第11話:神話級の調理術
路地裏の奥まった場所にある、看板すら出ていない古びた安宿。
借りた一室のベッドに、俺は拾ってきた「麻袋」――少女を寝かせた。
「……ッ、う……ぅ……」
少女のうわ言が、苦悶の色を深めている。
全身が赤黒く発光し、皮膚の下で何かがのたうち回るように脈打っている。まるで、身体の内側から怪物が食い破って出てこようとしているようだ。
「時間がないな」
俺は額の汗を拭い、隣に立つ「主治医」を見た。
「シルヴィア。準備はいいか?」
「ええ。いつでも」
シルヴィアはローブを脱ぎ捨てた。
豪奢なドレス姿に戻った彼女は、まるで晩餐会の席に着く貴婦人のように、優雅に両手を広げた。
「では――いただきましょうか」
彼女が少女のベッドに乗り上げ、その顔を覗き込む。
そして、白魚のような指先を、少女の胸元――心臓の鼓動が激しく打つ位置へと突き立てた。
ズブッ。
肉を裂く音ではない。
水面に指を入れたような、静かな音。
シルヴィアの指先は、物理的な肉体をすり抜け、その奥にある「魔力回路」へと直接干渉していた。
「……んっ……!」
少女がビクリと背中を反らせる。
「暴れないで。……今、悪いところを取り除いてあげますからね」
シルヴィアが慈母のような声で囁く。
だが、その瞳は鋭く、獲物の内臓を選り分ける捕食者の目だ。
「カナメ様、ご覧になって。……本当に、雑な仕事ですわ」
シルヴィアが指を引き抜くと、そこにはドロリとした「黒い霧」のようなものが絡みついていた。
「本来相容れない『火炎』と『水流』の因子を、接着剤もなしに無理やり繋いでいます。これでは血管の中で爆発が起きているようなもの……痛かったでしょうに」
彼女は指に絡みついた黒い霧を、ペロリと舐め取った。
「ん……ッ」
シルヴィアの喉が鳴る。
「……美味しくはありませんわね。鉄と泥を混ぜたような、ザラザラした味ですわ」
「文句を言うな。吐き出すんじゃないぞ」
「分かっていますわ。……毒も呪いも喰らってこその『捕食者』ですもの」
そこからは、神業のような手際だった。
シルヴィアは両手を使い、少女の全身から立ち上る「暴走した魔力」だけを、器用につまみ上げていく。
赤い霧、青い火花、緑の汚泥。
少女の中で喧嘩し合い、命を削っていた「余分な力」が、次々とシルヴィアの口へと吸い込まれていく。
それは、手術というよりは「食事」だった。
だが、これほど美しく、神聖に見える食事を俺は知らない。
俺も【魔力感知】でサポートに回る。
「右肺の下、再生因子の暴走反応がある。そこを重点的に頼む」
「はい、カナメ様。……んぐッ、これは少し酸っぱいですわね」
俺が患部を指示し、シルヴィアが捕食する。
阿吽の呼吸。
言葉にしなくても、互いの意図が手に取るように分かる。
数分後。
少女の身体から、赤黒い発光が消えた。
パリ、パリ……。
乾いた音がして、腕にこびり付いていた病的な鱗が、瘡蓋のように剥がれ落ちていく。その下から現れたのは、傷一つない白く滑らかな肌だ。
だが、彼女の「個性」は消えなかった。
むしろ、毒が抜けたことで、その本来の美しさを取り戻していた。
灰色の狼の耳は、ふんわりと毛並みが整い、愛らしく立ち上がっている。
背中の肉塊だったものは、皮膜の張った小さな「竜の翼」として形成され、呼吸に合わせてパタパタと動いている。
そして何より特徴的なのは、尻尾だ。
お尻から伸びているのは、狼の尾ではない。エメラルドグリーンの鱗を持つ、一本の「蛇の尻尾」。
先ほどまでは干からびていたが、今は宝石のような艶を帯び、とぐろを巻くようにベッドに収まっている。
狼と、竜と、蛇。
本来なら異形と呼ばれる姿。
だが、今の彼女は不思議とバランスが取れており、神話に出てくる精霊のような神秘的な愛らしさを放っていた。
【対象:実験体109番(個体名なし)】
【種族:合成獣 ⇒ 暴食の眷属・覚醒捕食種】
ウィンドウの表記が変わった。
成功だ。
「失敗作」としてのノイズを取り除き、キメラとしての「完成形」へと昇華させたのだ。
「……なぁ、シルヴィア」
俺はその表記を見て、眉をひそめた。
「合成獣が進化するなんてことはあるのか? 」
「ええっ?」
シルヴィアが素っ頓狂な声を上げ、目を丸くした。
「そ、そんなはずはありませんわ。キメラは所詮、ツギハギの作り物。一代限りの生物兵器ですから、進化など……」
