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第36話:妖刀の黄昏


 翌朝、ミラは見違えるような姿で現れた。


 シルヴィアが用意した清潔な服に着替え、髪も丁寧に()かれている。白いブラウスに、落ち着いた色合いのスカート。昨日まで路上で行き倒れていた女とは思えない。まだ頬はこけているし、目の下の(くま)も完全には消えていないが、目には確かな生気が戻っていた。


 たった一晩、温かい食事と安らかな眠りを得ただけで、人はここまで変わるものなのか。(ある)いは、それだけ彼女が追い詰められていたということか。



「おはようございます、カナメさん」



「ああ。体調はどうだ」



「おかげさまで、だいぶ回復しました。まだ少しふらつきますが、問題ありません」



 ミラが力強く頷いた。その目には、研究者としての矜持が輝いている。

 朝食の席には、シルヴィアとルナ、そして刹那も同席していた。


 刹那は半実体化した姿で、湯呑みを片手に茶を啜っている。ミラを見る目には、値踏みするような光があった。



「ふむ。昨日の行き倒れが、随分とまともになったものじゃな」



「刹那、失礼ですわ」



「事実を言っただけじゃ」



 ミラは刹那を見て、目を丸くしていた。

 シルヴィアだけでなく、刹那もまた、普通の人間ではないことに気付いたようだ。



「あの……もしかして、その方も、暴食の眷属(プレデター)ですか?」



「いかにも。わらわは【妖刀・刹那】。【始祖(オリジン)(クラス)暴食の眷属(プレデター)じゃ」



始祖(オリジン)(クラス)……。始祖級は、種族の頂点に立ち、災厄を(もたら)す存在……。暴食の眷属(プレデター)の上位種……」



 ミラが息を呑んだ。研究者として、その言葉の意味を理解したのだろう。



「じろじろ見るでない。喰われたいのか?」



「す、すみません……」



 ミラが慌てて視線を逸らす。威圧的な言葉だったが、刹那はにやりと笑っており全く悪意はなかった。ただ、からかっているだけだ。



「パパ、パパ」



 ルナが、俺の袖を引っ張った。



「ミラおねえちゃん、もう元気?」



「ああ。もう大丈夫だ」



「よかった。昨日、すごく苦しそうだったから、ルナ心配だったの」



 ルナの目が、真っ直ぐにミラを見つめている。純粋な心配の色。この子は、他人の痛みに敏感だ。



「ありがとう、ルナちゃん。心配してくれて」



 ミラが、少し照れたように微笑んだ。



「あの、カナメさん」



「何だ?」



「迷宮探索の目的を、教えていただけますか?未踏の迷宮は本来、半年一年……、いや、もっと時間を掛けて行うものです。命の危険もありますから、念入りに準備をしておこなうものです。こうも急いで探索するには、それなりの理由があるはずです」



「……確かに理由を話していなかったな。食料調達だ」



「食料……?」



 ミラが首を(かし)げたが、直ぐに察したような顔をした。



「……なるほど。だから、高ランクの魔物が必要なのですね」



「察しがいいな」



「昨日、シルヴィアさんの魔力の流れを見て、ある程度は推測していました。彼女は普通の人間ではない、暴食の眷属(プレデター)の上位種……。刹那さんもそうですが、これだけの魔力を維持するためには、元となる供給源が必要でしょう。それで、『食事』なんですね?」



「そうだ。俺たちの『食事』は、普通の食材では(まかな)えない」



 ミラの目が、僅かに細まった。研究者の目だ。

 純粋な知的好奇心だけが、そこにあった。



「……面白い」



 ミラが、小さく笑った。



暴食の眷属(プレデター)の上位種と共に、古代の迷宮を探索する……!研究者としてこれ以上の幸運はありません……!」



 まるで新しいおもちゃを買ってもらった少女のように興奮と好奇心に満ちた目を、キラキラと輝かせていた。



「もちろん、俺たちが守るとはいえ、少なからず危険が伴うところではあるんだぞ?」



「もちろん、承知しております!最悪死ぬことになるということも!」



 ミラの目が、遠くを見るように細められた。記憶の底にある宝物を見つめるように、優しい表情で。



「ですが、師匠がよく言っていました。『真の研究者は、書庫の中だけで満足してはいけない。自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の手で触れてこそ、本当の知識が得られる』と



