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第37話:研究者の居場所


 ミラがこの屋敷に住み始めて、五日が経っていた。


 ベッドから起き上がり、自分の部屋を見回した。

 清潔なシーツ、柔らかな枕、広い机、本棚。これは私用に与えられた個室だ。

 ここの他に研究室まで与えられている。


 屋敷の中に自室と研究室があるのはありがたい。帰る時間を惜しんで、研究所で寝泊まりしていたことを思い出す。そうすると、翌日は疲れが取れなくて、集中が出来なかったものだ。

 ここは、研究者にとっては理想的な環境だ。遅くまで研究しても、すぐに自室で疲れを取ることが出来るのだから。


 だが、どこか落ち着かない。



「……私は、本当にここにいていいのかな」



 ミラは、小さく呟いた。


 カナメに拾われ、住む場所と食事を与えられた。仕事も貰った。

 給料も目玉が飛び出るくらい用意された。今のカナメたちの仕事が終わったら好きなことをしてくれて構わない、資金も必要であれば調達する、とも。研究者にとっては泣いて喜ぶような好条件だ。

 ここが研究者にとっての天国だと言われても、私は否定しない。


 だが、それは「雇用関係」に過ぎない。自分は、この家族の一員ではない。

 居心地はいいが、どことなく感じる疎外感は、そのせいだろう。


 少なくとも、ミラはそう思っていた。



   ◇



 朝食の後、ミラは自室で『飢餓の迷宮』の詳細な位置の特定のため励んでいた。


 だが、集中できない。


 昨夜、カナメたちが楽しそうに夕食を囲んでいる光景を思い出す。

 シルヴィアの手料理、ルナの笑い声、刹那の毒舌、カナメの穏やかな表情。


 自分も一緒に食卓を囲んだ。だが、どこか疎外感を感じていた。

 彼らは「家族」だ。自分は「雇われた人間」だ。同じ食卓にいても、立場が違う。


 そんなことを考えていると、コンコンと扉がノックされた。



「ミラさん、よろしいですか?」



 シルヴィアの声だ。



「は、はい。どうぞ」



 扉が開き、シルヴィアが入ってきた。

 銀色の髪が、窓からの光を受けて輝いている。



「お茶でもいかがですか? 庭で淹れましたの」



「え……私も、ですか?」



「もちろんですわ。ミラさんも、です」



 シルヴィアが、にっこりと微笑んだ。

 ミラは戸惑いながらも、シルヴィアについて庭に出た。



   ◇



 庭には、小さなテーブルとベンチが置かれていた。

 テーブルの上には、ティーポットとカップ、そして焼きたてのスコーンが並んでいる。



「どうぞ、お座りになって」



 シルヴィアが、椅子を引いてくれた。

 ミラは緊張しながら腰を下ろした。


 シルヴィアが紅茶を注いでくれた。

 芳醇(ほうじゅん)な香りが、鼻腔を満たす。



「……美味しいです」



「それは良かった。この茶葉、カナメ様が買ってきてくださったんです」



 シルヴィアが、嬉しそうに語り始めた。



「カナメ様は、こういうところが細やかなんですの。私が紅茶が好きだと知ったら、わざわざ専門店まで行って、頭を悩ませながらお店の人一緒に茶葉を選んできてくださったそうですわ」



