第63話:完成品の観測
商業都市ザラダスを一望する、古びた時計塔の頂。
魔王軍第四技術開発局の工作員――ナグラは、変装用の魔道具でフードの奥の素顔を隠しながら、眼下で繰り広げられる惨劇を「至高の実験場」として鑑賞していた。
鼻を突くのは、濃厚な血の臭いと、歪な魔力の残り香。開発局が心血を注いだ強化薬物『BS-04』を投与された魔物たちが、生物としての根源的な生存本能である痛覚や恐怖を完全に遮断され、殺戮兵器と化して人間たちを蹂躙している。
「実に見事だ……。致死量に達する損傷を負いながら、当初予想していた戦闘持続時間よりも三割も凌駕している。これこそが、我々が求めた『理想の兵器』の形よ」
ナグラは恍惚とした表情で手元の羊皮紙に数字を刻んでいく。彼にとって、眼下で散っていく人間の命などは、実験をおこなうための道具に過ぎない。
だが、その冷徹な観察記録を、北に配置した工作員からの緊急通信が激しく乱した。
『ナグラ様! 北のジェネラル・オークが……討伐されました!』
「……何だと? 冗談を言うな」
陶酔を乱されたナグラの眉が不快げに跳ね上がった。
ジェネラル・オーク。Aランクの中でも上位の力を持つ魔物だ。
人間の騎士団では、到底太刀打ちできない化け物だ。冒険者ですら、その辺の馬の骨がいくら束になろうが仕留めることはまずあり得ない。
況してや、『BS-04』によって限界まで引き上げられた今のそれは、災害そのものと言っても過言ではない。
「この街にはSランク冒険者はいないはずだが?……近隣都市の英雄が居合わせていたとでもいうのか?それとも腕利きのAランクパーティでも居たのか?」
『いえ、それが……。ジェネラル・オークを屠ったのは、たった一人の……Fランクの冒険者です』
「……馬鹿な」
Fランク。それは、一般人とさして変わらない冒険者の底にある階級だ。天変地異が起こり、世界の理が反転したとしても、Fランクがジェネラル・オークを討伐するという現象は成立し得ない。たとえ相手が薬物強化前の個体であったとしても、だ。
武の極致に至った隠者が道楽で冒険者を始めたのか、或いは正体を隠したSランクの『紛れ込み』か。――はたまた神の気まぐれに選ばれた『勇者』の覚醒か。
「その男の特徴を言え」
『年齢は二十代半ば。黒髪。漆黒の刀を持っておりました……。ただ、魔力の総量がとてもFランクのそれではありませんでした。魔力だけで見れば、Sランクの魔術師……、いいえ、それすら超越していると言われても、私は疑いません……』
「成る程な。現場の怯えようを見るに、単なる与太話というわけでもなさそうだ……。その男の現在地は?」
『ジェネラル・オークを倒した後は、そのまま北門を抜け、魔物の群れへと自ら飛び込んでいきました。あまりの速さに見失ってしまいましたが……あれほどの化け物が相手となると、残った魔物では、足止めにすらならないでしょう』
今回のスタンピードの指揮官クラスの中でも、最大戦力であるジェネラル・オークが倒されるなど、計算の範疇にはなかった。
もし報告が事実であれば、その黒髪の男は魔王軍にとって、無視し得ぬ致命的な「毒」となるだろう。
ナグラは苛立ちを抑えるように眉間を揉んだ。
完全に予想外の事態。だが、実験そのものはまだ破綻してはいない。
当初の目的はあくまで『BS-04』のデータ採取であり、このザラダスという街の滅亡は、その副産物に過ぎないと自分に言い聞かせた。
ナグラがその「黒髪の男」という不確定要素について考察を深めようとした刹那、突如として、東区を監視していた彼の視界に、一条の「金色の閃光」が乱入した。
「一度切るぞ。……見落とせぬものを見つけた」
◇
反射的に双眼鏡を掴み上げ、その「影」に焦点を合わせたナグラの指先が、微かに震える。
「――あれは……」
そこにいたのは、戦場にはおよそ似つかわしくない、七、八歳ほどの少女だった。
だがその少女は、瓦礫の山を弾丸の如き速度で跳ね回り、オークの巨躯を紙細工のように粉砕し、ゴブリンの群れを最小限の予備動作で薙ぎ払う。
金色の髪を風に靡かせ、小さな翼を羽ばたかせて戦場を舞うその姿は、あまりにも異様で――そして、不気味なほどに美しかった。
「あの少女……まさか」
頭頂に生える、獣の耳。
背中を飾る、幼い翼。
そして、スカートの裾から伸びる尻尾の先端には――鎌首をもたげる蛇の頭。
「……信じられん。そんな、馬鹿なことが……ッ!」
ナグラの心臓が、肋骨を突き破らんばかりに激しく鼓動を打つ。
レンズ越しでも理解できる。狼の、竜の、そして蛇の魔力。複数の異なる根源が、あの小さな体の中で、衝突することなく完璧に共生している。
それは、幾千もの犠牲を積み上げても魔王軍が辿り着けなかった、キメラの究極形に他ならなかった。
ナグラの目が見開かれた。
魔王軍が追い求めてきた、新たな力。
第四技術開発局が産み落としてきたキメラは、その九割九分が、魔力因子の暴走によって自壊する「肉の塊」に過ぎなかった。
魔物因子同士が暴走して互いを食い合い、宿主である本体を食い殺してしまう。そんな数日と持たずに崩壊する失敗作ばかり。
稀に安定した個体が出来たとしても、知能が著しく低いか、戦闘力がほとんどないかで実用には耐えないものばかりだ。
魔王軍が求めていたのは「安定したキメラ」だ。
