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第53話:雁字搦め


 騎士団の宿舎で目を覚ました時、ヴィクター・ハイネは例の不気味な目玉のことを考えていた。


 十九歳。裕福な商家の子に生まれたヴィクターは、何不自由ない人生を過ごしてきた。憧れの騎士団に入るため、日々鍛錬を欠かさず行なっていた。家庭教師をつけ、馬術や兵法、剣術などに励んだ。そしてようやく、憧れの騎士団に入団することが叶ったのだ。


 だが、ザラダスの騎士団は、自分の思い描いていたものとは違った。


 同期の多くは貴族の次男坊や、裕福な商家の息子だ。彼らにとって騎士団は『箔をつけるための通過儀礼』でしかない。

 貴族の次男坊は、長男が領地を継ぐため、自力で身を立てる、(ある)いは騎士団でのコネを使って別の貴族家へ婿入りを狙う。

 商家の息子は、もっと質が違った。裕福とはいえ、言ってしまえば裕福なだけの平民だ。騎士になることで準貴族としての肩書を得て、戦場で功績を立てて、貴族への仲間入りを果たそうとする出世欲の強い者ばかりだ。


 同期たちは、切磋琢磨し合う仲間と言うよりも、お互いをライバルだと認識している。

 王へ忠誠を誓い、民を守る。当然、(みな)、騎士としての矜持や心構えはある。

 だが、ヴィクターほどの情熱を持っている人間は少なくとも同期にはいなかった。


 ヴィクターは、そんな空気に馴染めなかった。


 彼が騎士になったのは、箔をつけるためでも、退団後の家業の足しにするためでもない。

 幼い頃、金銭目的で誘拐されたことがある。暗い物置きに閉じ込められて、震えて、幼いながらも死を覚悟した。不意に明かりが差し込み、騎士団が助けてくれた。あの光を今でも覚えている。


 ——俺も、ああなりたい。


 その一念で、家業を継げという親の反対を押し切って騎士団に入ったヴィクターには、今の環境はとても窮屈なものだった。

 そんな鬱屈した日々の中で、二日前、あの猟師が詰め所に来た。

 死んでいるはずのゴブリンの眼球が、不気味にも脈動していた。


 あれは、明らかに異常だった。


 上官は『ギルドの管轄だ』と言って追い返したが、ヴィクターの青臭い正義感が、いまだにあの時の光景をフラッシュバックさせた。


 ヴィクターは、何も言えなかった。


 新人だから。立場がないから。上官に睨まれたから。

 言い訳は、いくらでもできる。

 だが、あの時黙っていた自分が、どうしても許せなかった。



   ◇



 今日は非番だった。


 ヴィクターは、私服に着替えて宿舎を出た。

 向かう先は、ザラダスの巨大な防壁の外、北から西にかけて重々しく広がる原生林である。

 あの日、猟師が訴えた「異変」を自らの瞳で確かめたい。もし確たる証拠を掴むことができれば、詰め所の腐った上官を飛び越え、団長や副団長へ直訴できる。そうすれば、この停滞した空気も動かせるはずだ。


 そんな青い情熱を糧に森へと踏み込んだ。

 木々のざわめきが耳を満たす。土と草の混じった湿った匂い。しかし、進むほどに違和感は確信へと変わる。


 ――生命の気配がない。


 ヴィクターは足を止め、剣の柄に手をかけた。あまりにも、静かすぎる。

 生命の声に満ちているはずの森が、今はまるで巨大な墓標のように沈黙していた。気温とは無関係な、内臓を撫で上げるような寒気が背筋を走る。全ての生き物が、嵐の前の静けさの中で息を殺しているような、(おぞ)ましい予感。