 クスクスとシルヴィアが笑う。



「……カナメさんは、優しい方なんですね」



「ええ。口では厳しいことを言いますけれど、本当は誰よりも家族想いなんですわ」



 シルヴィアの目が、柔らかく細められた。



「ミラさん」



「は、はい」



「ここでの暮らしは、合わなかったでしょうか?」



「え……」



 ミラは、言葉に詰まった。

 シルヴィアが、穏やかな声で続けた。



「夕食の時も、ミラさんはどこか上の空です。お料理が美味しくない……、とかでしょうか?」



 シルヴィアが心配そうな顔で聞く。



「い、いえ!そんなことは……!お料理はとっても美味しいですし……環境も最高です。ただ……」



「ただ?」



「皆さんは家族ですけど、私はただの部外者で……正直、私が居ていいのかなと思っています」



 シルヴィアがクスクスと笑った。



「そんなことでしたか」



 シルヴィアが、ミラの手を取った。

 冷たいと思っていた手は、意外なほど温かかった。


 シルヴィアが、ミラを真っ直ぐに見つめた。



「いいに決まっています!」



 女神のように美しくて、優しい笑顔。



「シルヴィアさん……」



「だから、ミラさん。遠慮なんてしないでくださいな。この屋敷は、ミラさんの家でもあるのですから」



 シルヴィアが、優しく微笑んだ。

 その時、庭に小さな影が飛び込んできた。



「ミラおねーちゃん!」



 ルナだった。

 金色の髪を振り乱し、満面の笑みで駆け寄ってくる。



「遊ぼう、遊ぼう!」



「え、遊ぶ……?」



 ミラは戸惑った。


 子供と遊んだ経験など、ほとんどない。学校は飛び級していたから周りは自分よりも年齢が上だったし、師匠と二人きりで暮らしていた頃は、同年代の子供と接する機会すらなかった。



「でも、私は仕事が……」



 だが、ルナは聞く耳を持たない。



「だって、ミラおねーちゃん、ずっとお部屋にいるんだもん。つまんなくない?」



「つまんない……?」



「うん! お外で遊んだ方が、楽しいよ!」



 ルナが、ミラの手を引っ張った。

 その手は小さくて、温かかった。



「ミラさん、少しくらいなら、いいのではありませんか?それともご迷惑でしょうか……?」



 シルヴィアが、眉毛を下げて見つめてくる。

 こんな美しい女性にそんな顔をされたら、男でなくとも、断れる人間はいないだろう。



「ぜ、全然!迷惑では……!!……分かりました。少しだけなら」



「ありがとう!ミラおねーちゃん!!」



 ミラは立ち上がり、ルナに手を引かれるまま庭を歩き始めた。



   ◇



 ルナは、庭中を走り回った。

 蝶を追いかけ、花を摘み、木登りをしようとしてシルヴィアに止められた。


 ミラは、その様子を見守っていた。

 子供というものが、こんなにもエネルギーに満ちた存在だとは知らなかった。



「ミラおねーちゃん、こっち来て!」



 ルナが、花壇の前で手招きした。

 ミラが近づくと、ルナが一輪の花を摘んで差し出した。



「はい、プレゼント!」



「……私に?」



「うん! ミラおねーちゃん、いつも難しい顔してるから。お花があれば、笑顔になれるかなって」



 ミラは、小さな花を受け取った。

 黄色い花弁(はなびら)が、陽光を受けて輝いている。


 胸の奥が、温かくなった。



「……ありがとう、ルナちゃん」



「えへへ、どういたしまして!」



 ルナが、満面の笑みを浮かべた。



 ――隣の屋敷から、ニヤニヤとこちらを見てくる男がいた。



 その男は、シルヴィアを品定めするかのように、ねっとりと彼女を見つめていた。

 その後、男は屋敷の中へと戻っていった。

 男に対して、ミラは薄気味悪さを覚えた。


 そして、この直感は、決してミラの気のせいではなかった。



   ◇



 夕食後、カナメがミラに声をかけた。



「ミラ、少しいいか?」



「は、はい」



 ミラは緊張しながら、カナメの後についていった。

 応接間のソファに座ると、カナメが紅茶を淹れてくれた。



「今日、シルヴィアとルナと一緒にいたそうだな」



「はい……。すみません、仕事を(なま)けてしまって」



「いや、別に責めようとしているわけじゃないんだ。むしろ、良かったと思っている」



「え……?」



 カナメが、ミラを真っ直ぐに見つめた。



「体は初めて会った時に比べれば覇気があるが、目にも(くま)があるし、夜更かしして働いてくれているんじゃないか?」



「はい……。貢献しなければと思って」



「その気持ちは嬉しい。でも無理はしないでくれ」



 カナメが紅茶を啜った。

 紅茶のいい香りが部屋に充満している。



「それともう一つ。ミラ、食事の時以外は、ずっと部屋に(こも)っているだろう。もしかして、お前は俺たちのことを避けていないか?ここでの居心地が悪いようなら、この屋敷以外の場所を用意するぞ」



