第12話:キメラの少女
少女の瞼が震え、ゆっくりと開かれていく。
そこにあったのは、獣のように縦に割れた、澄んだ碧眼。
彼女はぼんやりと天井を見つめ、次に視線を巡らせて――俺と目が合った。
瞬間。
少女の瞳孔が、針のように収縮した。
「――ッ!!」
野生動物の反応速度。
少女がベッドから弾かれたように飛び起き、部屋の隅へとバックステップで移動した。
四つん這いの姿勢。背中の蝙蝠のような翼を大きく広げ、全身の毛を逆立てている。
そして何より、お尻から伸びるエメラルドグリーンの「蛇の尻尾」が、シャーッ!と鎌首をもたげ、俺を威嚇していた。
「グルルルルッ……!!」
喉の奥から低い唸り声を上げる。
強烈な敵意と警戒心。
無理もない。彼女にとって「人間」とは、自分を切り刻み、痛めつけるだけの天敵だったのだから。
「おい、落ち着け。俺たちは敵じゃ――」
「ガウッ!!」
俺が一歩近づこうとした瞬間、少女が床を蹴った。
速い。
病み上がりとは思えない加速。残像を伴って、俺の喉元へ爪を突き立てようと迫る。
だが。
「――『待て』」
ドサッ!!
俺が動くより早く、少女の身体が床に縫い付けられた。
シルヴィアの「影」だ。
無数の黒い触手が少女の手足を拘束し、その動きを完全に封じている。
「ギャッ!? ぁ、ぐ……ッ!?」
「飼い主に牙を剥くとは、躾のなっていない駄犬ですね」
シルヴィアが冷ややかに見下す。
その瞳は、完全に「格下」を見る捕食者の目だった。
彼女の背後から、底知れない神話級の威圧感が立ち上る。
少女の動きが止まる。
影に拘束されているからではない。
本能が理解してしまったのだ。目の前にいる銀髪の女が、自分とは次元の違う「頂点の捕食者」であると。
「……くぅ……ん……」
少女から殺気が消え、代わりに哀願するような鳴き声が漏れた。
威勢よく威嚇していた蛇の尻尾も、今は「ヒィッ」と萎縮し、少女の股の間に情けなく挟み込まれている。
「よし、放してやれシルヴィア」
「ですがカナメ様、この子は狂犬ですわ。噛まれては大変です」
「大丈夫だ。……こいつはただ、怖がってるだけだ」
俺はシルヴィアに目配せをして、拘束を解かせた。
そして、ゆっくりと、敵意がないことを示すように両手を見せながら近づく。
少女はビクリと震え、後ずさろうとしたが、壁に阻まれて動けない。
「……気分はどうだ?言葉は分かるか?」
俺はしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。
「……あ……つ、く……ない……?」
少女は自分の身体を見下ろし、呆然と呟いた。
ずっと彼女を苛んできた、内側から焼かれるような苦痛。
それが綺麗に消えていることに気づいたのだろう。
「お前の中の毒は、彼女が食ってくれたんだ。……腹、減ってるだろ?」
俺はポケットから、非常食の干し肉を取り出した。
少女の鼻がピクピクと動く。
狼の嗅覚が、肉の存在を捉えたのだ。
「食うか?」
俺が差し出すと、少女は恐る恐る手を伸ばし――ひったくるように肉を奪い取った。
そして、ガツガツと貪り食った。
生きようとする意志。それが何よりの素質だ。
「……名前は?」
肉を飲み込んだ少女に尋ねる。
彼女は口元を拭い、小さく首を振った。
「……ない。……イチ、きゅう……」
――実験体109番と、ウィンドウに書いてあったことを思い出す。
「109番、か。色気のない名前だ」
俺は窓の外を見た。
路地裏の汚い夜空に、細く美しい月が浮かんでいる。
この子の金髪の色のようだった。
「ルナ。今日からお前はルナだ」
「……ルナ……」
「俺の敵を噛み殺し、俺の役に立つなら置いてやる。……どうする?」
少女――ルナは、俺をじっと見つめた。
そして、俺の手の匂いをクンクンと嗅ぎ、ぺろりと手の甲を舐めた。
その瞬間。
彼女の碧眼に、パァッと光が宿った。
「……におい、おぼえてる」
ルナが呟く。
「暗いところで、抱っこしてくれた。……あったかい、におい」
気絶している間も、俺の匂いを覚えていたのか。
ルナは、おずおずと俺の膝に手を置き、そして――ギュッと抱きついてきた。
「……パパ」
「パパはやめろ。カナメだ」
「……パパ」
「いや、だからカナメ……」
「パパ!!」
ルナは俺の腰にしがみつき、顔を埋めた。
背中では、小さな翼が嬉しそうにパタパタと羽ばたき、お尻からは緑色の「蛇の尻尾」が飛び出し、ちぎれんばかりにブンブンと左右に振られている。
シュッシュッシュッ!