 それでも、ヴィクターは足を止めなかった。ここで退けば、真実は闇に消える。



   ◇



 森の深部、陽光の届かぬ木陰で「それ」は転がっていた。

 ダイアウルフの死骸だ。通常であれば、群れで行動し、Dランクの脅威を誇る森の狩人が、無残な肉の塊へと成り果てている。


 裂かれた腹部から内臓が溢れ出し、四肢は異界の力でねじ切られたかのように不自然な方向を向いていた。毛皮もあちこちが焼け焦げたように変色している。


 そして、この死骸もまた、赤黒い光が眼窩で脈動していた。

 あの猟師が持ってきたゴブリンの目玉と、同じだ。

 死んでいるのに、目だけが生きているかのように明滅し、その存在を主張していたのだ。


 ヴィクターが傍らに跪くと、強烈な腐敗臭が鼻腔を打つ。

 だが、それ以上に彼を驚かせたのは、死骸から立ち上る陽炎のような熱気であった。数秒前に焼き殺されたかのような、異様な高熱。



「……気味が悪いな」



 ヴィクターは剣を抜いた。


 証拠を持ち帰る必要がある。目玉という「一点」では、上層部の重い腰は上がらない。ならば、より凄惨で否定し難い証拠を突きつけるまでだ。


 剣を振り下ろし、前足を切り落とす。

 断面から勢いよく蒸気が吹き上がり、熱に焼かれた肉の音が響く。

 異常な高熱だ。切り口が焼けるように熱い。

 布で包み込んだ肉塊からは、なおも耐え難い熱が伝わってきた。これを持ち帰れば上官、いや、更に上の上層部も無視はできまい。


 これを見せれば——。



   ◇



 王立ザラダス守護騎士団館では。


 オルグレン副団長は、自室の窓から訓練場を眺めていた。騎士団に身を置いて三十余年、酸いも甘いも噛み分けてきた古参の表情には、深い年輪のような皺が刻まれている。


 扉が叩かれ、部下の声が静寂を破った。



「オルグレン副団長、新人騎士ヴィクター・ハイネが、至急の面会を求めております」



「ヴィクター?……ああ、あの商家出身の熱血漢か。通せ」



 オルグレンは、そのヴィクターの青臭い瞳をどこか眩しく、そして危ういものとして記憶していた。

 彼のような人種は、この組織では稀有だ。通常、商家が騎士を志す背景には、準貴族の地位を得て家名を上げるというギラついた野心が透けて見える。だが、ヴィクターにはそうした特有の濁りが一切なかった。


 入室したヴィクターは、殺気立った表情で布包みを机に置いた。



「緊急のご報告がございます。森にて、異常な変質を遂げた魔物の死骸を発見いたしました」



「それは、直属の上官を飛び越えてまで、私に届けるべき火急の用事か?」



「はい。民の命に関わる、看過できぬ事態でございます」



 ヴィクターが布を解くと、中から欠損した前足が現れた。黒い爪に白い縦線が入っており、それがダイアウルフのものであるとオルグレンはすぐに理解した。ヴィクターがその肉にナイフを立てると、断面から気味の悪い音と共に煙が立ち上がる。



「何だ、これは……」



「森林で異常が発生しています。魔物の目が赤黒く光り、このような不気味な死骸がこれの他にも複数散見されています。直ちに調査隊を派遣すべきです!」



 オルグレンの冷徹な一言が、ヴィクターの熱を遮断した。



「……それは、出来ぬな」



 確かに異常だった。三十年の軍歴において、死してなお熱を発し続ける骸など聞いたこともない。だが、その衝撃をオルグレンは表情の裏に隠し、静かに机の前の椅子を示した。



「期待外れの回答、と言った顔だな。……まあ、座れ」



 眉間に深い皺を刻み、ヴィクターが不承不承といった様子で腰を下ろす。オルグレンは再び視線を窓の外へ逃がした。中庭では、若い騎士たちが汗もかかぬ程度の稽古をこなしながら、呑気な談笑に興じている。



「お前は入団して一年にも満たぬ。だから分からんのだろうな。この街の、いや、この王国の真の構造を。我々の首には、目に見えぬ強固な鎖が巻き付いているのだよ」



 オルグレンは重々しく席に戻り、ヴィクターの瞳を真っ直ぐに射抜いた。



「まず、ザラダスという街の真実から話そう。ここは人口十五万を抱える商業都市であり、地方最大の経済拠点だ。そして、ここを治めているのは建国以来の名門中の名門、ヴァルトハイム伯爵閣下だ」



「はい、それは私も存じております」



「いや、分かっていない。ヴァルトハイム家は伯爵という爵位に甘んじてはいるが、実力で言えば公爵に匹敵するか、ひょっとしたらそれ以上だ。この街の税収だけで、地方の公爵家を凌ぐ。影響力も、資金力も、王国屈指と言っていい」



「……それが、魔物の調査を拒む理由になるのですか?」



「ああ。それが、拒む理由になってしまうのだ。ヴァルトハイム家は《《力を持ち過ぎた》》。順を追って説明していこう」



 ヴィクターが何かを察したような目をした。



叙爵(じょしゃく)権は王にある。だが、ヴァルトハイム家をこれ以上強くすれば、王権を脅かしかねない。だから王は、あえて伯爵のまま据え置いている。——『《《建国以来の由緒正しき伯爵家》》の名を汚さぬため』という建前でな」



