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第66話:公開審問


 スタンピード発生、そして、ゴズが捕まった翌日の中央広場。

 商業都市ザラダスの心臓部たるこの場所は、今や溢れんばかりの市民が発する、湿り気を帯びた熱気に包まれていた。


 立ち込めるのは復興作業の煙と、数千、数万の人間が共有する静かなる殺意。

 誰もが言葉を失ったように口を閉ざし、ただ一点、演台の上に据えられた鉄格子の檻を、穴が空くほど凝視していた。


 檻の中にうずくまっているのは、一人の男——ゴズ・ロックスミス。かつてこの街の富を指先一つで動かしていたギルド支部長は、一晩の恐怖で髪を白く乱し、高級な衣服を汚物で腐らせた、ただの「汚れた肥満体」として晒されていた。


 その目は落ち窪み、乾いた唇は小刻みに震えている。昨夜、石造りの独房で一睡もできぬまま「死の予感」に(さいな)まれていたのだろう。震える指先が檻の棒を掴み、まるで泥沼に沈む者が藁を掴むような、醜悪な執着で縋り付いていた。



 演台の中央へ、騎士団長キラレン・ヴェルズガルムが静かに進み出た。魔導具によって増幅された彼の声が、広場全体を震わせる。



「これより、ゴズ・ロックスミスに対する公開審問を開始する」



 その宣言が響いた瞬間、広場を埋め尽くした市民から、重苦しい怨嗟が漏れ出した。



「罪状を読み上げる。第一、スタンピード発生時における重大な職務放棄。警報が街を震わせた直後、民を見捨てて下水道へ逃亡した敵前逃亡罪。第二、未必の故意による大量殺人。異変報告を意図的に握り潰し、防衛の機を逸した結果、九千人以上の同胞を死に追いやった不作為の罪」



 九千人。


 その具体的な数字が風に乗って広がった瞬間、広場には落雷のような衝撃が走り、次いで悲鳴に近い慟哭が沸き上がった。

 泣き崩れる老婆、血が出るほどに拳を握りしめる若者。彼らにとって、それは単なる数字ではなく、昨日まで笑い合っていた家族や友人の数であった。



「第三、公文書偽造および国家反逆予備罪。自らの査定ミスを隠蔽するため報告書を改竄し、遺族に支払われるべき補償金を不正に奪った略奪行為」



「ま、待ってくれ!」



 ゴズが檻の棒を激しく揺らし、裏返った声で叫ぶ。



「私は……私はヴァルトハイム伯爵閣下に忠実であっただけだ!魔物の異常など、誰が正確に予見できる!私は被害者だ、不当な吊し上げだ!」



 集まった数万人に対して向けられた言葉は、誰の心にも届くことはなかった。



 群衆を割り、一人の青年が重い足取りで壇上へと進み出た。

 茶髪に、使い込まれた革鎧。腰に佩いた年季の入った剣——そしてその手には、半ばから無残に噛み砕かれた「剣の柄」が握られていた。ドレナス・ガルシア。彼は、二年前に散った冒険者ハルトの、残された弟であった。



「……二年前、俺の兄貴は死んだ」



 その声は驚くほど静かであったが、それゆえに広場を支配する熱気を切り裂いた。



「兄貴は、ギルドから『Dランク』として出された依頼を受け、森で魔物に襲われ死んだ。ギルドは公式に『ゴブリンによる事故』と発表したな」



 ドレナスの指先が、形見の柄を強く締め上げる。



「だが、返ってきた兄貴の遺体は……上半身を丸ごと失っていたんだ。大きな歯形を残してな!ゴブリンが、人間の上半身を一撃で食い千切るか?……そんなわけがないだろう!兄貴は、貴様が殺したんだ!そしてあろうことか、冒険者の不注意と処理して、兄貴の名誉を汚した!」



 ドレナスの瞳から、怒りの熱に乾いた涙が零れ落ちる。



「……兄貴は、貴様に殺されたんだ……!」



 ゴズは何も答えられず、ただ、がたがたと震える肉の塊となって棒立ちになっていた。


 続いて、壇上に立ったのはエルダ・ホーソンであった。彼女の手には、昨夜キラレンに提示したあの『証拠』が、今度は全市民への断罪の剣として掲げられている。



「私からも、この街の皆さんに真実を証言いたします」



 彼女の声は、かつて教育係であった亡き先輩、リーアの無念を代弁するかのような力強さを帯びていた。



「二年前、森林にはBランク相当の脅威が出没しておりました。しかし、ゴズ支部長は自らの『失念』という致命的な査定ミスを犯した。そして、その誤った依頼を公に掲載するに至ったのが、当時、私の先達であった職員——リーアです」



