かりやすく肩を落とした。銀髪が、しおれた花のように力なく揺れる。悪いとは思うが、指輪はまた別の機会にでも考えよう。
俺はショーケースを眺めながら、店主に告げた。
「ロケットペンダントは置いているか?丈夫で、長く使えるやつを五つ欲しいのだが……」
「ふむ。丈夫なロケットペンダントですか……」
俺の注文を聞き、眼鏡をかけた気品溢れる老紳士の店主が、何かを思い出すかのような表情をした後、奥から黒い箱を持ってきた。
「こちらはいかがでしょうか。素材は最高級のミスリル銀。名匠のドワーフが作った、魔力耐性に優れ、並みの炎や衝撃では傷一つつかないほど頑丈な逸品でございます。アクセサリーと言うよりも、魔導具と言った方が近いかも知れません」
飾り気のない楕円形のフォルムからは、確かに、ほのかな魔力を感じた。
派手な見た目ではないが、それが、寧ろ俺たちらしいとも思った。
「ケッ。地味な首飾りじゃのう。わらわにはもっと派手な宝石が似合うと思うがのう?」
刹那が早速悪態を吐くが、視線はロケットペンダントに釘付けで、興味津々といった風だった。
「パパ! これ、パカって開くよ!」
ルナが店主から受け取ったロケットペンダントをパカパカと開閉しながら、目を輝かせている。
「ああ。大切なものを入れておけるんだ」
「……成る程。そういうことですね」
ミラが、いつもの控えめな声量でうんうんと頷いていた。
◇
ザガンの手によって、現像された五枚の肖像は、ロケットの中に綺麗に収まった。俺たちは各々の首に、その『家族の証』を吊り下げた。ミスリル銀の冷たい感触が、胸元で確かな質量を伴って揺れる。
「えへへ……。みんな、ずっと一緒だね」
「……家族、ですか」
ルナがロケットを両手で包み込み、愛おしそうに見つめながら微笑む。尻尾の蛇が、主人の喜びに呼応するように、嬉しそうに揺れている。ミラは、眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、自分の胸元に宿った『居場所』をそっと確かめるように触れていた。
「……フン。まあ、悪くはない首飾りじゃな。わらわの家宝にしてやってもよい」
刹那が素っ気なく呟くが、何度もパカパカと蓋を開けてはニヤニヤしている。本当に分かりやすい。
「カナメ様……。私、一生の宝物にいたしますわ」
シルヴィアが潤んだ紫の瞳でロケットに口づけを落とした。その横顔は、戦場で見せる苛烈さとは対極の、一人の女としての幸福に満ちていた。
「……これからは、いつ、どんな時でも一緒だ」
俺は、自らの胸元に鎮座するロケットを掌で握りしめた。
前世の俺には、何一つなかった。自分の写真も、誰かと撮った記念の一枚も。だが、この世界で得た温度は、この小さな銀の箱の中に、確かな『絆の証』として封じ込められている。
「もし、何かの拍子にはぐれたり、離れ離れになったとしても——これを開けば、思い出せる。俺たちは『家族』だってな」
ルナがロケットを高く掲げて笑い、シルヴィアが幸せそうに目を細め、刹那が腕を組んで「当然じゃ」と胸を張り、ミラが静かに、だが深く頷いた。
これは単なる装飾品ではない。
血の繋がりもない、種族すら違う、そんな俺たちが『家族』であるという、世界でただ一つの証だ。
冬の陽光が、五つの銀色のロケットを等しく照らしていた。
——この小さな銀色の箱が、やがて訪れる絶望の淵で、俺たちを繋ぎ止める最後の光となることを。
その時の俺たちは、まだ知る由もなかった。
(『第四章 Fランクの英雄と絶望の饗宴』 完 )
(第一部 完 )
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【第一部&第四章 完結!】
ここまでご愛読いただき、本当にありがとうございます!
これにて第四章『Fランクの英雄と絶望の饗宴』は完結です。
もし「面白かった」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、
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■今後の展開と大幅リライトのお知らせ
皆様に大切なお知らせがあります。 本作は次章の連載前に、第一章・第二章の大幅なリライトを行うことを決意しました。 (第三章もリライト対象ですが三章はどの程度にするか未定)
物語を進めていく中で、筆致や雰囲気に過去の章も統一させたいという想いが強くなったためです。より没入感のある「完全版」として皆様にお届けしたいと考えています。
「続きはどうなるの?」と不安に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ご安心ください。 プロットは既にその先まで構想済みで、第二部のストックも準備しつつあります。 作者の執筆モチベーションは最高潮ですので、途中で投げ出す(エタる)ことは“““絶対にあり得ません”””。
■再開スケジュールについて
リライト作業と仕事の都合上、少し長めのお時間をいただきます。
①2026年7月初旬: 「リライト版」を別作品として新規公開。
※公開初日: 第二章までを一気読みできる状態で公開。
②その後: 第四章(第一部完結)までを毎日複数話ペースで投稿。
③第一部完結後: 第二部(最新章)の毎日投稿をスタート。
■最後に
物語の大きな根幹は変わりませんが、リライト版では一部設定のブラッシュアップや、第一章へのエピソード追加、タイトルの変更なども予定しています。
最高のクオリティで『万能強奪』の続きをお見せできるよう、全力でリライトに取り組んでまいります。しばしの間お待たせしてしまいますが、何卒ご容赦ください。
それでは、2026年7月。更に進化した物語で、また皆様にお会いできるのを楽しみにしています!
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