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第22話:魔王軍マルバス


「――おやおや。随分(ずいぶん)と短気なお嬢さんだ」



 空間の裂け目から、一人の男がヌルリと現れた。

 燕尾服(えんびふく)にシルクハット。一見すると紳士だが、その肌は死人のように青白く、(ひたい)からは(ねじ)れた山羊(やぎ)の角が生えている。

 その魔族からは、禍々(まがまが)しい魔力が溢れていた。


 ――ヤギの頭を持つ魔族。

 ルナが恐怖していた、実験の主導者だ。



「……貴様、魔王軍か」



 シルヴィアが目を細め、不愉快そうに舌打ちをした。その眼には、憎悪が込められていた。

 彼女の全身から立ち昇る殺気は、会場の空気を震わせるほどだが、現れた魔族は涼しい顔で肩をすくめた。



「お初にお目にかかります。私はマルバス。魔王軍より出向し、第四技術開発局の局長をしております。……いやはや、聖女イリアルとの連絡が途絶えたのでザガンに事情を聞きにきたのですが……中々強そうな方がいますね」



 マルバスは慇懃無礼(いんぎんぶれい)に一礼した。

 その目は、シルヴィアを見ても畏怖(いふ)の色がない。それどころか、珍しい実験動物を見るような、冷徹な観察者の目をしていた。



「せっかくの実験場(ザラダス)を荒らされて困っていたのですよ。落とし前をつけて頂かないと」



「あら、奇遇ですわね。(わたくし)も、貴方のような悪趣味なピエロに、私の娘を泣かせた落とし前をつけさせようと思っていましたの」



 シルヴィアが一歩踏み出す。

 だが、マルバスはニヤリと笑い、指を鳴らした。



「ククク……威勢(いせい)がいいですねぇ。ですが、私をただの魔族と思わない方がいい。……『迷宮回廊(ラビリンス・ジェイル)』」



 パリンッ、と硬質な音が響いた。

 シルヴィアの周囲の空間が、鏡のように砕け散ったかと思うと、万華鏡のように複雑に折れ曲がり始めた。

 上下左右の概念が消失し、シルヴィアの姿が幾重にも重なる透明な断層の向こうへと隔離(かくり)されていく。



「……チッ、空間魔法か! 小賢(こざか)しい真似を」



 結界の中からシルヴィアの怒声が聞こえる。

 彼女が展開した影の刃が、空間の壁に突き刺さるが、壁はヌルリと再生し、彼女を外へ出そうとしない。

 ダメージはないようだが、空間そのものを隔離され、物理的な干渉を遮断されている。


 最強の戦力であるシルヴィアと、俺たちが分断された。



「ガランド、手を貸しなさい。……貴方の『防御無視』と私の『空間断絶』を合わせれば、殺し切れる」



 マルバスが、シルヴィアを封じ込めながらガランドに呼びかけた。

 ガランドもまた、シルヴィアの底知れぬ魔力を肌で感じ取り、(うなず)いた。



「……ああ、違いない。俺一人では分が悪そうだが……あんたのサポートがあれば『首』は取れるな」



 Sランク冒険者と、魔王軍の技術局長。

 シルヴィアが隔離された今、俺にとって最悪の展開だ。



「先に飼い主から殺すとするか」



 シルヴィアの影による捕食を免れたガランドが、即座に標的を切り替えていたのだ。

 その目は、もはや強敵(シルヴィア)を見ていない。

 もっと確実かつ迅速にこの場を制圧できる、脆弱(ぜいじゃく)な獲物を射抜いている。


 蛇に睨まれた(かえる)。いや、そんな生易しいものではない。

 心臓に直接、冷たいナイフを突き立てられたかのような死の予感。



飼い主(テメェ)はタダの人間だろ?」



 速いッ!



 ガランドの姿が()()()

 予備動作ゼロ。殺気すら置き去りにする神速の踏み込み。


 思考する暇などない。

 俺は反射的にルナを突き飛ばし、自身もバックステップで回避を試みる。



 ――【音速加速(ソニックアクセル)】ッ!



 世界がスローモーションになる。

 舞い散る(ほこり)、張り詰めた空気、そして迫りくる死神の表情までもが、泥のように重く、遅くなる。

 俺は加速した世界の中で、ガランドの拳を紙一重でかわそうと身体を(ひね)る。



(……見切った!)



 そう確信した、刹那。



「――そこだ」



 スローモーションの世界で、ガランドの目がギョロリと動いた。



(俺の加速についてきている!?)



