聖女の陰は廃太子が気になるようです(1/1)
(バスティアン様……何だか想像と違う方でしたね)
その日の深夜。湯浴みを済ませたシャーロットは、宿泊室のベッドに身を横たえていた。
眠りに落ちるまでの時間で思い返していたのは、今日の夕方に食卓を囲ったミースの領主のことだった。
引きこもって酒ばかり飲んでいると聞いていたから、てっきりワイン樽のような体型の男性が出てくると思っていたのに、現われたのは想像とは真逆の引き締まった体付きの長身の青年だった。狩りが趣味とのことらしいし、日頃の運動の成果なのかもしれない。
胸の辺りまであるくせ毛気味の黒髪と、鋭い眼光を放つ金色の瞳。姿勢もよく、黙っていれば相当な迫力のある美丈夫だった。
けれど、シャーロットが抱いた「冷たくて傲岸不遜で怖そうな人」という第一印象はたちまちの内に裏切られることとなる。
(あの容姿であんなに中身が情熱的だなんて……人は見かけによらないんですね)
詩的な言葉で褒められた時は何事かと思ったが、きっと酒に酔っていたのだろう。バラと馬鈴薯を間違えたのもそのせいに決まっている。
(私の言葉を求婚と取り違えたのも……酔っていたからでしょうか?)
シャーロットはベッドの中で身をよじる。こちらの方が恥ずかしくなるような勘違いだった。今後は酒は一切飲まないと約束させなければ。
(でも、楽しい酔っ払いだっただけまだマシですよね。お姉様は飲んだくれのろくでなしだなんて言っていたけれど、全然そんなことはありませんでしたし……)
姉のことに考えが及び、シャーロットは動揺した。バスティアンがザビーネを何と言っていたのか思い出したのだ。
(バスティアン様はお姉様を神々しい方だと評した。とても恍惚とした顔をなさっていて……。放っておいたらお姉様のことも熱の入った言葉で讃えていたかもしれない……)
何故かシャーロットはそうなるのが嫌だと思ったのだ。だから、急いで別の話題を持ちかけた。彼を苦境から救い出すと言ってしまったのだ。
(その決意に後悔はありませんが……どうすれば彼を幸せにできるでしょう?)
まさか本当に結婚するわけにもいかないし、と苦笑する。姉に婚約者を盗られて失恋したシャーロットは、当分の間は恋愛沙汰とは無縁でいたかったのだ。
(それに、舞踏会のことをすっかり忘れていました……)
仕事以外のことにかまけて姉から押しつけられた任務をほっぽり出すなんて本末転倒だ。これでは何のためにミースに来たのか分からないではないか。
(まあ、その話はまた明日しましょう。どうせ、王都での建国記念式典は一ヶ月も先なのですから)
つまり、しばらくはこのミースに残っても問題はないということだ。当面はバスティアンの傍にいられると思うと、シャーロットは少しだけ心躍るような心地になった。
今朝方はこの仕事をさっさと終わらせて姉と落ち合おうとしていたのに、この心境の変化はどうしたことだろう。
(あの方にも魔力が無いからでしょうか。私、バスティアン様に仲間意識のようなものを抱いているのかもしれません)
ザビーネは「同情」と言ったが、それとは少し違う気がした。確かに彼を助けたいという気持ちもある。けれど、シャーロットが感じていたのはもっと別の温かな感情だった。
視線が自然と机の上の花瓶に向かう。そこに生けられていたのは、バスティアンがくれた真っ赤なバラだった。
(バスティアン様、もっとご自分に自信を持てばいいのに)
シャーロットもあまり自己肯定的な性格はしていないが、バスティアンはその比ではないほどに自分自身を嫌っているようだった。彼の言葉の節々から自己嫌悪が漂ってきているのにシャーロットは気付いていた。
(あの方といれば少なくとも私は楽しいのに……。何だかもったいないです)
ふと、彼を幸せにする方法が見えた気がする。バスティアンに、もっと自分自身を好きになってもらうのだ。
(だけど、そのためにはどうすればいいでしょう? ……やっぱり結婚でしょうか?)
ふふふ、と笑ってしまう。まったく、今夜の自分は浮かれすぎだ。一体どうしてしまったのだろう。
そんな楽しい気持ちのまま、シャーロットはゆっくりと目を閉じて睡魔に身を任せた。