「政治的な牽制、ですか」



「そういうことだ」



 オルグレンは髭を触りながら頷いた。



「では次に、我々騎士団の立場だ」



 オルグレンは立ち上がり、壁にかかった王国の紋章を仰ぎ見た。



「騎士団は《《王直属の組織》》だ。王の剣であり、王の法の体現者である。《《建前上は》》、な。だが現実を教えてやろう」



 オルグレンは振り返った。



「我々の給金は、どこから出ていると思う?」



「王国からです」



「そうだ。では、ここザラダス支部の騎士団の維持経費はどこから出ていると思う?」



「それは……。王国、でしょうか」



「違う」



 オルグレンは首を振った。



「騎士団の運営費は、駐留先の領主が負担している。王へ納めるはずの税の一部を、騎士団の運営費として納めているのだ。これはこの王国の法で定められており、ザラダスだけの話ではない。つまり、この街ではヴァルトハイム家が我々の経費を出しているのだ」



 ヴィクターの顔色が変わった。



「我々の食料、馬の飼葉、武器の整備費、全てがヴァルトハイム家の金で賄われている。王直属という名誉はあるが、我々の生殺与奪を握っているのは領主なのだ。もちろん、実際に直接殺しては来ないがな。ただ、騎士団を機能不全にするくらいは造作もない」



「そこまでヴァルトハイム家の影響力があるのですか……。では、我々は、領主の私兵と変わらないのではないでしょうか」



「そうだな……そういう意味ではヴァルトハイム家の私兵と大差はないかも知れぬな。王が『友好な伯爵家の領地に騎士団を派遣すること』は信頼の証でもあるのだ。

 王はヴァルトハイム家と友好的な関係だ。だからこそ、大切な騎士団を預ける。というのが表向きの事情だ」



 オルグレンはヴィクターの目を見つめた。

 情熱的で、正義の心を宿した目だった。



「だが、本当の役割は『監視』なのだ。国を脅かす危険がある者への牽制だ。そして、ヴァルトハイム家に預けられた我々は、その《《監視対象から》》餌を貰っているのだ。我々は『王の剣』を名乗っているが、実態は『鎖付きの猟犬』だ。忠誠は王にあるが、パンと剣をくれるのは領主。——このねじれが、我々を縛っている」



   ◇



 ヴィクターは、言葉を失い沈黙した。オルグレンはさらに、冷酷な現実を積み上げていく。



「次に、都市警備兵の話をしよう」



「警備兵、ですか」



「そうだ。この街の治安を守っているのは、我々騎士団ではない。都市警備兵だ。お前も知っての通り、この国では領主がそれぞれのやり方で領地を治めている。基本的に、いくら王直属の騎士団であれ、その自治権を無視して介入することは出来ない。

 我々がその自治権を無視して、騎士団としての権利を行使出来るのは、国家レベルの脅威、王室への反逆、広域犯罪がある場合に限る」



 オルグレンは指を折った。



「警備兵は、ザラダスの税収を使って、ヴァルトハイム家や、彼らが指名した代官が雇っている。そして、ザラダスの税とは言うが、言い方を変えればこれもヴァルトハイムの金だ。給料も装備も、全てヴァルトハイム家から出ている」



「つまりそれは……」



「そうだ。公的にはザラダスの『都市の治安』のために雇われた者たちだが、飼い主はやはりヴァルトハイム家だ。ヴァルトハイム家に都合の悪いことは見ぬふりをする。ヴァルトハイム家からの命令があれば、汚いことにも目を瞑る。殺しすらも(いと)わない。——そういうことが、日常的に行われている」



 ヴィクターの拳が、膝の上で握りしめられた。



「なぜ、騎士団が取り締まらないのですか!?」



「できないからだ」



 オルグレンは淡々と答えた。



「警備兵の汚職を取り締まれば、それは『領主への反逆』と見なされるだろう。並の貴族であればそれが出来る。だが、ヴァルトハイム家ほどの貴族が相手となると、我々もそう簡単には動けない。そんなことをすれば、ヴァルトハイム家は予算を盾に報復してくる。『治安維持に手間がかかり、騎士団への予算が捻出できなくなった』とな」



「そんな……」



「現実だ」



 オルグレンは机の上の書類を叩いた。



「去年、ある騎士が警備兵の汚職を告発しようとした。結果、どうなったと思う?」



 ヴィクターは首を振った。



「その騎士の部隊だけ、食料の配給が三分の一に減らされた。馬の飼葉も、わざと品質の悪いものに変えられた。騎士団は、その騎士の除隊を命じた。騎士団がその役割を全うすることが困難なほどの報復を受けたからだ。この街の市民も皆、ヴァルトハイム家には逆らえない。金はあっても食べ物を売ってくれる者がいないのだ」



