第13話:家族団欒
ルナの治療を終え、宿を出た俺たちは、大通りから一本外れた場所にある大衆食堂の暖簾をくぐった。
高級店ではさそうだが、地元民で賑わって活気がある店。換気扇からは暴力的なまでに食欲をそそる、焦げたソースとガーリック、そして肉の焼ける香りが漂っている。
「へい、らっしゃい! おや、可愛らしいお嬢さん連れだねぇ」
店員のおじさんが、俺の後ろに隠れているルナを見て目を細める。
ルナには目立つ狼耳を隠すため、大きめのフードを被らせていた。特徴的な蛇の頭をした尻尾も、今は服の中に無理やり押し込んでいる。
「奥のテーブル席へどうぞ!」
案内された席に着くなり、ルナがテーブルに身を乗り出した。
その鼻がピクピクと激しく動いている。
「パパ! お肉! お肉のにおいする!」
「ああ、分かったから落ち着け。……すいません、この店の『特大ステーキ』を三人前。焼き加減はレアで。あと、パンとスープも」
「あいよ! 特大三丁!」
威勢の良い声が響くと、シルヴィアが不満げに頬を膨らませた。
彼女はテーブルのベタつきを、ハンカチで拭いながら文句を垂れる。
「カナメ様。こんな油煙の立ち込めるお店で食事だなんて……私のドレスに匂いが付いてしまいますわ」
「文句があるなら食わなくていいぞ。俺とルナで分けるから」
「そ、そういうわけにはいきませんわ! 毒見です! カナメ様の口に入る前に、私が安全を確認しなければなりませんもの!」
シルヴィアが必死に取り繕う。
神話級のプライドと、暴食の眷属としての食欲が戦っているようだが、どう見ても食欲が勝っている。
ジュウウウウウウッ!!
会話をしている間に、鉄板の上で弾ける脂の音と共に、顔の大きさほどもある巨大なステーキが運ばれてきた。
「お待たせ! 特大サーロインだ!」
「……ッ!!」
シルヴィアの目が釘付けになる。
文句を言っていた口が、今はポカンと開いている。
網目のついた香ばしい焼き目。滴る肉汁。そしてバターとガーリックの芳醇な香り。
「い、いただきますっ!」
文句を言っていたシルヴィアは、満面の笑みでナイフとフォークを握りしめた。
そしてルナに至っては――。
「ガウッ!」
ナイフなど使わない。
フォークを肉塊に突き刺し、そのままガブリとかぶりついた。
「んぐっ、むぐ……! おいしい! パパ、おいしい!」
ルナが瞳を輝かせる。
口の周りをソースだらけにしながら、野生動物のような勢いで肉を胃袋に収めていく。
これまでまともな食事を与えられてこなかった反動だろうか。ガリガリな彼女にとって、温かくて味のある食事は、それだけで「奇跡」なのかもしれない。
そして、あまりの嬉しさに、隠していた尻尾が反応してしまったらしい。
ニョロリ。
椅子の隙間から、エメラルドグリーンの「蛇の尻尾」が顔を出した。
その蛇は、ルナの喜びを表現するように、クネクネとダンスを踊り、シュッシュッと空を切っている。
「こら、尻尾が出てるぞ」
俺がこっそりテーブルの下で尻尾をつつくと、蛇が「ヒャッ」と驚いたように引っ込んだ。
ルナは「えへへ」と照れ笑いを浮かべ、パン屑を頬につけたまま、今度は俺の皿の肉を狙うように鼻をヒクつかせている。
「よく食うな。……シルヴィアの分まで取るなよ?」
「あら、構いませんのよ。子供はよく食べて育つものです」
シルヴィアが優雅に、しかし凄まじい速度で、肉を切り分けながら微笑む。
彼女は自分の皿から、一番脂の乗った一切れを切り出すと、ふぅふぅと息を吹きかけ、俺の口元に差し出した。
「はい、カナメ様。あーんですわ」
「……自分で食える」
「いいえ! 『家族』での食事とは、こうやって愛を確かめ合うものですのよ! さあ、口を開けてくださいまし!」
シルヴィアが譲らない。その瞳は「拒否したら泣く」と訴えている。
周囲の客が「おい見ろよ、アツアツだねぇ」「美人が台無しだな」とニヤニヤしながら見ている。
俺は観念して口を開けた。
口の中に広がる肉の旨味と、ガーリックのパンチ。……確かに美味い。
「どうです? 私が食べさせてあげたから、三割増しで美味しいでしょう?」
「……そうだな。悪くない」
「ふふっ! やりましたわ!」
シルヴィアがガッツポーズをとる。
騒がしくて、温かい食事。
ルナはおかわりを要求し、パンをスープに浸して笑顔をこぼす。
シルヴィアは俺の世話を焼きたがり、隙あらば俺の腕に絡みついてくる。
俺は二人の底なしの食欲に呆れながらも、不思議と財布の紐を緩めることに抵抗がなかった。
前世の社畜時代。
コンビニ弁当をパソコンの前で流し込むだけだった毎日。
孤独に死んだ俺が、一度も手に入れることのなかった「家族団欒」の風景が、今ここにあった。
「ごちそうさまでした!」
ルナが膨れたお腹をポンポンと叩く。
その満足そうな顔を見るだけで、この街に来た甲斐があったと思える。
「……さて。腹ごなしに、少し夜風に当たるか」
俺たちは店を出た。
帰りにルナが欲しがったのでクレープを買ってやった。ルナは本当に幸せそうな顔をしていた。
だが。
その幸せな時間は、唐突に終わりを告げた。
中央広場に差し掛かった時だ。
人だかりができているのが見えた。
「おお……! イリアル様! 今日もお美しい!」
「我らが光、聖女イリアル様万歳!」
俺の隣で、はしゃいでいたルナの足が、凍りついたように止まった。
「……ルナ?」
俺が声をかけると、ルナの手からクレープが滑り落ち、地面にベチャリと落ちた。
だが、ルナはそれに気づきもしない。
彼女はガタガタと小刻みに震え、顔色は死人のように蒼白になっていた。
そして、スカートの下。
先ほどまで嬉しそうに振られていた蛇の尻尾が、今は恐怖に引き攣り、ルナ自身の太ももを、血が止まるほど強く締め上げている。
「……あ……ぅ……」
ルナの視線は、広場の掲示板に貼られた一枚のポスターに釘付けになっていた。
そこに描かれているのは、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる金髪の聖女の肖像画。
「……あの、ひと……」
ルナが掠れた声で、ポスターを指差す。
「……イリアル……おねえちゃん……」
「……!」
「……いたい……ちゅうしゃ、いや……暗いとこ、やだ……!」
ルナが頭を抱え、その場にうずくまる。
フラッシュバックだ。
「イリアル」という名前と、その顔を見ただけで、肉体に刻まれた地獄の記憶が蘇ったのだ。
俺の中で、カチリと何かが音を立てた。
それは、俺の中の安全装置が外れる音だった。
この子が、ここまで怯えるほどのことをしたのか。
あの聖女は。
「シルヴィア。ルナを連れて宿へ戻るぞ」
「……ええ。承知しましたわ」
シルヴィアの声もまた、先ほどの浮かれたトーンとは打って変わり、絶対零度の殺気を帯びていた。
彼女も悟ったのだ。
俺たちの敵が、誰なのかを。
俺は震えるルナを抱き上げ、濃紺のコートで彼女を隠すようにして広場を去った。
背中で聞こえる「聖女様万歳!」という歓声が、俺にはもはや、悪魔の笑い声にしか聞こえなかった。