 エルダの声は、かつて教育係であった亡き先輩の無念を代弁するかのような、悲哀の響きを帯びていた。



「単なる過失に過ぎなかったのかもしれない。だが、この男はそれを認められなかった。己の面子を守るために、リーアが抱いた烈しい自責の念を蹂躙し、騎士団への告発を口にした彼女を……事故に擬装して排除したのです」



 広場が、凍りついたような静寂に沈んだ。



「リーアは家族とともに、森林で遺品が発見されました。遺体は魔物に食い散らかされて見つからなかったそうです。

 警備兵は魔物の仕業と片付けましたが、あまりにこの男にとって都合の良すぎる死だ!この『不支給決定通知』の草案は、彼女がデスクの二重底に、命を懸けて秘匿し続けた改竄の余地もない証拠」



 エルダは更にもう一枚紙を取り出して、高く天へと掲げた。



「そして、こちらは森の異変について皆様からあがった『報告書』です。これらを突っぱねて森の異変から目をそらしたのは、ゴズ!貴方です!貴方が九千人の命を奪ったのです!」



 その瞬間、広場の殺意が臨界点に達した。



「人殺し!」「九千人を返せ!」「その豚を檻から出せ、引き裂いてやる!」



 数万の呪詛が津波となって、檻の中の男を打ち据える。ゴズは耳を塞ぎ、赤子のようにうずくまって泣き喚くことしかできなかった。


 騒乱を制するように、一人の男が壇上へ現れた。


 五十代半ばの、鷹のような鋭利な眼光を持つ男——伯爵家代官。領主不在のこの街を統治する、貴族の代理人である。

 代官は、もはや人間としての形を失いつつあるゴズを、汚物を見るような冷徹な視線で見下ろした。



「ゴズ・ロックスミス。貴様は幾度となく伯爵閣下の名を出し、その庇護を騙ったな」



「だ、代官殿!助けてくだされ、私は閣下に——」



「黙れ、寄生虫が」



 代官の声は、冬の氷のごとくゴズの希望を断切った。



「閣下が最も忌み嫌われるのは、信頼を裏切り、民を死に追いやって己だけが肥え太る下劣な輩だ。……私に与えられた権限において、貴様を全公職から解任し、身柄を騎士団の裁きへと引き渡す」



 それは、ゴズが生命線としていた『伯爵家との繋がり』が完全に断たれた瞬間であった。



「恥を知れ、豚が」



 代官が背を向けたその瞬間、市民の怒りが、物理的な重圧となって解き放たれた。



 最初は、誰かが投げた小さな石であった。それが檻の棒に当たって乾いた音を立てる。それを合図に、泥、腐った野菜、そして殺意の籠もった石礫が、次々と檻の中へ投げ込まれ始める。



「やめろ!やめてくれ!私は悪くない、わざとじゃなかったんだ!」



 檻の中で逃げ場を失い、頭を抱えて悲鳴を上げるゴズ。だが、彼の耳に届くのは、昨日まで自分が「数」としてしか見ていなかった民衆たちの、地を這うような怨嗟の声だけであった。



 キラレンが、静かに右手を挙げた。



「連行しろ」



 騎士たちが檻の扉を開け、ゴズを引きずり出す。檻馬車までのわずかな距離。騎士たちは「近づくな」と形式的に命じながらも、その歩みは意図的に緩められた。

 その隙間から伸びた民衆の拳が、罵声が、ゴズの肉体を容赦なく叩き、汚泥まみれになったかつての権力者を馬車の中へと放り込んだ。


 重厚な鉄扉が閉まる音。それは、彼が二度と陽の光を浴びることがないことを告げる、終わりの鐘であった。



   ◇



 その光景を、広場を見下ろす高台の上から、二つの人影が眺めていた。



「……悪党の声ってのは、なかなかよく通るもんだな」



 カナメが、淡白な調子で呟いた。その隣で、シルヴィアが優雅に、しかしどこか嗜虐的な美しさ笑う。



「ええ。ですが、あの男が支払うべき『利子』は、まだこれっぽっちですわよ。死後の闇は、もっと深く、長いものですから」



「違いないな」



 カナメは小さく肩を竦め、立ち上がった。



「さて、帰るか。ルナが腹を空かせてる頃だ」



「ふふ。今日は特別なお肉を用意しておりますわ。……この街の《《浄化》》を祝して」



 二人の姿は、陽炎が揺らめくようにして街の喧騒の中へと消えていった。広場に残されたのは、失われた九千人への尽きぬ哀悼、そして、石灰の粉末だけが雪のように舞う、再生への苦い第一歩であった。


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