第42話:悪意の予感
屋敷に戻ると、玄関前に見慣れた顔があった。
スキンヘッドに恰幅のいい体躯。高そうなスーツを着た男、ザガンだ。
俺たちを待っていたようだ。夕暮れの中で立ち尽くす姿は、どこか緊張しているように見える。
「カナメ様、お帰りなさいませ」
黒竜商会の会長、ザガンが深々と頭を下げた。
「すまない、迷宮探索で家を空けていた」
「探索はいかがでしたか?」
「満足だよ。家族全員、腹一杯になった。お前には本当に感謝しているんだ。地図のことも、ミラと会わせてくれたことも」
「それは何よりでございます」
ザガンが一瞬だけニッコリと笑った。
だが、すぐにまた緊張した顔に戻る。
「どうした?何かあったのか?」
「はい。ご報告したいことがございます」
ザガンの表情が強張る。
「報告?トゥランドールのことか?」
「いえ、別件でございます。ただ……」
ザガンがルナを一瞥した。
ルナに聞かれたくない話なのだろう。
「シルヴィア、ルナを連れて先に屋敷内で待っててくれるか?」
シルヴィアは何も聞かず、「かしこまりました」とだけ言って、ルナを連れて屋敷の中へと入っていった。
「ありがとうございます……、カナメ様。ルナ様には聞かれたくない話でした」
ザガンがほっとしたような表情をした。
「オークション会場の地下に、キメラを収容していた檻がございます。イリアルから買い取った『商品』を、競売にかけるまで保管しておく場所でした」
成る程。
確かに、ルナの前ではトラウマを刺激してしまいそうな内容だ。
「あの一件で、オークション会場もボロボロになりましたので、建物の取り壊しを計画しております……。取り壊し前に、建物内に貴重品が残っていないかを調べていたのですが、部下の一人がこの木箱を発見しました。」
ザガンが懐から、小さな木箱を取り出した。
古びた木箱で、表面には埃が付着している。
「これは一体?」
「分かりません。檻の壁の隙間に、隠されるかのように挟まっていたようです」
ザガンの声に、苦々しさが滲んでいた。自分の縄張りで、知らないうちに何かが隠されていた。それが彼のプライドを傷つけているのだろう。
俺は木箱を受け取った。
木箱の側面には、イリアルの裏帳簿で見たものと同じ、奇妙なサインが書いてあった。
「これは……マルバスのサインだな」
――ヤギの頭をした魔族・マルバス。魔王軍第四技術開発局局長。シルヴィアの影に飲まれた男。あいつがオークション会場に隠していた物か。
木箱の蓋を開けると、中には、数本の小瓶が収められていた。赤黒い液体が、瓶の中で揺れている。いや、揺れているのではない。まるで生き物のように、ドクン、ドクンと脈動している。
「これは……薬、か……?」
「はい。調べてみないと分かりませんが、キメラに関係するものである可能性が高いかと。ですが、私には正体が分かりませんでした」
あの魔族が隠していたものだ。
碌な物ではないことは確かだ。
「ミラ、これを分析できるか?」
「……やってみます。ですが、時間がかかるかもしれません」
俺は木箱を閉じた。
嫌な予感がする。
マルバスが残した物。
あいつは何を企んでいた?
そして、これは何のためのものだ?
窓の外を見ると、夕陽が沈みかけていた。赤い光が、街を血のように染めている。
この平穏が、いつまで続くのか。
俺は、胸の奥で燻る不安を押し殺しながら、屋敷の中へと入っていった。
◇
屋敷に戻り、俺たちは応接間に集まった。
テーブルの上には、ザガンが持ってきた木箱が蓋を開けた状態で置かれている。中に収められた小瓶が、薄暗い部屋の中で不気味な存在感を放っていた。
「改めて見ても、気味が悪いな」
俺は小瓶を手に取った。
赤黒い液体が、脈動していた。まるでそれ自体が生きているかのようだ。
ミラも小瓶の一本を手に取り、興味深そうに見つめていた。
彼女の目が、学者特有の輝きを帯びる。
未知の物質を前にした好奇心。だが、同時に警戒心も滲んでいた。
「……奇妙ですね。魔力の反応がある液体は今まで何度も見てきましたが……。この脈動。まるで生物のような……」
ミラが小瓶を光にかざした。赤黒い液体の中に、微かな粒子が浮遊しているのが見える。
「成分を分析しないと断言はできませんが、これは単なる薬ではないかもしれません。何か、生物由来の成分が含まれている可能性があります」
「生物由来、というと?」
「血液……。或いは……魔物の体液のようなもの」
ミラの言葉に、シルヴィアが眉をひそめた。
「魔物の体液を使った薬、ですか。それが何の目的で作られたのか、気になりますわね……ルナに使った薬と同じようなものなのでしょうか……」
「分析には時間がかかります。最低でも一週間、できれば二週間ほど」
「構わない。だが、どんなものなのか分からない。薬なのか、毒なのか……。身の危険を感じたらすぐに分析を中止してくれ」
ミラは頷いた。
彼女は木箱を大事そうに抱え、研究室へと向かった。
