第26話:月蝕の神喰らい
「な……馬鹿な……」
マルバスが後ずさる。彼の計算では、内部からの破壊は物理的に不可能なはずだった。仮に失敗作の邪魔があったとしても、それを成し遂げるには、空間の座標維持能力を上回る、「世界そのものを侵食する」レベルの出力が必要になるからだ。
「あり得ない……。貴様、一体何者だ……?」
マルバスの問いに、女は答えなかった。
その紫色の憎悪に満ちた瞳が、マルバスを射抜く。
――殺される。
マルバスの背筋に、生まれて初めての「悪寒」が走った。
今、たった一人の「女」に対して、生物としての根源的な恐怖を感じている。
「それなりの味はしそうですわね」
怪物が微笑む。
その背後の影が、無数の牙を持つ巨大な顎となってガチガチと歯を鳴らしている。
「ふ、ふざけるなッ! 私を誰だと思っている! 魔王軍技術局長、マルバスだぞッ!」
マルバスが吠える。
恐怖を怒りで塗りつぶし、彼は両手を突き出した。
「消えろ! 上級魔術【螺旋穿孔雷】ッ!!」
会場の空気が焦げ付く臭いと共に、数億ボルトの蒼き雷撃がバリバリと音を立てて顕現する。
それは雷の槍となって、女の頭上に雨のように降り注いだ。
速度は光速。回避不能の必殺魔術。
だが、目の前の光景はマルバスが期待していたものとは違った。
「……アラ。少し刺激が強いですけれど、食前酒には悪くありませんわね」
怪物は動かなかった。
彼女の足元から伸びた影が、まるで花が開くように展開し、降り注ぐ雷撃を受け止めたのだ。
水で満たされたバケツの中にタバコを捨てたように、そんな軽い音がしただけだった。
超高熱の雷が、影に触れた瞬間、ジュースのように吸い込まれ、消滅した。
「な……ッ!?」
「んーー……ピリピリして、炭酸水のようですわ。……おかわり、あります?」
怪物がペロリと唇を舐める。
無傷。いや、それどころか魔力を吸収し、肌艶が良くなっている。
「馬鹿な……! 雷属性が無効だと!? 」
「無効? 可哀想に……、弱者は自分の物差しでしか測れないのですね」
目の前の怪物は、ゴミを見つめるような目でマルバスに吐き捨てた。
マルバスが次々と魔術を展開する。
「ならば、これでどうだッ!【紅蓮地獄】ッ!!」
全てを焼き尽くす地獄の業火。
――怪物の影が、大口を開けて丸呑みにする。
「少し焦げ臭いですわね。焼きすぎです」
「【絶対零度】ッ!!」
分子運動を停止させる極低温の吹雪。
――だが、またしても怪物の影が、冷気ごと空間を食らい尽くす。
「冷たくて美味しいですわ。ソルベみたい」
「【真空断層】ッ!!」
防御不能の空間切断。
――影が切断された端から増殖し、元通りに繋がる。
「形が崩れてしまいました。……食べるのに苦労しますわ」
撃てども、撃てども。
魔術が、物理攻撃が、呪いが。
全てが彼女の「影」に触れた瞬間、無力化され、吸収されていく。
それは戦闘ではなかった。
「は、ぁ……はぁ……ッ!」
マルバスが肩で息をする。
魔力はまだ残っている。だが、精神が摩耗していく。
通じない。何一つとして、この女には届かない。
自分が戦闘に秀でたタイプではないことを差し引いても、ここまで圧倒的な差が生まれることなどあってはならないのだ。
「もうおしまいですか?」
怪物が一歩、足を踏み出す。
ヒールが床を叩く音が、死へのカウントダウンのように響く。
「貴方の魔力、中々に濃厚でコクがありますわ。……メインディッシュへの期待が高まります」
「ひっ……!」
マルバスが後ずさる。
ただひたすらに喰らい、奪い、消化する――。恐ろしい化け物から逃げるように。
「く、来るな……! 近寄るなぁッ!!」
マルバスは、切り裂いた空間から四角い箱を取り出した。
「これを使うつもりはなかったが仕方あるまい……!!見るがいい、城一つすら飲み込む強大な魔力を持つ古代遺物の力を!!【虚空の崩落】ッ!!!!」
マルバスは四角い箱に魔力を注いだ。