 ミラは、言葉に詰まった。

 図星だった。

 まるで心の中を見透かされているかのようだった。



「……私は、ここにいていいのか、分からなかったんです」



「なぜだ?いいに決まっている。それとも、無理やり連れて来て、迷惑だったか?」



「いえ、迷惑ではありません!ただ、私は……ただの雇われた人間で。皆さんは家族で。私だけが、部外者のような気がして……。家族の時間を邪魔してはいけないような気がして……」



 ミラの声が、小さくなっていく。

 カナメが、ため息をついた。



「なんだ、そんなことか」



 カナメは安心したかのように、紅茶を一口啜った。

 シルヴィアと全く同じ反応だった。



「ミラ。お前はもう、うちの家族のようなものだろう」



「……え」



「俺は確かに雇うとは言った。そこには金銭も発生している。だが、お前からは、もっと深い、見返りを求めない奉仕のようなものを感じる。無償の愛のようなものだ。

 現に俺たちのために睡眠を削って、頑張ってくれている。お前は今、この屋敷で暮らし、俺たちと同じ食卓を囲み、俺たちの力になろうとしてくれている。それはもう、立派な家族の一員だろう」



 カナメの声は、静かだが、確かな重みを持っていた。



「俺だけじゃない。シルヴィアも、ルナも、刹那も、きっとお前のことを家族だと思っている」



「……カナメさん」



 ミラには、本当の家族がいる。

 だが、その関係は冷え切っていた。ミラは子供の頃から家族というものがどういうものなのかよく分かっていなかった。


 学院卒業後、ミラは師匠の家に転がり込んだ。

 家を出てからもう十年以上も本当の家族とは会っておらず、ミラが家族と呼べる存在は、もはや師匠だけだった。

 だが、その師匠も、今はこの世にはいない。


 この温かな家族は、ミラにとっては眩しすぎるくらい輝いたものだった。

 だからこそ、どう関わればいいのか分からなかったし、こんな優しい温かな家族だからこそ、ミラは関わることが怖かった。



「だから、遠慮しなくていい。俺たちは、お前がいてくれて嬉しいんだ。困ったことがあれば力になりたいと思っている」



 ミラの目から、涙が溢れた。


 カナメは、自分に「俺にはお前が救世主に見える」と言ってくれた。家族を救う救世主、と。

 だが、本当に救われたのはカナメたちではなく、ミラの方だった。師匠がこの世を去り、唯一の居場所であった研究所も追放され、孤独に一人野垂れ死にするはずだった。全てを諦めて、命が潰えるはずだった。

 そんな中に現れたカナメは、自分に差し込んだ一筋の光明(こうみょう)だった。カナメは、まさにミラにとっての救世主そのものだった。



「私……師匠が亡くなってから、こんな風に言われたのは、初めてです」



「……そうか」



「師匠と二人で暮らしていた時も、温かかった。でも、師匠が亡くなって、研究所を追われて……もう、誰にも必要とされないと思っていました」



 ミラが、涙を拭った。



「でも、カナメさんは……皆さんは……私のことを……」



「ああ。俺たちはお前を必要としている。別にお前の知識や、能力がどうとかという話じゃない。お前自身が必要なんだ」



 カナメが、静かに言った。



「だから、ここにいてくれ。ここが、お前の居場所だ。お前の家だ。まあ、他にいい場所を見つけたらそっちに行ってくれてもいいんだけどな」



 冷徹な男だと思っていたカナメが少し照れ臭そうに笑った。


 ミラは、深く頭を下げた。



「……ありがとうございます。カナメさん」



「礼を言うのは、俺たちの方だ。お前が来てくれて、本当に助かっている」



 カナメが静かに笑った。



「さて、夜も遅くなってきたな。今日はあまり無理せずにちゃんと休んでくれよ」



「はい……。おやすみなさい、カナメさん」



「ああ、おやすみ」



   ◇



 自室に戻ったミラは、窓の外を見つめた。


 月が、煌々(こうこう)と輝いている。



「師匠……」



 ミラは、小さく呟いた。



「私、居場所を見つけました。温かくて、優しくて、私を必要としてくれる場所」



 ルナから貰った黄色い花が、机の上で揺れている。



「だから、見ていてください。私、この家族のために、頑張ります」



 ミラは、花を見つめながら、静かに微笑んだ。



 明日も、頑張ろうと思えた。

 この家族の力になるために。

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