聖女の陰、辺境へ置き去りにされる(3/3)
「お帰りなさいませ、補佐官殿」
ミース城へ戻ると、執事のオラフが出迎えてくれる。
「お姉様のこと、お聞きいたしましたよ。行動の読めないお方ですなあ」
ザビーネのことを持ち出され、高揚していた気分が一気にしぼんでしまった。自分はかなり難易度の高い任務を遂行せねばならなかったのだと思い出したのだ。
「ご領主様は……まだお部屋ですか?」
シャーロットは頬に手を添える。
以前は領主に同情を感じていたシャーロットだったが、城下町の様子を見た今は、彼に対して少々批難の気持ちを覚えていた。
「領民が飢えているというのに、あの方は何をしていらっしゃるのでしょう。この地を預かる者としての責任感はないのでしょうか」
思っていたことがつい口をついて出てしまい、シャーロットは急いで「申し訳ありません!」と謝った。
「余所者が生意気なことを言いました。私も姉に負けず劣らず失礼でしたね……」
「……補佐官殿、どうかあの方をあまり責めないで差し上げてください」
オラフは悲哀を含んだ顔になる。
「バスティアン様はお可哀想な方なのです。王太子として生まれながら、魔力を有さず廃嫡。その後のあの方に与えられたのは、不毛の土地ミースとそれに付随する爵位だけでした。それでも、バスティアン様は最初は必死になってこの痩せた土地を開拓しようと努力したのですが、ことごとく失敗し……。やがて、何をしても無駄だと悟ったのでしょう。土地の経営には一切手を付けなくなりました」
「そんな事情があったのですか……」
何も知らずにバスティアンを責めてしまった自分が恥ずかしくなってくる。詳しく説明されずとも、シャーロットにはバスティアンの心の傷が見えたような気がしたのだ。
「オラフさん、私、もう一度ご領主様とお話ししてきます」
「先ほどのように、何もお答えにはならないと思いますが……」
「構いません。私は自分にできることをします。これまでだって、ずっとそうしてきたのですから」
オラフと別れ、シャーロットはバスティアンの私室の前に立つ。扉越しに、「ご領主様」と呼びかけた。
「聖女補佐官のシャーロット・グランツです。また来てしまいました」
返事は無し。だが、構わずにシャーロットは続ける。
「少し私の話をしてもよろしいでしょうか? 実は私、聖女補佐官を務めてはいますが、魔法が使えないのです」
扉の奥から息を呑むような声が聞こえてきたのは、気のせいだろうか。
「大変ですよね、こういう体質って。マイナスからスタートしなければいけませんもの。一生懸命頑張って、それでやっと人並みに見てもらえるんです。それでも、皆さんの心のどこかには私たちを見下す気持ちがまだ残っている。マイナスの評価はプラスどころか、永遠にゼロにすらならないんです」
我が事ながら悲しくなるような事実だった。だが、これが自分を取り巻く現状なのだ。
「ご領主様はきっと、とても努力家なのでしょうね。王太子として相応しい人物になろうと励み、たとえそれが上手くいかなかったとしても、腐ったりせずに今度は与えられた別の役目を必死にこなそうとして……」
シャーロットはオラフから聞いた領主の過去を思い出していた。
「だけど、ずっと走り続けられる人なんて滅多にいません。特に、失敗ばかりしている時には。惨めで辛くて悲しくて。でも、その原因は全部自分にあると思っているから、他人を責めることもできない。あなたはとても自分に厳しい方なのでしょう。……ねえ、バスティアン様」
シャーロットは思いきって領主を名前で呼んでみた。
「今までよく頑張りましたね。だから、これ以上ご自分を傷付けるのはおやめください。もっと自分に優しくしてあげましょう? まずはそこから出てきてみませんか? 一人だけの世界にこもりきりになると、考えがどんどん悪い方に行ってしまう。そういうことって、あると思いますから」
バスティアンは何も言わない。シャーロットは軽くかぶりを振った。
(やはり私などでは、説得は無理だったのでしょうか……)
シャーロットは踵を返そうとした。
その時だった。かすかな声で、「……まだ、そこにいますか?」と聞こえてきたのは。
それが扉の向こうからの呼びかけだと気付き、シャーロットは目を見開いた。大きな声で「はい!」と返す。
「お声が聞けてとても嬉しいです! 出てきてくださるのですか!?」
「それは……あとで」
バスティアンは上ずった声で返した。
「今はダメです。少し……時間をください。……よろしければ、夕食をご一緒しても?」
「もちろんです! お待ちしていますね!」
空一面の灰色の雲が割れて、日差しが降り注いだような気分だった。
(こうしてはいられません! お夕食までに、早くお仕事を片付けないと!)
シャーロットはすっかり上機嫌になっていた。
聖女でなくともやれることはある。やっぱりミースに来て良かったと、シャーロットは心の底から思ったのだった。