「ザガン、この薬以外に何か見つかったか」
「いいえ。この木箱だけでございます」
ザガンが首を振った。
「ただ、マルバスは怪しげなキメラの他にも、怪しげな実験を繰り返しておりました。我々は販売ルートの確保だけしておりましたので、マルバスがどんな実験をしていたかまでは……。これは憶測に過ぎませんが、もしかすると、この薬はキメラに使うためのものだったのかもしれません」
キメラに使う薬、か。
俺は庭で刹那と遊んでいるルナを見た。迷宮から帰って来たばかりだというのに楽しそうにはしゃいでいる。
もしこの薬が、ルナのような存在に使われるものだとしたら……。
◇
夕食は、シルヴィアの手料理だった。
迷宮で魔力を補給したとはいえ、普通の食事も必要だ。特にルナは、魔力だけでなく肉体的な栄養も摂らなければならない。成長期の子供には、バランスの取れた食事が欠かせない。
「今日はシチューですわ」
シルヴィアが鍋の蓋を開けた。湯気と共に、芳醇な香りが広がる。ゴロゴロと大きな野菜と、柔らかく煮込まれた肉。
「わあ、おいしそう!」
ルナの目が輝いた。疲れていたはずなのに、食事を前にすると一気に元気を取り戻す。現金なものだ。
「さあ、たくさん食べなさいな」
シルヴィアがルナの皿にシチューをよそった。ルナは嬉しそうにスプーンを握り、勢いよく口に運ぶ。
「あふっ、あふあふ……おいひい!」
「熱いから、ゆっくり食べなさい」
「はーい」
返事はするものの、スプーンを動かす速度は変わらない。シルヴィアが呆れたように微笑みながら、ルナの口元をナプキンで拭いてやった。
俺も自分の皿を受け取り、シチューを口にした。じっくり煮込まれた野菜の甘みと、肉の旨味が舌に広がる。香草の香りが鼻腔をくすぐり、体の芯から温まっていく。
「おお!これは美味じゃな。」
「ああ!本当に美味いな」
「ありがとうございます」
シルヴィアが嬉しそうに微笑んだ。
「疲れた時は、温かいものが一番ですわ。体を芯から温めて、疲れを癒してくださいませ」
「ああ。お前の料理を食うと、生きてるって実感するよ」
前世では、コンビニ弁当とカップ麺ばかりだった。誰かが作ってくれた温かい食事など、記憶にないほど昔のことだ。
だからこそ、この食卓が愛おしい。
食卓を囲む家族の姿。温かい料理と、穏やかな会話。これが、俺が守りたいものだ。
ミラも同席していたが、彼女は黙々と食事を進めていた。分析のことで頭がいっぱいなのだろう。時折、虚空を見つめては何かを考え込んでいる。
平和な夕食だった。
◇
食後、俺は窓際に立って外を眺めていた。
夜の帳が下り、街には灯りが点り始めている。昼間の喧騒が嘘のように、静かな夜だった。虫の声が、どこか遠くから聞こえてくる。
ふと、視線を感じた。
隣の屋敷。そのバルコニーに、男が立っていた。
金髪を後ろに撫でつけた、派手な身なりの男。トゥランドール・ヴァン・グラディウス。自称「勇者の末裔」にして、Aランク冒険者。先日、俺たちに憎らしい挨拶をした男だ。
奴は俺を見ていた。
いや、正確には、俺の背後を見ていた。
振り返ると、シルヴィアがルナを寝かしつけるために二階へ上がっていくところだった。シルヴィアの背中を、奴は舐めるような目で追っている。
不快だった。
虫唾が走るほどに。
あの目は、女を「モノ」として見る目だ。前世でも、そういう輩は何人も見てきた。会社の上層部や、取引先に媚びを売り、部下を道具のように扱い、女性社員を「福利厚生」程度にしか考えていない連中。
トゥランドールの目は、まさにそれだった。
俺が視線に気づいたことに、奴も気づいたのだろう。トゥランドールは俺に向かって、にやりと笑った。挑発するような、見下すような笑み。
『お前の女を、いずれ俺のものにしてやる』
そう言っているかのような、薄気味悪い笑みだった。
そして、わざとらしく肩をすくめてから、屋敷の中へと消えていった。
「カナメ様」
シルヴィアが戻ってきた。
「どうかなさいまして?」
「……いや、何でもない」
俺は窓のカーテンを閉めた。
あの男は、確実に何かを企んでいる。シルヴィアを狙っているのは明白だ。だが、それだけではない気がする。
だが、奴は知らない。
この屋敷に住んでいるのが、本物の捕食者だということを。
「シルヴィア」
「はい」
「しばらく、ルナを遠くへ外出させるな。近くへ行く場合でも、必ず誰かが付き添うように」
「……何かございましたか?」
「まだ分からない。だが、用心に越したことはない」
シルヴィアは何も訊かなかった。ただ頷き、俺の手を握った。
「かしこまりましたわ。私も、気をつけますわね」
「ああ」
嫌な予感がする。液体といい、あの男といい。
あの男は、いずれ何かを仕掛けてくる。その時に備えて、俺たちも準備をしておかなければならない。
だが、奴の行動は、俺の予想を遥かに超えて早かった。
翌朝、俺たちは最悪の形でそれを知ることになる。




