第35話:拾われた研究者
屋敷に戻ると、シルヴィアが玄関で待っていた。
「お帰りなさいませ、カナメ様。その方が……」
「ああ。ミラだ」
シルヴィアの目が、ミラの姿を見て悲しげに細められた。
飢えにより骨が浮いている。肉も脂肪もギリギリ生きられる最低限しかついていない。
「お可哀想に……すぐにお食事を用意しますわね」
俺たちはミラをダイニングに連れていき、椅子に座らせた。ミラは周囲を見回している。豪華な調度品、磨き上げられた床、高い天井。路地裏とは別世界の光景に、戸惑っているようだった。
しばらくして、シルヴィアが温かいスープとパンを運んできた。湯気の立つスープ。こんがりと焼けたパン。野菜の甘い香りが、ダイニングに広がった。
「……いただいても、よろしいのですか……?」
ミラの声が震えていた。目の前の湯気を、まるで幻を見るかのように見つめている。
「当たり前だ。遠慮するな」
ミラが、震える手でスプーンを取った。銀のスプーンが、カチカチと器の縁に当たる音がする。一口啜ると、その目から涙がこぼれ落ちた。
「……美味しい」
声が震えていた。
「温かい……こんなに温かい食事は、いつ以来でしょうか……」
ミラは泣きながらスープを飲んだ。パンをちぎり、スープに浸して食べる。むせそうになりながらも、必死に食べ続ける。
その姿を、シルヴィアは静かに見守っていた。彼女の目にも涙が光っている。自分もかつて、封印され、長い間飢えていたから。その苦しみを、誰よりも知っているから。
「ゆっくり食べてくださいね。おかわりもありますから」
「……ありがとう、ございます」
ミラが涙を拭いながら頭を下げた。
◇
食事を終えたミラは、見違えるように生気を取り戻していた。まだ疲労の色は濃いが、目には知性の光が戻っている。
「ご馳走様でした。……それで、私に頼みたいこととはなんでしょうか?」
「これを読んでほしい」
俺は、ザガンから預かった羊皮紙をテーブルに広げた。ミラが身を乗り出して覗き込む。その瞬間、彼女の目が一変した。鋭く、集中した眼差し。研究者の目だ。
「古代エルダ語ですね……。千年以上前の文献です」
「読めるのか?」
「ええ」
ミラは羊皮紙に顔を近づけ、指で文字をなぞりながら読み始めた。
真剣な眼差し。先ほどまで死にかけていた者とは思えない、生気があった。
「この街のちょうど下あたりでしょうか……『飢餓の迷宮』という古代遺跡があるようです」
解読に要した時間は、ほんの数分だった。俺がテーブルの真上から文字を眺めている間に、千年以上前の言語を読み解いてしまった。ザガンが彼女を天才と呼んだ理由が、今なら分かる。
「どんな場所なんだ?どこにあるかまで詳しく分かるか?」
「『暴食の眷属』と呼ばれる種族がかつて棲息していた場所のようです。ミミックやマンイーターが属する種族のことですね……。いえ、棲息、というよりは、彼らの餌場のような場所のようですね」
暴食の眷属。
シルヴィアが、小さく息を呑んだ。
「餌場?」
「はい、養殖場……とでも言った方が正しいかも知れませんね」
ミラが口元に手を当て、目の前のボロボロの羊皮紙を見つめながら続けた。
「『暴食の眷属』は他の生物を喰らう種族です。魔物や魔族は概して、他の生物・魔物の肉や血を食料としますが、彼等はもっと根源的な意味での捕食者です。上位種になると概念的な物まで喰らう個体もいる……と言われています」
俺は、刹那が以前、ガランド戦で見せた技を思い出した。ガランドの技術ごと喰らった技を。
そして、マルバスの魔術ごと消化したシルヴィアを。
「彼等の養殖場であるならば、恐らく高ランクの魔物が出現する危険な場所の可能性が高いかと……」
ミラがごくりと唾を飲み込んだ。
「高ランクの魔物が居るならそれこそ俺たちが求めていた理想の場所だな。今すぐ行くことは可能か?」
「いえ、この遺跡の詳しい場所までは……おおよその位置は分かりますが、正確な位置の特定となると、もう少しお時間をいただきたいです」
「分かった。では急ぎで正確な位置を特定してもらいたい」
まるで光が射したかのようだった。これでシルヴィア達の飢えを満たすことが出来るかも知れない。
「ミラ」
「はい」
「お前を雇いたい」
ミラが目を見開いた。
「お前の知識と能力を、俺たちに貸してくれ。代わりに、住む場所と食事を保証する。もちろん給料も出す。それと——」