蛇の頭をした尻尾が空を切る音がする。
とぐろを巻くはずの蛇が、完全に犬の尻尾として機能していた。
どうやら、本体の感情に合わせて、尻尾の蛇もご機嫌になっているらしい。
――刷り込みが強烈すぎたか。
一度「庇護者」と認識した相手への依存度が半端ではないようだ。
「……はぁ。まあいい、好きにしろ」
俺が妥協して、彼女の金髪を撫でてやると、ルナは「う~!」と気持ちよさそうに目を細めた。
蛇の尻尾も、俺の腕にペロペロと甘えるように巻き付いてくる。
だが、その微笑ましい光景を、黙って見ていない人物がいた。
「ちょ……ちょっと待ちなさい!」
横からシルヴィアが声を荒げ、ルナの襟首を猫のように摘み上げた。
「貴女、図々しいにも程がありますわよ! 私のカナメ様を『パパ』だなんて……!そ、それはつまり、家族としての契りを交わした、血の繋がった愛娘のようなポジションということではありませんか!」
何を言っているんだコイツは。
「……? パパは、パパ」
ルナが空中で足をバタつかせながらキョトンとする。
「生意気な……! いいですか、カナメ様は私の『王子様』であり、貴女のご主人様でもあるのです! 気安くパパなどと呼ぶんじゃありません!」
シルヴィアが顔を真っ赤にして捲し立てる。
どうやら、「自分ですらまだ恐れ多くて呼べないような親密な呼び名」を、ぽっと出の新人に使われたことが許せないらしい。
そして何より――俺の膝の上という特等席を奪われたことへの嫉妬だ。
「ウゥーッ……!!」
ルナが対抗して唸り、蛇の尻尾が再び鎌首をもたげ、「シャーッ!」とシルヴィアを威嚇する。
「シャーッ!!」
シルヴィアも負けじと威嚇し返す。
さっきまでの「神話級の捕食者と獲物」の関係が、一気に「意地悪な長女と、生意気な次女」の喧嘩に見えてきた。
「……やれやれ」
俺はため息をつき、二人の頭を強引に撫でて黙らせた。
「喧嘩するな。……飯を食いに行くぞ」
「「ご飯!?」」
二人の声が重なった。
ルナの蛇尻尾も、シルヴィアの影も、同時にピクリと反応する。
食い意地が張っているところだけは、本当の親子のようだ。
「……はっ!?」
その時、シルヴィアが何かに気づいたように、ハッとして口元を押さえた。
チラリと俺を見て、次にルナを見て、そしてまた交互に二人を見て、突然顔をボッと赤くさせる。
(パパ……娘……ということは、私は……ママ……つまりカナメ様と私は、公認のつがい……!?)
小声でブツブツと何かを言っている。
何やら自分に都合のいい妄想を始めたらしいシルヴィアのニヤけ顔を見なかったことにした。
――だが俺はまだ知らなかった。
この街の闇は、ルナのような「廃棄品」を量産する、もっと巨大な怪物が潜んでいることを。
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