「いいお師匠さんだったのですね」



 シルヴィアも優しい眼差しでミラを見つめる。



「ええ。厳しくて、偏屈で、世間知らずで……でも、誰よりも研究を愛していた人でした。まあ、私は師匠よりも世間知らずですが」



 ミラが照れ臭そうに笑った。



    ◇



 夕の光が街をオレンジ色に染め上げていた。俺はミラに『飢餓の迷宮』の詳細な位置の特定を任せている間、【妖刀・刹那】を腰に差して、街の外れにある丘に向かって歩いていた。



「風が心地よいのぅ」



 刹那が穏やかな表情で隣を歩いていた。



「それにしても、夕陽を見たいと言うとは思わなかったな」



 屋敷にいる時、刹那は人の姿を取ることが多い。だが、俺から離れると魔力の供給が途絶えるため、刹那は一人で外出することは出来ない。『飢餓の迷宮』の探索が控えているため、少しでも息抜きをしてほしいと思ったのだ。

 刹那に行きたいところはあるかと尋ねたところ、彼女は、夕陽が見たいと言ったのだ。



「……酒を飲むにしては少しばかり明るすぎるしのぅ。今日はこれを(もっ)て慰みとしようと思っただけじゃ」



 刹那が目を細めながら言った。

 言葉の上では素直ではないが、刹那の語気はどこか嬉しそうだった。



   ◇



 丘の上に着くと、俺は草の上に腰を下ろした。

 刹那の本体である刀を膝の上に置き、夕陽を眺める。


 眼下には、ザラダスの街が広がっていた。赤と橙の光が、石造りの建物を黄金(こがね)色に輝かせている。遠くで鐘の音が響き、(からす)が鳴きながら空を横切っていく。



「……悪くない眺めじゃな。懐かしさを感じるのぅ」



 半実体化した刹那が、俺の隣に座ってぽつりとつぶやいた。



「ああ」



 俺は、刀身に手を添えた。冷たい鋼の感触。だが、その奥には確かな温もりがある。



「なあ、刹那」



「何じゃ」



 刹那は夕陽を眺めたまま答えた。



「お前は、過去にもこうやって夕陽を見ることがあったのか?」



 少しの沈黙があった。



「……さあな。覚えておらぬ」



 嘘だろう、と思った。だが、追及はしなかった。


 刹那もまた、シルヴィアと同じく数百年を生きた存在だ。彼女らには俺には想像もつかない過去があるだろう。話したくないことも、あるだろう。



「小僧」



「何だ」



「貴様は、妙な男じゃな」



「急にどうした?」



「わらわは、多くの者に使われてきた。まあ、ほとんどが一瞬で生気を吸われ絶命したがな」



 刹那の声が、静かに響いた。



「『名刀』として(あが)められることもあった、『妖刀』として恐れられることもあった。マフィアどもに関しては、裏切り者にわらわを握らせて『処刑道具』として扱っておったわ」



