第16話:崩れ落ちる聖女
「――『噛み殺せ』」
俺の号令が、処刑の合図だった。
ルナの金色の瞳が獣のように縦に割れ、強烈な魔力の光を放つ。
「……ガウッ!!」
爆発的な加速。
ルナの姿がブレて消えたかと思うと、先頭にいた聖騎士の胸甲が、紙細工のようにひしゃげていた。
「がはっ……!?」
大の男が、ボールのように吹き飛び、応接室の壁に激突する。
ルナの小さな拳が、鋼鉄の鎧ごと中身を粉砕したのだ。
【種族:覚醒・捕食種】
【スキル発動:獣化】
【状態:制御下】
以前のような自滅覚悟の暴走ではない。
シルヴィアによって「調理」された彼女の魔力は、完全に制御され、その出力はかつてを遥かに凌駕していた。
「な、なんだこの速さは!?」
「こいつ、本当に実験体か!? 囲めッ! 殺せッ!」
残りの騎士たちが慌てて剣を構える。
だが、遅い。
ルナは四つん這いの姿勢で壁を蹴り、天井を走り、変幻自在の軌道で騎士たちを翻弄する。
スカートの裾から伸びたエメラルドグリーンの「蛇の尻尾」もまた、第三の手のように機能していた。背後から迫る騎士の剣を尻尾で弾き、足首を絡め取って転倒させる。
「ギャアアアアッ!」
聖騎士の悲鳴が上がる。
一方的な蹂躙。
自分たちが見下し、ゴミとして捨てた少女に狩られる恐怖。
「あらあら。床が汚れてしまいますわ」
その惨劇の中、シルヴィアは優雅に紅茶のカップを置いていた。
昨日買ったばかりの、ロイヤルパープルのドレス。
その裾から伸びた漆黒の「影」が、逃げようとした騎士の足を掴み、天井へと吊り上げた。
「ひっ……! な、なんだこの女!?」
「騒がしいですわね。……静かになさい」
シルヴィアが扇子を振ると、影が騎士の口を塞ぎ、そのまま壁に縫い付けた。
彼女は一歩も動いていない。ただそこに佇んでいるだけで、場を支配する「夜の女王」の風格。銀髪と深紫のドレスが、返り血一つ浴びることなく美しく輝いている。
一分も経たずに、六人の聖騎士は全員、戦闘不能となって転がっていた。
ルナは最後に残った隊長格の男を踏みつけ、「ワオォォン!」と勝利の遠吠えを上げる。
「……信じられない」
聖女イリアルが、ガタガタと震えながら後ずさる。
彼女の背中は壁にぶつかり、逃げ場はもうない。
「廃棄処分の失敗作が……どうしてこんな力を……? 私の騎士団が、こんな子供に……!」
「ようやく思い出したか? それとも、まだゴミに見えるか?」
俺はコートを翻し、ゆっくりと彼女に歩み寄る。
ルナが血に濡れた口元を拭いながら、俺の隣に並んだ。
かつて怯えていた少女は、もういない。そこにいるのは、理不尽に牙を剥く誇り高き狼だ。
「お前らが捨てた中にも、磨けば光る原石があったってことだ。……まあ、お前のような節穴には使いこなせなかっただろうがな」
「ひっ……!」
俺と目が合い、イリアルが短い悲鳴を上げる。
彼女は必死に取り繕い、聖女の仮面を被り直そうとした。
「ま、待ってください! 話し合いましょう! 貴方、お金が欲しいのでしょう? 私には資産があります! 教会の金庫でも、裏帳簿のお金でも、なんでも差し上げます! だから……!」
「金なら言われなくてもいただくさ」
俺は冷たく言い放つ。
イリアルの顔が絶望に歪む。
「こ、来ないで……! 私には神の加護があるのよ! 私に手を出せば、信者たちが黙っていないわ! この街全員を敵に回すことになるのよ!?」
「神の加護? 信者?」
俺は鼻で笑った。
「そんなもんがあるなら、とっくにお前を助けに来てるはずだろ」
俺は彼女の目の前まで迫り、その整った顎を乱暴に掴み上げた。
「誰も来ないさ。おかしいとは思わないのか?これだけ派手に暴れているのにさっきまでミサをしていた信者が誰一人として来ないことを……」
シルヴィアが自身の影を何層も膜のように張り、この部屋の音を吸収していた。
簡易的な防音部屋だ。尤も、仮に音に気付いて来たところで、俺たちの餌になるだけだが。
「さあ、年貢の納め時だ、魔女」
「いや……やめ……っ!」
イリアルが顔を引きつらせ、必死に首を振る。
だが、俺は逃がさない。
俺はイリアルの目を見据え、その奥にある魂を視界に捉える。
【対象:聖女イリアル】
【強奪実行:生命譲渡、人心掌握、信仰魔法】
ルナを苦しめ、多くの子供や信者を食い物にしてきた、その諸悪の根源。
俺は思考一つで、彼女を構成するアイデンティティを根こそぎ引き抜いた。
「――『万能強奪』」
ズリュリュリュッ……!!