 オルグレンは窓の外、遠くを見つめた。

 ヴィクターは、しばらく何も言えなかった。


 やがて、絞り出すように口を開いた。



「……では、私はどうすれば……」



「先程のダイアウルフの足、確かに異常だ。私も調査すべきだと思う」



「……」



「城壁外の集落は、警備兵の管轄だ。そして魔物についてはギルドが管轄だ。本当の有事になれば、警備兵やギルドから協力依頼が来る。それまで我々は動けぬのだ」



 オルグレンは言った。



「もし彼らからの要請がないまま我々が勝手に動けば、『騎士団が領主の自治権を侵害した』と見なされるだろう。ヴァルトハイム家が封建契約の違反と主張すれば、政治問題になる。

 ——最悪、王族とヴァルトハイム家の戦争になる。いや、ヴァルトハイム家ほどの力を持った貴族であれば、『貴族階級全体の特権を守るための戦い』と称して、他の貴族に声を掛ければ、貴族連合との戦争に発展することも現実的にあり得てしまうのだ」



「そんな恐ろしいことが……」



「そうだ」



 オルグレンの声には、苦さが滲んでいた。



「内戦になれば他の国も黙ってないだろう。ヴァルトハイムは他の国にも顔が広い屈指の有力者だ。ヴァルトハイム家を通じた他国との代理戦争になることだって想定しなくてはならない」



 ヴィクターの顔が、青ざめていた。

 今にも吐きそうな顔をしており、目が虚ろになっている。



「お前の持ってきた前足は異常だ。森林の異変も本当だろう。私も民を守るために調査すべきだとは思う」



「はい……」



「だが、個人の正義で動けば、組織が崩れる。それだけならばまだいい。戦争に発展するかもしれない、国が亡びるかも知れない。我々には本当に守らなくてはならないものがある。だから、動けぬのだ」



   ◇



 話を終えた後、ヴィクターは部屋を出た。


 青臭い正義感。まだ尚、納得出来ていないといった顔をしていた。

 まるで、昔の自分のようだった。


 あの頃の自分も、こうやって上官に噛みついた。組織の論理を聞かされ、歯を食いしばった。


 そして、十数年。いや、二十年だったか。

 ——気付いたころには、折れていた。そういうものだと割り切っていたのだ。


 オルグレンは一人、窓の外を見つめていた。



「あいつは、折れるだろうか」



 それとも——。



「……私のようには、なるな」



 オルグレンの言葉が静寂の中で響いた。



   ◇



 その頃、森の奥深く、狂気に囚われた魔物達を木の上から観察している一人の男が立っていた。深く被ったフードの影で、その口元には嗜虐的な愉悦が浮かんでいる。


 男の名は、ナグラ。魔王軍第四技術開発局――通称『キメラ工房』の工作員。

 水源、散布、餌場での混入。あらゆる手段を用いて投下された『試作品BS-04』は、着実に魔の種を植え付けていた。


 ゴブリンは同族を屠り、コボルトは死を忘れ、オークは爆発的な筋力の膨張に身を焼く。そして何より、その瞳には例外なく、赤黒い脈動が宿っていた。



「……そろそろ、熟成の時か」



 ナグラが懐の魔道具に魔力を流すと、水晶の中に新局長の顔が浮かび上がる。失踪したマルバスの座を継いだ、BS-04計画の責任者だ。



「投与完了。感染個体は推定五千体です。近々、臨界点に達するでしょう」



『五千か。上出来だ。それだけいれば、あの街など半日で更地になろう』



「さらに報告が。感染個体の中から、異常な強化を遂げた変異種を確認。更には指揮官種までが発生しております」



 通信の向こうで、クスクスと乾いた笑いが響いた。



『想定外の進化か。BS-04のポテンシャルはまだ底が見えぬな。よし、存分にデータを回収せよ。あの都市を最高の実験場にするのだ。歴史的実験の証人になろうじゃないか』



 通信が途絶え、ナグラは足元を見下ろした。

 この規模の《《軍隊》》に指揮官種の魔物がいたらどうなるのだろうか。



「さあ、見せてくれ――我らが『BS-04』、その破滅の真価を」



 森の深淵で、無数の赤黒い瞳が一斉に脈動を開始した。

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