複数の魔物因子を取り込みながらも、自我を保ち、力をコントロールできる存在。
失踪した前局長マルバスが、聖女イリアルを手駒にし、人間の孤児を苗床にしてまで挑んだ禁忌の実験ですら、得られたのは失敗作だけだったというのに。
「自壊の兆候なし、魔力の安定度、極めて良好。……これは成功体などという次元ではない。我らが局の、いや、魔王軍が長年追い求めてきた『完成品』だッ!」
少女はただ一人で、魔の軍勢を圧倒し続けていた。
三百、四百……。屠られる魔物の数が増えるに従い、彼女の動きはより鋭く、より洗練されていく。戦いの中で進化を遂げるその様は、もはや奇跡と呼ぶほかなかった。
「今すぐに局長に報告しなければ……!」
ナグラは痙攣する指先で、通信魔道具を起動した。
◇
「ゲルガイ局長、至急、緊急の報告を申し上げます」
魔道具から返ってきたのは、地の底を這うような低い声だった。
『——何だ、ナグラ。緊急だと?なにか計算外のことでも起こったか?』
「はい。イレギュラーが発生しました。ですが、それ以上に重要な……我々の運命を左右する報告がございます」
ナグラは昂ぶる呼吸を整え、慎重に、しかし熱を込めて言葉を紡ぐ。
「キメラです。我々が、そして前局長が追い求めた『完成品』が、今、私の目の前にいます」
一瞬の沈黙。
そして、ゲルガイの声が、ナイフのような鋭さを帯びる。
『……「完成品」だと? その都市での実験では、成功例は一つもなかったはずだ』
「仰る通りです。ここ誕生した個体は、全て失敗作のはずでした。ですが――」
ナグラは乾いた喉を鳴らし、眼前の奇跡をその瞳に焼き付ける。
「――今、私の目の前で戦っているのは、紛れもなく『完全な成功体』です」
『……詳しく聞かせろ』
ゲルガイの声に、僅かな、だが確かな興奮が滲んだ。ナグラは少女の容姿、そして観測された異次元の戦闘データを、熱病に浮かされたようにまくしたてていく。狼、竜、蛇――複数の因子が完全に調和し、暴走する魔物たちをあざ笑うかのように殲滅していくその光景を。
『……素晴らしい。実に素晴らしい報告だ、ナグラ』
ゲルガイの声は、いつしか激しい熱を帯びていた。
『我々が何代にも渡り追い求めた夢が、ザラダスにいたとはな。廃棄された個体が変異を遂げたのか、或いは……。いや、理由はどうあれ、それは「我々の所有物」だ。必ずや生け捕りにし、その安定の鍵を解明せねばならん。徹底的に、隅々まで調べ上げようではないか』
「はっ……承知いたしました!」
『だが、今回は観測要員しか用意していない。「BS-04」を投与した魔物をそれだけの数を倒すとなると生半可な強さではないだろうな。一旦、機材と痕跡を回収して退け。次の一手は、盤面を整えてからゆっくりと考えようではないか』
「御意」
ナグラは通信を切ると、未だに続く戦場に未練がましい視線を一度だけ向け、闇に紛れるように塔を降りた。
◇
ナグラは森の奥深くに隠した拠点へと戻り、薬品散布に用いた機材の回収を急いでいた。
だが、その背後に――音もなく、一つの影が落ちた。
「……貴様は誰だ?」
振り返った先に立っていたのは、一人の黒髪の青年だった。
青年は何も答えず、ただ、闇を覗いているかのような暗い眼差しでナグラを射抜いている。その手に握られているのは、先ほど部下の報告にあった漆黒の刀だった。ナグラの額から、汗が垂れた。
「お前が、今回の惨劇を仕組んだ黒幕か?」
青年の問いは、静かだった。
だがその声の底には、凍てつくような怒りと、逃げ場を許さぬ絶対的な殺意が凝縮されていた。
「だとしたら……どうするというのだね?」
ナグラは虚勢を張りながら、じりじりと後ずさる。逃げなければならない。本能が、この男との絶望的なまでの実力差を警告している。
しかし――足が、動かない。
青年の瞳の奥、渦巻く闇に魂を絡め取られたかのように、身体が拒絶反応を起こしていた。
「殺すだけだ」
青年が、静かに刀を構えた。
次の瞬間、ナグラの視界は唐突に回転し、空を舞った。
首を断たれたのだと理解する間際、ナグラの唇は、歪な、しかし勝ち誇ったような笑みを刻んでいた。魔道具を介して、映像情報を部下へと送っていたのだ。この情報は、すぐに局へと送られるだろう。イレギュラーの観測、そして、『完成品』の観測。
自分の役目は十分過ぎるほどに果たした。心残りがあるとするならば『完成品』を使った実験に参加出来ないことくらいだ。
◇
俺は、肉塊となった魔族の死体を見下ろした。
胸の奥で燻り続ける怒りは、この男を殺したところで消えはしない。今はただ、その熱を冷静さという氷で包み込む。
『取り敢えずは、一件落着というところかのう』
刹那がぽつりとつぶやいた。
一件落着。
確かに魔物たちは鎮圧され、糸を引いていた魔族も仕留めた。だが、喉元を通り過ぎる寒気は消えない。
マルバスの残した禁忌の薬物、そしてこの魔族の男はそれを使って今回のスタンピードを引き起こした。
しかし今回の件は、魔物だけが暴れており、魔王軍の魔族は一切表には出てきていない。本気でザラダスを滅亡させようとして引き起こしたわけではないということだ。
考えられるのは薬の実地試験か、或いは別の目的があったか、だ。
「そうだな。……ひとまずは、街へ戻ろう」
俺は背中を這うような不吉な予感を押し殺し、煙の上がるザラダスの方へと歩き出した。