途端に、空間そのものが悲鳴を上げる。
そして、マルバスの両手の間に、直径数メートルの漆黒の球体が顕現する。
触れたもの全てを飲み込み、虚無へと還す絶対的な破壊の権化。
己の魂と魔力を代価に放つ。
使用者すらも巻き込むほどの強大な力、捨て身の手段。
それが、怪物に向かって一直線に放たれた。
「死ね! 塵も残さず消え失せろォォッ!!」
勝利を確信し、マルバスの口元が歪む。
これだけは防げない。これは魔術ではない、物理法則の崩壊だ。
いかに化け物といえど、事象の地平線に飲み込まれれば、影ごと消滅するはずだ。
だが、怪物は満面の笑みでそれを見つめた。
「……アラ。最後にとびきり濃厚なデザートですこと」
怪物は避けなかった。
防御魔術すら展開しなかった。
あろうことか、迫り来る破滅の黒球に対して、愛おしそうに両手を広げ、まるで愛しい子を受け入れる聖母のように微笑んだのだ。
「――『月蝕』」
怪物の背後の影が、世界を覆うかのような巨大な「口」となり、【虚空の崩落】を包み込んだ。
そして、嚥下のような、ゴクンと何かを呑み込む音がした。
静寂があたりを包み込む。
爆発も、衝撃も起きない。
【虚空の崩落】が空間を削り取る音さえも消えた。
「……え?」
マルバスの手から、光が消えていた。
虚無の球体は、跡形もなく消滅していた。
「な……ッ!? なんで……、馬鹿な、あり得ない……!!一体何が起こったというのだ……!?」
マルバスの思考が停止する。
自身の最強の攻撃が、跡形もなく消えた事実。
「ああ、これはなかなか……!」
怪物が、恍惚とした表情で頬を染め、艶めかしく吐息を漏らした。
「舌の上で弾けるような清涼感と、喉を駆け抜ける鋭い痛み。だけれど、それが最高の香辛料になりますわ……!
ああ、美味しい……!後味は辛味があってスパイシーですわね……でもどこか甘さもあり、、、ああ、美味しいですわ……!空間を圧殺する重力の味……最高ですわ。お腹の底から熱くなりますね」
彼女は、満足げに腹をさすりながら、絶望に染まるマルバスを見下ろした。
「ごちそうさまでした。」
怪物の瞳が、細められる。
「……あら?お皿の上に、まだ『食べ残し』がありますわね?」
「ひっ……!?」
マルバスが腰を抜かし、床に這いつくばる。
逃げなければ。
だが、足が動かない。影が、いつの間にか彼の足首に絡みついている。
「ま、待て……! 話せば分かる! 私は魔王軍だぞ! 多くの知識と技術がある! 殺すより生かしておいた方が……!」
命乞い。マルバスは最早魔王軍としての矜持はなかった。ただ、強者へ命乞いをする以外に、この場を切り抜ける手段がなかった。
「ええ、そうですわね。貴方の知識も魔力も、貴重な栄養源です」
シルヴィアは優しく微笑んだ。
「だから、骨の髄まで残さず頂きます」
ズプッ。
影が、マルバスの全身を包み込む。
「やめろ……やめろぉぉぉッ! 嫌だ、食われる! 溶ける! 意識が……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
断末魔の絶叫。
だが、それも一瞬だった。
まるで底なし沼に沈むように、マルバスの身体は影の中へとズブズブと飲み込まれていく。
抵抗する腕が、最後に空を掴み――そして、消えた。
数秒後。
そこには、誰もいなかった。
ただ、満足げにリップを塗り直す、絶世の美女が立っているだけだった。
「……ふぅ。久しぶりに満腹ですわ」
圧倒的な蹂躙。
彼女にとってはただの「コース料理」に過ぎなかったのだ。
静寂が戻った会場で、怪物はカナメの方を振り向き、花が咲くような笑顔を見せた。
「お待たせしました、カナメ様。……デザートまで完食いたしましたわ」
ルナを弄んだ諸悪の根源、散る!!
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