第4話:暴食の眷属(プレデター)
チンピラ冒険者を撃退した俺たちは、逃げるようにギルドを後にした。
背後からはざわめきが聞こえてくるが、俺の意識はそれどころではなかった。
「……くっ、頭が割れそうだ」
路地裏に入った瞬間、俺は壁に手をついた。
ズキズキと脳が脈打つ。
「どういうことだ、シルヴィア。さっき言っていた『食べ過ぎ』というのは」
俺が脂汗を流しながら問うと、シルヴィアは人差し指を口元に当て、妖艶に微笑んだ。
「私たちのような捕食者は、総じて『暴食の眷属』と呼ばれます。ダンジョンにいるミミックやマンイーターも広義の意味では同類ですが……一緒にしてほしくはありませんね」
「何が違うんだ?」
「『格』が違います」
シルヴィアはうっとりと自分の身体を抱いた。
「奴らはただ肉を喰らうだけの『下位種』。対して、私やカナメ様のような『神話級』は、概念や理すら喰らう『始祖』を超える‥‥…、生態系の頂点です」
「ネームド……?」
「ええ。世界に数体しかいない、神に仇なす災害。……ですが、おかしいですね」
シルヴィアは俺の顔を覗き込み、不思議そうに小首を傾げた。
「カナメ様ほどの『器』があれば、神話級の封印すら飲み干せるはず。それなのに、たかが人間の剣術ごときで消化不良を起こすなんて……」
「……人間の脳味噌ってのは、性能が悪いんだよ」
俺が自嘲気味に答えると、シルヴィアは「あぁ」と納得したようにポンと手を打った。
「なるほど! 人間の肉体に擬態している弊害、というわけですか。不自由な器に押し込められて、カナメ様も大変ですね」
……盛大な勘違いをしてくれたおかげで助かった。 彼女の中では、俺は「凄まじい本体を、人間の肉体に無理やり押し込んでいる高位の存在」ということになったらしい。
「ああ、全くだ。すぐに一杯になってしまって鬱陶しい」
「でしたら……溢れた分、私が戴いてもよろしいですか?」
シルヴィアが、熱っぽい瞳で俺を見つめてくる。
「戴く?」
「ええ。王子様の『排出』のお世話をするのも、お姫様の務めですから」
シルヴィアは楽しげに微笑むと、俺の腕を引いて安宿へと入っていった。
◇
銀貨1枚で借りた狭い部屋。
ベッドに腰を下ろした俺の前に、シルヴィアが立つ。
彼女はフードを外し、その銀髪をファサリと解いた。ランプの光に照らされたその美貌は、安宿の汚い壁紙には似つかわしくないほど神々しい。
「さあ、カナメ様。私に『パス』してください」
「パスって……どうやるんだ?」
「簡単です。私に口移しで食べさせてくれればいいんです。不要なスキルをイメージして、息を吐き出すように……」
「口移し?キスじゃないとダメなのか?」
「はい♪キスでないとダメなのです!」
シルヴィアが顔を近づけてくる。甘い香りが鼻孔をくすぐる。
俺が戸惑う暇もなく、彼女の冷たく柔らかい唇が、俺の唇に重なった。
「んっ……!?」
不意を突かれた俺の唇を、シルヴィアが食むように塞いだ。
単に触れ合うだけではない。渇いた砂が水を吸うように、強烈な吸引力が俺の魔力を根こそぎ吸い上げにかかる。
「ちゅ……、ん、くちゅ……ッ」
静かな部屋に、粘膜と粘膜が絡み合う水音が響く。
俺の脳を圧迫していた頭痛の種――過剰なスキルエネルギーが、彼女の柔らかい舌に絡め取られ、ドロドロと溶かされて彼女の喉の奥へと流し込まれていく。
「んん……ッ、あ……♥」
シルヴィアの喉が艶めかしく鳴った。
それは医療行為なんて生易しいものではない。文字通りの「捕食」だ。
彼女は俺の唇を、舌を、そして溢れ出る魔力の味を、一滴たりとも逃すまいと貪っている。
甘い痺れが背筋を駆け上がる。
俺が主導権を握っているはずなのに、気づけば俺の方が、彼女という「沼」に引きずり込まれそうになっていた。
「お、おい……もう十分だ、シルヴィア……!」
俺は酸欠になりかけ、慌てて彼女の肩を押した。
「ぷはっ……!」
強引に唇を引き剥がす。