 いや、違う。

 俺が「どう動くか」を、経験則で完全に先読みして動いているのだ。


 ガランドの掌底(しょうてい)が、空中で軌道を変え、俺の脇腹へと吸い込まれていく。



「しまッ――」



 鈍く、重い音が体内で響いた。

 衝撃は表面で止まらず、筋肉を、骨を、内臓を貫通し、背中側へと突き抜ける。

 体に大きな穴が開いたかのような錯覚さえあった。



「がはっ……!? ご、ぼ……ッ」



 俺の身体はボールのように弾き飛ばされ、ステージの端まで転がった。

 口から大量の鮮血をブチ()ける。ドロリとした内臓の欠片(かけら)が混じっているのが見えた。


 呼吸をしようとするたびに、喉の奥から、ゴポゴポと空気と血が混ざり合う嫌な音が鳴る。

 肋骨(ろっこつ)が数本折れ、肺に突き刺さっているかもしれない。

 オークから奪った【皮膚硬化】は恐らく機能していない。即死を(まぬが)れたのはアシッドスライムから奪った【物理耐性】のおかげか……?



「パパッ!!」



 ルナの悲鳴が遠く聞こえる。

 俺は(かす)む視界で、ゆっくりと歩み寄ってくるガランドを見た。

 彼は汗一つかいていない。呼吸すら乱れていない。

 まるで、道端の石ころを蹴り飛ばしただけのような、日常的な動作。



「ほう。今のを食らって即死しないとはな。……いい身体(スキル)を持ってるじゃねえか」



 ガランドが、慈悲(じひ)のない目で俺を見下ろす。


 勝てない。


 今の俺の手持ちスキルじゃ、この「Sランク冒険者(ガランド)」には指一本触れることすらできない。

 シルヴィアは足止めされている。ルナを戦わせても、あの防御無視の攻撃の前では無力だ。


 詰みか。


 ここで、俺の二度目の人生も終わるのか?




 ――嫌だ。




 脳裏に、あの日見た光景が浮かぶ。

 ゴミ捨て場で、誰にも看取られず死にかけていた少女(ルナ)の顔。

 暗い洞窟で、数百年の孤独に耐えていた美女(シルヴィア)の顔。


 俺が拾ったんだ。俺が始めたんだ。

 ここで俺が死ねば、あいつらはまた「地獄」に逆戻りだ。

 そんな結末、認められるか。


 必要なのは――この理不尽を叩き潰す、決定的な「火力」。

 この達人を、技術ごとねじ伏せる圧倒的な「暴力」。


 俺の視線が、ステージの中央へと向く。

 そこには、俺が落札したはずの「()()()()()()」が鎮座(ちんざ)している。




 ―――【妖刀(ようとう)刹那(せつな)】。




 ボロボロの布に巻かれたその刀は、まるで俺の血の匂いに惹かれるように、ドクン、ドクンと脈動していた。



 呼んでいる。



 「力を欲するなら、対価を払え」と。




「……ルナ! シルヴィアの援護に行け! そこの結界を外から叩き割れ!」




 俺は血反吐(ちへど)と共に叫んだ。



「えっ!? で、でもパパが……!」



「いいから行けッ!!」



 俺の剣幕(けんまく)に押され、ルナが泣きながら走り出す。

 これでいい。ルナがいれば、シルヴィアの解放も早まるはずだ。

 そして何より――俺がこれからすることを、近くで見せたくない。


 俺はよろめきながら立ち上がった。

 足が震える。視界が赤い。だが、その目は死んでいない。



「逃げるか? 無駄だ」



 ガランドが拳を構えて、歩を進める。

 彼には、俺が恐怖に駆られて逃げようとしているように見えただろう。

 だが、俺の狙いは出口じゃない。


 俺はありったけの魔力を足に込めた。

 心臓が破裂しそうなほどの負荷。



 【音速加速(ソニックアクセル)】!



 ドンッ!!



 床が踏み砕かれ、俺の身体が弾丸のように射出される。

 向かう先は、ステージ中央。



「チッ、往生際(おうじょうぎわ)の悪い!」



 背後からガランドの殺気が迫る。

 速い。怪我をした今の俺より、数段速い。

 背中に冷たい刃の感覚が迫る、実体は存在しないが、そこには確かに死神の鎌が、俺の首にかかりかけていた。



 あと数歩。あと一歩。


 届いてくれッ!!



 俺はステージに飛び乗り、台車の上に鎮座したボロボロの布に巻かれた刀――【妖刀・刹那】の(つか)を、血塗(ちまみ)れの手で力任せに握り締めた。



「代金は払うぜ、ザガン……!!」



 俺は叫び、力任せに妖刀を引き抜いた。


 ドクンッ!!


 瞬間、俺の心臓が早鐘を打ち、視界が真っ黒に染まった。

 ガランドの拳が俺の顔に届くよりも早く、漆黒の衝撃波が会場全体を吹き飛ばす。


 腕を通じて流れ込んでくる、圧倒的な「渇望(かつぼう)」。


 数百年分の飢えと、殺意。



 さあ、食事の時間だ。




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