第21話:元Sランク冒険者
「Fランク風情が、その刀に触れる資格があると思っているのかね?」
貴賓席から見下ろすザガンの言葉を合図に、会場の照明が赤く染まった。
警報音が鳴り響き、四方八方から武装した黒服の男たちが現れ、ステージを取り囲む。
その数、およそ五十。全員が歴戦の傭兵といった顔つきだ。
「……金は置いていけ。だが商品は渡さん」
ザガンが葉巻の煙を吐き出しながら、手すりに肘をついて醜悪に笑う。
門番相手に派手に暴れすぎたか。Fランクが白金貨いっぱいの袋を持っていれば、マフィアにとっては鴨が葱を背負って来るようなものだ。
「刀の金ならば払うつもりだぞ」
「金の問題ではない。私がここでのルールだ。この街で私に逆らって、生きて帰れると思うなよ?」
「典型的なマフィアのやり口だな。……商売の仁義ってものがないのか?」
俺が睨み返すと、ザガンは腹を抱えて笑い出した。
下品な笑い声が、会場の静寂を切り裂く。
「仁義? ガハハハハ! 小僧、ここは『闇』だぞ?表社会の綺麗事は通用しねぇ。あるのは力と金、そして『誰が一番強いか』というシンプルな理屈だけだ!」
ザガンが指を鳴らす。
「教えてやろう。金で買えないものはない。……『最強』の暴力さえもな」
ザガンの背後から、一人の老人が音もなく歩み出た。
痩せこけた頬に、窪んだ眼窩。
ボロボロの灰色のローブを纏い、腕には、拳の部分がデコボコした小手をつけている。
一見すると浮浪者のようだが、その男が前に出た瞬間、周囲の黒服たちが恐怖で道を空けた。まるで、死神の通り道を避けるかのように。
「……おいおい、ザガン。相手はただのガキと女じゃねえか」
男が、錆びついたような声で呟いた。
その瞳は濁っているようで、底知れない虚無を湛えている。人の形をした闇が、そこに立っている。
「仕事の選り好みはしねぇ主義だが……Fランク相手に俺を使うのか? 随分と安い仕事だな」
男は、俺の首から下げられた冒険者プレートを一瞥して言った。
「抜かせ、ガランド。報酬は弾んでいるだろう?そいつらは生意気にも私のシマを荒らし、聖女の財布を奪ったコソ泥だ。……見せしめに、出来るだけ残酷に殺せ」
「へいへい。クライアントの要望は絶対だ」
聖女のことまでバレていたか。ならばもう言い訳は出来そうにないな。
ガランドと呼ばれた男が、気怠げにステージを見下ろした。
俺と目が合う。
その瞬間、心臓を氷の手で鷲掴みにされたような悪寒が走った。
心臓が早鐘を打ち、全身の毛が逆立つ。
――死ぬ。
生物としての本能が、警鐘を鳴らし続けている。
今までのゴロツキや、腐った聖女とは次元が違う。
こいつは、「人を殺すこと」を息をするように繰り返してきた、本物の化け物だ。
「……カナメ様。お下がりください」
シルヴィアが俺の前に立ち塞がり、扇子を閉じた。
彼女のドレスの裾から、どす黒い影が滲み出し、威嚇するように波打つ。彼女の纏う空気が、一瞬で鋭利な刃のように変わった。
「あの男……ただの人間ではありませんわ。魂が血で錆びついています。数百、いや、数千を超える命を刈り取ってきた『死神』の臭いです」
「ほう」
彼は眉一つ動かさない。それどころか、興味深そうに目を細めた。
「いい目を持っているな。……嬢ちゃん、お前それなりに強そうだな?」
ガランドが、階段を使わずに貴賓席から飛び降りた。
10メートル近い高さ。
だが、着地の音はしなかった。まるで綿毛のように、無音でステージに降り立ったのだ。重力すらも手懐けているかのような、不気味な体捌き。
「かつて冒険者ギルドでその名を轟かせた元Sランク冒険者――『断罪』のガランドだ。国家戦力級の化け物。単独でドラゴンすら狩ると言われる、冒険者の頂点。」
ザガンが得意げに紹介する。
「Sランク……!?」
俺は息を呑んだ。
「昔の話だ」
そんな存在が、なぜこんなマフィアの用心棒をしている?
ガランドは拳を突き出して、俺の心を読んだかのように疑問に答えた。
「ギルドの温いルールに飽きてな。金さえ貰えれば誰でも殺せる、こっちの方が性に合ってるんだよ」
ガランドが、ゆらりと構える。
隙がない。どこからどう攻めても、カウンターで首を刈られるビジョンしか見えない。まるで、抜身の刀が人の形をして立っているかのようだ。
「……ルナ。絶対に俺のそばを離れるな」
「う、うん……!」
ルナが震えながら俺にしがみつく。彼女の野生の勘も、目の前の男が「天敵」だと理解しているのだ。
「行くぞ」
ガランドの姿がブレた。
音が消えた。
俺の【魔力感知】が反応するよりも早く、ガランドはシルヴィアの懐に潜り込んでいた。
「――『浸透勁』」
会場を揺らす衝撃音が走る。
シルヴィアの腹部に、ガランドの掌底が深々と突き刺さった。
着弾の瞬間、衝撃がシルヴィアの背中側へと突き抜けた。
衝撃波だけで、後方にあった観客席の椅子が数脚、粉々に砕け散る。
――浸透勁。鎧や防具の上からでも相手の内部に「勁」と呼ばれる力を送り込み、内臓を傷つける格闘技法だ。本来なら、内臓が破裂して即死する必殺の一撃だ。
「シルヴィアッ!?」
俺が叫ぶ。
だが。
「……汚いですわね」
シルヴィアは、一歩も動いていなかった。
それどころか、腹部に当てられたガランドの手を、汚物でも見るような目で見下ろしていた。
「……あ?」
ガランドの口から、間の抜けた声が漏れる。
彼は自分の掌底と、シルヴィアの腹部を交互に見て、眉間に深い皺を刻んだ。
「なぜ、立っている……? 確かに『芯』を捉えたはずだぞ……?」
困惑。
必殺の自信があったのだろう。
だが、シルヴィアにとって、そんなことはどうでもいいことらしい。
彼女の紫色の瞳が、憤怒に燃え上がる。
「いきなりレディのお腹を触るなんて、マナーのなっていないゴミ虫ですこと。……それに」
シルヴィアの身体から、漆黒の影が地響きのような音を立てて噴き上がった。
それは物理的な攻撃ではない。あまりの不快感、生理的な嫌悪感による「拒絶」のエネルギーだ。
「貴方のその魔力……ドブ川のように臭くて、吐き気がしますわ!! 消えなさい、下等生物ッ!!」
影が巨大な顎となり、ガランドを飲み込もうと殺到する。
ガランドが反応する間もなく、その影は彼を咀嚼しようと迫り――。
パリンッ!
空間が鏡のように割れ、シルヴィアの影が明後日の方向へと逸らされた。
逸れた影は、会場の壁をバターのように切り裂き、大穴を開けた。
鉄筋ごと抉り取られた断面が、生々しく晒される。
「――おやおや。随分と短気なお嬢さんだ」
空間の裂け目から、一人の男がヌルリと現れた。
燕尾服にシルクハット。
一見すると紳士だが、その肌は青白く、額からは捻れた角が生えている。
――ヤギの頭を持つ魔族。