その瞬間、俺と彼女の口元の間に、銀色の糸がとろりと濃厚に引いた。
「はぁ、はぁ……っ」
俺が荒い息をつく一方で、シルヴィアはまだ足りないと言わんばかりに、濡れた唇を指先でなぞっている。その瞳は、とろりと潤んで熱を帯びていた。
俺の頭痛は嘘のように消え去っていた。
「……痛みが、消えた」
無意識のうちに呟いていた。
シルヴィアはというと、うっとりとしていてどこか上の空だった。
「んー……」
シルヴィアは舌なめずりをして、味わうような仕草をした。
「甘くておいしい……」
シルヴィアが恍惚とした表情をした。
「お前もスキルに味があるのか」
「……えっ?ええ。ん……。正確に言いますと、魔力が宿っていますからそれが味になっているのですわ。カナメ様が奪ってくる力は、私にとっても最高の糧になります。……もっと、強くて美味しいスキルをくださいね? 」
妖艶に微笑む彼女を見て、俺は背筋が震えるのを感じた。
彼女は俺の剣であり、盾であり、そして俺の罪を喰らってくれるゴミ箱でもある。
言わば、最凶の共犯者だ。
「ああ、約束する。次はもっと上等なやつを食わせてやる」
「楽しみにしています♪」
俺たちはその夜、泥のように眠った。
◇
翌朝。
宿を出た俺たちを待ち構えていたのは、計算通りの人物だった。
「やあ、昨日の新人君たちだね」
爽やかな笑顔を張り付けて近づいてきたのは、昨夜ギルドの奥にいた金髪の男。
俺の視界に、彼のステータスウィンドウがポップアップする。
【対象:バクス(Aランク冒険者)】
【強奪可能:音速加速、上級剣術、短剣術】
装備からして高ランクだとは思っていたが、まさかAランクの冒険者だったとは。
『音速加速』とはなんだろうか。
俺は内心で舌なめずりしながら、表面上はビクついた演技をする。
「あ、あなたは……昨日の」
「俺はバクス。『疾風』の二つ名でパーティリーダーをやっている。」
バクスの視線が、チラリと俺の胸元――昨日の宝石を入れた懐へと向けられた。
「あのチンピラを一撃で無力化するとはね。君、Fランクとは思えない身体強化の魔法を使っていたじゃないか。……もしかして、なにか『特別なアイテム』でも持っているのかな?」
バクスはニヤリと笑っている。
カマをかけてきた。
俺は慌てたような態度で、ポケットを押さえ、視線を泳がせた。
「い、いえ! そんな大層なものは……! たまたま、相手が油断していただけで」
「ははは、謙遜しなくていい。俺には分かるよ」
バクスは俺の反応を見て、「やはりアイテムの力だ」と確信したようだ。満足げに頷くと、俺の肩を馴れ馴れしく抱いた。
「実はね、俺たち、急遽荷物持ちを探していてね。元々荷物持ちをやっていたやつが怪我でしばらく動けなくてさ」
「えっ……俺たちを、ですか? でも俺たちはFランクで……」
「ランクなんて飾りさ。君の実力を見込んでの頼みだ。どうだい? 俺たちと一緒にダンジョンに潜らないか? 報酬は弾むし、安全も保証するよ」
甘い言葉。だが、その裏にある殺意と強欲が透けて見える。
おおよそダンジョンの奥で俺たちを殺し、宝石を奪うつもりだろう。
隣にいるシルヴィアが、俺の袖をクイと引いた。彼女もこの男の狙いはお見通しのようだ。
「この男、美味しそうね」といった表情で吟味するように見つめていた。
俺は怯えたフリをして、しかしハッキリと答えた。
「……ありがとうございます。ぜひ、お願いします」
「交渉成立だ!」
バクスが満面の笑みで手を差し出してくる。
俺はその手を握り返した。
――接触。
今ここでスキルを奪うこともできる。だが、まだだ。
ここで奪えば街中で騒ぎになるし、今の俺の身体能力では逃げ切れないかもしれない。
狩場はダンジョンの中。或いは、誰の目もない密室がいい。
「よろしく頼むよ、カナメ君」
「こちらこそ、バクスさん」
俺たちは互いに腹の底で黒い笑みを浮かべながら、固い握手を交わした。




