第15話:悪魔のミサ
翌朝、雲ひとつない快晴。まさに「聖女のミサ」日和だ。
俺たちは宿を出て、街の中央にある【聖スウェリア大聖堂】へと向かっていた。
「……似合っていますわよ、あなた♡」
隣を歩くシルヴィアが、俺の腕にギュッと抱きつきながら、うっとりとした声を上げる。
今日の彼女は、昨日買ったばかりの【深紫】に金糸の刺繍が入ったドレスに身を包み、銀髪を結い上げている。その姿は、どこぞの国の公爵夫人のような気品と、近寄りがたいほどの妖艶さを放っていた。
「そういうお前こそ、気合が入ってるな」
「当然ですわ。今日は『家族揃ってのお出かけ』ですもの。……それに、私の夫の隣を歩くのですから、これくらい着飾らなくては失礼ですわ」
彼女は「夫」という単語を強調し、さらに俺の腕に豊満な胸を押し付けてくる。
俺が着ているのは、新調したミッドナイトブルーのロングコート。
そしてルナは俺の手を握っている。
傍から見れば、裕福な貴族一家の教会参拝だ。
これから断罪をしに行く集団には見えまい。
「……パパ、だいじょうぶ?」
ルナが不安そうに俺を見上げてくる。
フードを目深に被っているが、その下の顔が蒼白なのは分かっていた。
教会に近づくにつれ、彼女の身体が小刻みに震え始めている。スカートの下では、蛇の尻尾が恐怖で縮こまり、ルナの足にしがみついているだろう。
トラウマの場所に行くのだ。無理もない。
「大丈夫だ」
俺は繋いだ手を、少し強く握り返した。
「俺たちがついている。……嫌なら、ここで待っていてもいいんだぞ?」
俺が言うと、ルナはブンブンと首を横に振った。
「ううん。……いく。パパとママがいるから、こわくない」
ルナは震える声で、それでも気丈に言った。
彼女なりに、過去と決着をつけようとしているのだ。
「……えらいですわ、ルナ」
シルヴィアも、空いているもう片方のルナの手を握った。
「怖くなったら、私の後ろに隠れなさい。……悪い魔女は、ママが食べてあげますからね」
「うん……!」
俺たちは頷き合い、大聖堂の巨大な扉をくぐった。
◇
聖堂の中は、荘厳なパイプオルガンの音色と、むせ返るような香水の匂いで満たされていた。
ステンドグラスから差し込む光が、祭壇に立つ一人の少女を照らし出している。
聖女イリアル。
彼女は数百人の信者を前に、慈愛に満ちた声で説教を行っていた。
ルナと同じく、金髪で碧眼。だが、この女の美しさには腐臭が帯びていた。
「――神は見ておられます。皆様の敬虔な祈りを。そして、捧げられた奉仕の心を」
美しい声だ。
だが、俺の耳には、それが「金を出せ」「命を寄越せ」という悪魔の囁きにしか聞こえない。
俺たちは「多額の寄付を希望する、貴族」として、神官に案内を求めた。俺が懐からチラリと金貨の詰まった革袋を見せると、神官の態度は一変した。
「神もお喜びになります!」と揉み手をし、ミサの途中にも関わらず、俺たちを奥の特別応接室へと通したのだ。
やはり、金だ。
この教会は、上から下まで腐りきっている。
◇
通された応接室は、教会とは思えないほど豪華だった。
ふかふかのソファ、壁に飾られた名画、そしてテーブルに置かれた最高級の紅茶。
「……趣味が悪いですわ」
シルヴィアが部屋を見渡し、不快そうに鼻を鳴らす。
「清貧を謳う聖職者が、信者から巻き上げた金で贅沢三昧……。」
しばらく待っていると、入り口の重厚な扉が開いた。
「お待たせいたしました」
入ってきたのは、ミサを終えたばかりの聖女イリアルだ。
近くで見ると、その作り物めいた美しさが際立つ。
透き通るような肌、宝石のような碧眼。
だが、部屋に入ってきた瞬間、空気が変わった。
甘い香水の匂いの奥から、ツンと鼻を刺す腐敗臭。
そして――何百人もの「他人の生命力」を継ぎ接ぎした、ドス黒い魔力の気配。
「ようこそ、迷える子羊様。……当教会への多額の寄付をご検討中とか?」
イリアルは聖女らしい淑やかな微笑みを浮かべ、俺の対面のソファに腰を下ろした。
その視線が、俺がテーブルに置いたパンパンに膨らんだ革袋に吸い寄せられるのを、俺は見逃さなかった。