腕を通じて流れ込んできたのは、想像を絶する「悪臭」だった。
「――うぷっ」
俺は思わず口元を押さえた。
不味い。不味すぎる。
例えるなら、真夏の炎天下に放置された生ゴミのバケツに、安物の香水を原液ごとぶちまけたような味だ。甘ったるい芳香の裏に、ドロドロに腐った他人の生命力が混ざり合っている。
「……オェ。なんだこの味は。よくもまあ、こんな腐ったスキルを大事に抱えていたな」
俺は手を離し、汚いものを触ったかのようにコートで手を拭った。
支えを失ったイリアルが、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「あ……あぁ……?」
イリアルが自分の手を見つめ、枯れ木のような声を出した。
その肌からは、陶器のような艶が失われ、急速に水分が抜けていく。
美しいブロンドの髪は枯れ草のようにパサつき、張り詰めていた頬がこけ、眼球が濁っていく。
「な、なに……? 私の肌が……力が……!」
老婆のようにやつれて生気のない顔。
目元には深いシワが刻まれ、口元は梅干しのように窄んでいる。
それが彼女の正体だ。
【生命譲渡】のスキルで、子供たちの若く新鮮な生命力を注ぎ込み、美貌と若さを維持していたメッキが剥がれた姿。
「いやぁぁぁっ!! 返して! 私の力を、美しさを返してぇッ!」
イリアルが半狂乱になって床を這い、俺の足に縋りつこうとする。 だが、その手は俺に届く前に止められた。
「……ガウッ」
ルナだ。
ルナが俺の前に立ち塞がり、イリアルに向かって低く唸ったのだ。
その瞳に、かつての怯えはない。あるのは、生理的な嫌悪感と、明確な拒絶のみ。
「ひっ……!?」
イリアルが悲鳴を上げ、後ずさる。
かつて自分がゴミとして捨てた少女に、逆に見下ろされる屈辱と恐怖。
「ルナ、食べるか?」
俺が尋ねると、ルナはイリアルの匂いを一度だけ嗅ぎ――プイッと興味なさそうに顔を背けた。尻尾の蛇も、「ペッ」と唾を吐くような仕草をした。
「……臭い。いらない」
「そうか。賢明な判断だ」
ルナですら食欲を示さない。
それが、この女の価値の全てだ。
「さあ、イリアル。お前にはまだ吐き出してもらうものがある」
俺は部屋の奥にある、豪奢な執務机に目を向けた。
イリアルはさっきから、チラチラとあの机の方へ視線を送っている。
「隠し金庫と、裏帳簿だ。……そこに、お前の『飼い主』の名前も書いてあるんだろ?」
俺は机に向かって歩き出した。
聖女の断罪は終わった。だが、これはまだ序章に過ぎない。
この街の闇は、もっと深い場所に根を張っているのだから。
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