俺は一度言葉を切った。
「——研究環境も、だ」
「研究……環境?」
「この屋敷の一室を与える。広い屋敷だ、足りなければもっと部屋を与えてもいい。好きに改造してしまって構わない。設備に必要な金も全て出す」
ミラは驚きのあまり絶句しているようだった。
「それと迷宮とやらの場所が分かったら、探索に同行してもらいたい。俺たちが必ず守る、身の安全は絶対に保障する。もちろん、危険な遺跡だ……無理にとは言わないが、来てくれたら助かるよ」
「それは……願ってもないことです。私の師匠が研究したのは古代魔術理論と魔力循環です……。未踏の古代遺跡ならば、《《研究を引き継ぐ者》》として、是非とも足を踏み入れたい場所です」
ミラの瞳に、研究者としての炎が灯る。しかし同時に困惑している風でもあった。
「でも、なぜそこまで……」
そう思うのも当然だろう。突然現れた男が、都合のいい条件を提示してくるのだから。
「お前は優秀だ。優秀な人材を腐らせるのは、損失だ。そして何より、俺にはお前が救世主に見える。俺たち家族を救ってくれる救世主に」
俺は本心を言った。そして、路地裏でミラが言っていたことを思い出す。
――『師匠の研究は違いました。古代魔術の『根本原理』を解明しようとしていた。なぜ古代人はあれほどの魔術を行使できたのか。魔力はどのように循環し、どのように形を成すのか。その答えが分かれば、現代の魔術体系を根底から覆すことができる……はずでした』
ひょっとしたら、俺の【万能強奪】のことや、シルヴィア達が他者から魔力を喰らう以外にも魔力を補給出来る方法なんかも分かるかも知れない。
そして何より、ミラは俺たちの救世主だ。彼女をあそこで野垂れ死にさせるのはあまりにも大きな損失だ。彼女は適切な環境で、存分に才能を振るうべき人材だろう。
ミラの目に、再び涙が滲んだ。だが今度は、悲しみの涙ではない。
「……ありがとうございます」
ミラが深く頭を下げた。
「この恩は、必ず返します。私の知識のすべてを、あなた方のために使います」
だが、ミラはまだ何か言いたそうにしていた。
さっきからシルヴィアへちらちらと視線を送っていた。
「どうかしたか?」
「あの……失礼ですが」
ミラが、俺とシルヴィアを交互に見た。その目には、研究者特有の好奇心が宿っている。
「そこの銀髪の方は、普通の人間ではありませんね?」
「……何故そう思う?」
「魔力の流れが、通常とは異なります。……見たことのない魔力循環パターンです」
さすがは古代魔術理論と魔力循環の専門家だ。数日間飢えていても、観察眼は衰えていない。
俺は正直に答えることにした。
「彼女は、暴食の眷属だ」
ミラの目が見開かれた。
「さっき読んだ羊皮紙の……、あの……暴食の眷属ですか……?」
「ああ。もっとも、低位の魔物とは比べ物にならないがな」
さっきミラが言ったミミックやマンイーターは、暴食の眷属の中でも下級の存在だ。ダンジョンで普通に出現する魔物。装備や人の肉を喰らう程度の、ただの魔物に過ぎない。
だが、シルヴィアは違う。魔力そのものを喰らい、力に変える。それが、上位種と下位種の決定的な差だ。
ミラは興奮を抑えきれないようで表情でこちらを見た。
「ええ、抑えていても分かります……!その身体から漏れる魔力は決して下位種の出せるそれではありません……!暴食の眷属の上位種は、文献でしか知りませんでした。魔力循環の構造も、通常の生物とは全く異なると言われています。これは……学術的にも非常に——」
「研究対象として見るのは構わない。だが、他言は無用だぞ?」
「も、もちろんです。すみません、少し興奮しすぎてしまいました」
ミラが慌てて両手を振った。その眼には興奮と好奇心が宿っている。
その様子に、シルヴィアが小さく笑う。
「ふふ、面白い方ですわね」
「そうだな。ザガンの言う通り、少しクセはあるがな」
ミラが恥ずかしそうに頭を掻いた。
「シルヴィア、ミラに部屋を用意してやってくれ。今日はゆっくり休ませてやろう」
「かしこまりましたわ」
「ミラ、今日はゆっくり休んでくれ。また明日からよろしく頼む」
「分かりました。お任せください」
ミラが力強く頷いた。その目には、もう路上生活者の影はない。研究者としての誇りと、新しい居場所を得た喜びが輝いていた。
家族たちの前に、希望の光が現れた。
一人の天才の手によって。