 刹那が呆れたように笑った。



(みな)一様(いちよう)にわらわの意思など、誰も気にせなんだ』



「……」



「だが、貴様らは違う。貴様も、銀髪の怪物(シルヴィア)も、騒がしい娘(ルナ)も、わらわのことを一つの命として扱う」



 刹那の声に、僅かな戸惑(とまど)いが混じっていた。



「貴様はわらわに命令せん。『頼む』のだ。わらわを『刹那』と呼ぶ。刀として呼ぶのではなく、一個の命として名を呼ぶ。

 シルヴィアはわらわの分の食事を当たり前のように用意し、

 ルナはわらわを『せっちゃん』などと呼び、一緒に遊んで欲しそうにしている。

 暴食の眷属(プレデター)(よしみ)という風でもない、もっと違う接し方をするのじゃ」



「当たり前だろう。お前は道具じゃない」



「……ふん」



 刹那が、小さく笑った。



「そういうところが、妙だと言っておるのじゃ」



 夕陽が、ゆっくりと沈んでいく。

 空が、赤から紫へと変わっていく。



「小僧」



「何だ」



「この暮らしは、悪くない」



 刹那の声が、僅かに柔らかくなった。



「温かい食事、柔らかい寝床。シルヴィアとルナの笑い声。そして——貴様という(あるじ)。数百年を生きてきたが、こういう日々は……久しくなかった」



「俺もだ」



 俺は、刹那の本体である刀の柄を握った。



「以前の俺には何もなかった。守るべきものも、共に戦う者も。だが、今は違う」



「……」



「お前がいる。今の俺には、家族がいる」



「家族、か」



 刹那が、その言葉を()み締めるように呟いた。



「わらわも、その『家族』とやらに入れてもらえるのかのう」



「なんだ、毎日メシを食っているくせにまだ他人のつもりだったのか。酒の量も半端じゃないし、金のかかる『家族』だと思ってたぞ」



 刹那は俺の顔を見てクスクスと笑った。



「……それもそうじゃな。そうか……もう『家族』だったのか」



「……俺は強欲でな。一度手に入れたものを手放さない主義でな」



 視界の下には、夕日で黄金色に染まる街が広がっていた。



「この平穏も、あいつらの笑顔も……もちろん、お前のこともだ。どれか一つでも手放すつもりもないし、誰にも譲る気はない」



「……」



 刹那が口を閉ざした。

 赤い瞳が、俺の顔をじっと見つめる。



「……強欲、か」



 彼女は小さく鼻で笑うと、何事もなかったかのように視線を夕陽へと戻した。その横顔に、ほんの少しだけ、柔らかな色が混じる。



「カッカッ!全くどいつもこいつも、勝手なことばかりぬかしおるわ」



 その声は、呆れているようでいて、どこか懐かしい温もりを噛み締めているようだった。

 俺は、立ち上がり、 【妖刀・刹那】を腰に差し直した。



「さて、そろそろ戻るか。シルヴィアに見つかる前にな」



「あの女は口うるさいからのう。遅くなると小言を言われる」



「お前も言われる側だろうが」



「知らぬ。わらわは関係ない。貴様が勝手に連れ出しただけじゃ」



 俺は苦笑した。



   ◇



 丘を下り、街に入ったところで、路地の影から男が現れた。


 痩せぎすの中年男。目つきが悪く、口元には(いや)しい笑みが浮かんでいる。その後ろには、屈強(くっきょう)な男が二人。明らかに、堅気(かたぎ)ではない。



「おやおや。夕方のデートですかな?」



 さっきのチンピラといい、今日は面倒ごとが多い日だ。

 男が、慇懃(いんぎん)な態度で近づいてくる。だが、その目は油断なく俺を観察していた。



「カナメさん、でしたかな。この街で随分と派手に動いていらっしゃる」



「……誰だ?俺に何の用だ」



「いえいえ。ただ、支部長殿が気になっておられましてな」



 ――支部長。この街のギルド支部長のゴズのことか。

 黒竜商会との取引で甘い汁を吸っていた男。俺が商会を制圧したことで、利権を失ったというあの男か。



「支部長殿は、あなたのことをとても……ええ、とても気にかけておられます」



 男の目が、下卑(げび)た光を帯びた。



「この街で冒険者をやるならば、支部長殿との関係は大切にされた方がよろしいかと。あの方は王都の伯爵とも縁故である。ご挨拶(あいさつ)の一つでも、いかがですかな?」



 要するに、脅しだ。

 俺は、男の目を真っ直ぐに見返した。



「伝えておけ」



「は?」



「ゴズに。俺に手を出すなら、相応の覚悟をしろ、とな」



 男の顔が、一瞬強張(こわば)った。

 だが、すぐに笑みを取り繕う。



「これはこれは。随分と強気でいらっしゃる。ですが、この街で冒険者風情がギルドに(にら)まれては——」



「殺されたいか?蛆虫(うじむし)ども」



 刹那の声が響いた。


 同時に、俺の周囲の空気が変わった。濃密(のうみつ)な殺気が、霧のように立ち()める。始祖級が放つ、本能的な威圧(いあつ)



 男たちの顔から、血の気が引いた。



「な、なんだ……?この女……?!」



「ひっ……!」



 屈強な男たちが、膝を(ふる)わせている。



「消えろ」



 俺は、【妖刀・刹那】の切っ先で男の頬の表面を撫でた。

 頬がぱっくりと割れ、一筋の血が流れる


 男たちが、化け物でも見たかのような表情で退散する。



「……ふん。雑魚じゃな」



「ああ。だが、ゴズが動き出したか。こちらから関わらなければ害はないと思っていたが……面倒だな」



「どうする?」



「いや、今は放っておこう。迷宮探索が優先だ」



 俺は、歩き出した。



「ゴズの相手は、後でいい。今は、家族を飢えから救うのが先だ」



「ふむ。まあ、妥当な判断じゃな」



 刹那が、納得(なっとく)したように言った。



「だが、奴が本格的に動くようなら——」



「その時は、容赦しない」



「うむ。それでよい」



 俺たちは、屋敷の中に入った。

 温かい光が、玄関を照らしている。夕食の匂いが、奥から漂ってくる。



「……悪くない」



 刹那が、小さく呟いた。



「悪くないのう、この暮らしは」



 刹那の声は穏やかだった。




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