第2話:封印された神話の暴食姫
スライムを処理した後、俺は洞窟の奥へと進んでいた。
道中、何度か魔物の気配を感じたが、今の俺には視界に頼らずとも周囲を感知出来る手段を得ていた。天井に張り付いていた巨大なコウモリ――【ブラッドバット】を見つけたのは僥倖だった。
【対象:ブラッドバット】
【強奪可能スキル:超音波、魔力感知、吸血】
俺の目には、あいつが「飛ぶ宝箱」に見えていた。俺はスライムから奪った【酸弾】を放ってコウモリを地面に叩き落とし、暴れるその体に容赦なく手を触れた。
『――スキル【魔力感知】および【超音波】を強奪しました』
生温かい血液を啜ったような、鉄錆の味。
魔物のスキルだから、不味いのか、或いはスキルというものが、総じて不味いのか。
コウモリが動かなくなるのと同時に、俺の視界が開けた。
周囲に漂う「魔力の流れ」と、跳ね返る「音の波」が、地形を3Dマップのように脳内に描画しているのだ。
「……ん? なんだ、この流れは」
【魔力感知】が、異常な反応を捉えた。
ダンジョンの最奥から、桁違いの魔力が奔流のように溢れ出している。
スライムやコウモリのような泥水めいた魔力ではない。もっと純粋で、濃密な……。
まるで、そこに「魔力の太陽」があるみたいだ。
俺はその匂いに惹かれるように、足を速めた。
やがて、空気が一変した。
腐臭と湿気に満ちていた洞窟が、滑らかに整えられた人工的な石畳へと変わる。
そして最奥の広間に足を踏み入れた瞬間、俺はその光景に息を飲んだ。
「なんだ、これ……」
広大なドーム状の空間。
その中心に、巨大な紫水晶の塊が鎮座していた。
いや、ただの水晶ではない。
水晶の中には――ひとりの少女が閉じ込められていた。
月光を編んだような銀色の髪。透き通るような白い肌。
豪奢な漆黒のドレスを纏い、両手を胸の前で組んで眠るその姿は、この世のものとは思えないほど美しく、そしてどこか禍々しかった。
俺の視界に、警告色のような赤いウィンドウが浮かび上がる。
【対象:神喰らいの魔神の封印】
【ランク:神話級】
【強奪可能:封印術式の構成魔力】
「神話級……?この紫水晶が封印術そのものということか……?」
表示された文字に冷や汗が出る。
だが、俺の視線はすぐに、封印の奥にいる少女のほうへと移った。
【対象:シルヴィア】
【種族:月蝕の神喰らい(封印状態)】
【強奪可能:???(測定不能)】
測定不能のエラーが出るほどの化け物。関われば死ぬ。俺の生存本能がそう警鐘を鳴らす。
だが、その寝顔はどこか寂しげで――かつて社会の歯車として使い潰され、孤独に死んだ自分と重なって見えた。
「……こんな暗い場所に一人きりじゃ、目覚めが悪いよな」
俺は無意識に、水晶の表面に手を触れていた。
助けようと思ったわけじゃない。ただ、その美しさに触れたかっただけかもしれない。
だが、俺のスキルは「極上の獲物」を見逃さなかった。
『――神話級結界【絶対封印】を検知』
『ユニークスキル【万能強奪】を発動。術式構造を解体、および捕食を開始します』
バキィッ!! と高い音が響いた。
俺の手が触れた場所から、魔法陣を構成する光の文字が、俺の手のひらへと吸い込まれていく。
数百年、あるいは数千年もの間、彼女を縛り付けていた絶対的な鎖が、俺という「捕食者」によって咀嚼されていく。
「ぐ、ぁ……ッ!?」
熱い。痛い。全身の血管が膨張する感覚。
体が爆発して肉片にでもなってしまいそうだ。
だが、俺の脳髄を駆け巡ったのは、死の恐怖ではなく――極上の陶酔だった。
甘い。
とてつもなく甘く、濃密で、芳醇な魔力の奔流。
数千年の時を経て熟成された最高級の神酒を、喉の奥へ直接流し込まれているようだ。
「は、ぐ……ッ、ぁ……」
許容量を超えた快楽に、背骨が震える。
全身が焼き切れる寸前の熱量。だが、俺の【万能強奪】は、そのすべてを一滴残らず飲み干し、俺の肉へと変えていく。
コップ一杯の水しか入らなかった俺の器が、強引に湖サイズまで広げられていくような感覚。
やがて、最後の一滴まで味わい尽くした時――水晶が音もなく霧散した。
支えを失った少女の体が、重力に従って傾く。
俺は荒い息を吐きながら、慌ててその細い体を受け止めた。
「……ん……」
長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開かれる。
そこにあったのは、宝石のような紫色の瞳。
眠りから覚めたばかりの彼女は、消滅した魔法陣と、飛散した紫水晶、そして自分を抱きとめている人間を見て、数秒沈黙し――。
「……私の呪いを食べたの?私を触っても平気なの?」
鈴を転がすような、美しい声だった。
「……?ああ、特に痛みはないぞ」
「勇者たちが命がけで施した『絶対封印』を、味わうように……跡形もなく?」
「あー……結果的にそうなったみたいだな。紫水晶に触ったら、勝手にスキルが発動して」
俺が弁解しようとすると、彼女は俺の頬に冷たい手を添え、至近距離で瞳を覗き込んできた。
値踏みではない。それは、畏怖と歓喜が混じったような、熱っぽい視線。
「嘘よ。ただの人間ごときに、あの膨大な魔力の塊は飲み込めない。触れた瞬間に魂ごと蒸発するのがオチだわ。私にだって食べれなかった神話の封印なんだもの」
彼女は艶然と微笑んだ。
それは魔性の笑みでありながら、どこか求婚者のような甘さを孕んでいた。
「でも、貴方は平気な顔をしている。あれだけの『極上の味』を飲み込んで、なお器に余裕があるなんて……」
「……余裕なんてないぞ。死ぬかと思った」
「ふふっ、謙遜しなくていいわ。私には分かるもの。貴方、人間種に見せかけているけれど、私よりもずっと『上位』の捕食者でしょう?」
彼女――シルヴィアは、俺の首に腕を回し、うっとりと身を委ねてきた。
「認めましょう。貴方様が私の運命の王子様なのかもしれません。……我が主、御名をお聞かせ願えますか?」
「……カナメだ」
「カナメ様。……ふふ、素敵な響きです」
彼女は婀娜っぽく囁くと、ゆっくりと俺から身体を離した。
そして一歩下がると、美しい漆黒のドレスをつまみ、恭しくカーテシーをしてみせた。表情はどこか小悪魔的だった。
どうやら俺は、とんでもない怪物の封印を「美食」として平らげ、あまつさえ封印されていた怪物から、「もっとヤバい怪物」だと勘違いされてしまったらしい。
だが、体の中で渦巻く芳醇な魔力を感じる。あの封印結界が、俺に膨大な魔力を与えてくれたのだ。
……この俺なら、本当にどんなやつが相手だって倒せるかもしれない、と。