彼女は否定しかけたが、ふと少女の顔に鼻を近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。
「……あら?」
シルヴィアの表情が変わる。
驚き、そして納得したような顔つきだ。
「確かに……。微かですが、私たちと同じ……同族の匂いがしますわ」
「同族?」
「ええ。紛れもない『暴食の眷属』の気配です。……不思議ですね。私の知っている合成獣の常識には当てはまりませんわ」
シルヴィアですら首をかしげる異常事態。
俺は腕を組み、考察を巡らせる。
(……考えられる要因は二つだ)
一つは、ベースが「人間」だったこと。
魔物同士の掛け合わせではなく、環境適応能力の高い人間を素体にしたことで、外部からの因子を受け入れ、変質する余地があったのかもしれない。
そしてもう一つは――。
(シルヴィアの『調理』か)
【神話級】であるシルヴィアが、直接体内に干渉し、魔力を注ぎ込んで「整えた」。
つまり、彼女の神話級の魔力が触媒となり、少女の細胞を「そちら側」へと書き換えてしまった可能性がある。
だとしたら、こいつはシルヴィアの血を引いたも同然の存在――文字通りの「娘」ということになるが。
「まあ、深く考えても仕方ないか。助かったことには変わりない」
俺は思考を打ち切った。
「……ふぅ。ごちそうさまでした」
シルヴィアが最後の「毒」を飲み込み、艶やかに唇を舐めた。
額にはうっすらと汗が滲んでいる。
神話級の彼女といえど、他人の体内の魔力を選別して食うというのは、相当な集中力を要したようだ。
「お疲れ様。……いい仕事だった」
俺が声をかけると、シルヴィアがベッドから降り、俺の方へと振り返った。
その顔には、隠しきれない疲労と――それ以上に、「褒めてほしい」という期待の色がありありと浮かんでいた。
「……カナメ様」
彼女が上目遣いで俺を見つめ、そっと身体を寄せてくる。
ドレスから漂う甘い香りと、魔力の余韻を含んだ熱気が、俺を包み込む。
「私、頑張りましたわ。……ゲテモノ、一滴残らず平らげましたわ?」
「ああ、見ていたよ。完璧な手際だった」
「口の中が、まだザラザラして気持ち悪いですの。……お口直しが欲しいかもしれません」
シルヴィアが、とろんとした瞳で俺の唇を見つめる。
その意味を察せないほど、俺も朴念仁ではない。
だが、ここで簡単にデレては、この調子に乗る「駄犬」の思う壺だ。
「……水でも飲むか?」
俺があえてすっとぼけると、シルヴィアは「むぅ!」と可愛らしく頬を膨らませた。
「意地悪っ! そういうことではありませんわ! ……疲れた私の身体には、カナメ様の愛が必要なのですっ!」
彼女は俺の胸に顔を埋め、グリグリと頭を押し付けてきた。
甘えている。
普段は人間をゴミ扱いする最強の捕食者が、俺の前でだけ見せるこの無防備な姿。
……やれやれ。
ここで拒絶しては、流石に可哀想か。
「……仕方ないな」
俺はため息をつきながら、彼女の銀髪に手を伸ばした。
絹糸のような手触り。俺は不器用なりに、彼女の頭を優しく撫でた。
「よくやった、シルヴィア。お前がいなきゃ、あの子は助からなかった。……感謝してる」
俺の言葉に、シルヴィアの身体がビクンと跳ねた。
彼女は顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめる。
「……もう一度」
「え?」
「もう一度、撫でていただけませんか。……カナメ様の手、大きくて、……温かいです」
彼女は猫のように目を細め、俺の掌に頬を擦り付けた。
その表情は、恍惚としていて、どこまでも幸せそうだ。
俺たちはしばらくの間、薄暗い安宿の一室で、互いの体温を確かめ合うように寄り添っていた。
外の世界の残酷さを忘れるような、穏やかな時間。
だが、その静寂は、小さな衣擦れの音によって破られた。
「……ん……ぁ……」
ベッドの方から、微かな声が聞こえた。
俺は名残惜しそうにしているシルヴィアを身体から離し、ベッドを振り返った。
少女の瞼が震え、ゆっくりと開かれていく。
そこにあったのは、獣のように縦に割れた、澄んだ碧眼。
濁りはもうない。
その瞳が、ぼんやりと天井を見つめ、次に視線を巡らせて――俺と合った。
目覚めだ。
地獄の淵から生還した、「新たな家族」の誕生だった。
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