瞳の奥に宿る、隠しきれない銭ゲバの色。
「ええ。娘の病気が治ったお礼をしたくてね。この街の聖女様は、どんな病も治す奇跡の力をお持ちだとは聞いていましたが……本当だったのですね」
俺は貴族らしく、恭しい口調で言った。
イリアルの口角が上がる。
「ええ、ええ。神の愛に不可能はありませんわ。……ところで、そちらの可愛らしいお嬢さんが?」
イリアルの視線が、俺とシルヴィアの間に座るルナに向けられた。
ルナはフードを目深に被り、ガタガタと震えている。
「……はい。ですが、少し臆病でしてね」
「まあ、可哀想に。……こっちへいらっしゃい。私が祝福を与えてあげましょう」
イリアルが手を伸ばし、ルナに触れようとする。
その手は、かつてルナに注射針を突き立て、ゴミとして廃棄した手だ。
ルナがビクリとして反射的に俺の背中に隠れた。
「あら?」
イリアルが不思議そうに首を傾げる。
彼女は気づいていない。
目の前にいる少女が、かつて自分が「失敗作」と呼んで捨てた109番だということに。
彼女にとって実験体など、顔を覚える価値すらない消耗品なのだ。
それが、俺の腹の中で煮えたぎっていたマグマに火をつけた。
「……聖女様」
俺は革袋を手で押さえ、低い声で言った。
「寄付の前に、一つ確認したいことがあるんだ」
「は、はい……何でしょう?」
イリアルの笑顔が引きつる。
俺は、背中に隠れるルナの手を握り、ゆっくりと前に出した。
「お前たちの教義じゃ、失敗作は不法投棄することになっているのか?」
俺はルナのフードを掴み、一気に剥ぎ取った。
露わになったのは、金色の髪と、ピンと立った灰色の狼耳。
そして、恐怖に歪みながらも、必死にイリアルを睨みつける碧眼。
「……あ……」
イリアルがポカンと口を開けた。
数秒の沈黙。彼女の脳内で、記憶の検索が行われる。
「……獣人の子供……? いえ、その混ざり合った魔力の残滓……」
イリアルの表情から、慈愛の仮面が剥がれ落ちていく。
代わりに浮かんだのは、壊れた玩具を見るような、冷徹で無機質な「研究者」の顔。
「ああ、なるほど。『実験体』の生き残りかしら? 最近、廃棄したロットの中に、まだ動くのがいたのね」
思い出したようだ。
だが、そこに罪悪感など微塵もない。
あるのは、「捨てたゴミが戻ってきた」という不快感だけ。
「薄汚い獣を、神聖な応接室に持ち込むなんて非常識な方ね。……衛兵! つまみ出しなさい! この汚らわしい失敗作を、今度こそ確実に殺処分よ!」
イリアルが叫び、卓上のベルを鳴らした。
即座に扉が開き、武装した聖騎士たちが雪崩れ込んでくる。
その数、六名。
「侵入者だ! 聖女様をお守りしろ!」
騎士たちが剣を抜き、俺たちを取り囲む。
ルナが悲鳴を上げ、スカートの下から蛇の尻尾が飛び出し、シャーッ!と威嚇をしている。怯えている。だが、逃げようとはしていない。
俺とシルヴィアの手を、強く握り返してきている。
「……パパ、ママ……」
「大丈夫だ」
俺は立ち上がり、新調したコートを翻した。
もう、貴族の演技は必要ない。
ここからは、捕食者の時間だ。
「失敗作? 殺処分?」
俺は冷笑を浮かべ、イリアルを見据えた。
「よく見ておけ、クソ聖女。お前がゴミだと思って捨てた原石が……どれほどの牙を持っているかをな」
俺はルナの頭に手を置いた。
「――『噛み殺せ』」
俺の合図と共に、ルナの碧眼が、カッと黄金色に発光した。
「……ガウッ!!」
爆発的な魔力の奔流。
少女の姿がかき消え、次の瞬間には――先頭にいた聖騎士の鎧が、紙細工のようにひしゃげて吹き飛んでいた。
「がはっ……!?」
騎士が壁に激突し、動かなくなる。
部屋にいた全員が、時間を止めたように凍りついた。
ただ一人。
優雅に紅茶を啜る、銀髪の美女を除いて。
「さあ、お掃除の時間ですわ。……私たちの娘を泣かせた罪、たっぷりと味わっていただきますわよ?」
シルヴィアが妖艶に微笑む。
その背後で、巨大な影が、飢えた獣のようにガチガチと歯を鳴らした。




