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聖女の陰として生きてきた私が、廃太子と幸せになるまで  作者: 三羽高明


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42/50

眠りを覚ますキス(1/1)

「砕いたユニコーンの角を入れて左に十回撹拌かくはんすれば……出来上がりじゃ!」


 バスティアンが毒を盛られてから四日が経ち、ようやく解毒薬が完成した。


「これでバスティアン様は治るのですね?」


 大鍋からフラスコに黄緑色の薬を詰め替えながら、シャーロットはティモに尋ねる。目の下にクマを作ったティモは「そのはずじゃ」と言った。


「本来ならこの魔法薬を作るには一ヶ月以上かかるのじゃ。じゃが、そんなに悠長に構えておったらバスティアンが持たん。そこでいくつかの行程は省いたんじゃが……それがどんな結果を及ぼすのかは我にも分からん」


「でも、私たちは精一杯のことをしました」


 シャーロットはコルクでフラスコに栓をする。


「大丈夫です。きっとバスティアン様は戻ってきてくれます」


 シャーロットはティモと一緒に厨房を出た。ミース城には魔法薬専用の調合室はなかったので、炊事場で解毒剤を作っていたのだ。


 駆け足でバスティアンの寝室へ向かう。二人が入室すると、バスティアンの枕元に控えていた人たちの疲れ切った表情が少し和らいだ。


「できたのですね?」


 執事のオラフが尋ねた。シャーロットは固い表情で頷く。


「シャーロット、早く薬を飲ませて!」


 リルが両手を固く握りしめながら懇願する。


 シャーロットがベッドに近づくと、バスティアンに魔力を注いでいた十人ほどの農民たちが脇に退いた。


 シャーロットが解毒薬を作っている間、バスティアンに魔力を注入して毒の回りを遅くしていたのは、城に仕える治療魔法の得意な使用人たちだった。


 けれど、人手不足なミース城に優秀な魔法の使い手などそうそういるものではない。昼夜を問わず魔力を注ぐ作業に皆疲れ果てているのを見て、このままではまずいと判断したリルやオラフが城下に住む者たちに声をかけてくれたのだ。


 シャーロットもバスティアンを救おうと必死だと訴えたのが効いたのか、協力者を見つけるのはそう難しいことではなかった。バスティアンが領主としての頭角を現わし始めていたことも大きかったかもしれない。


 噂を聞きつけた領民が、聖女様とご領主様のためならばと遠方の村から駆けつけてくることもあったし、治癒魔法が不得手な者であっても何かの役に立とうと差し入れを届けてくれることもあった。


 ミース中がバスティアンを助けようと必死になっている。その事実にシャーロットは胸を熱くした。


「さあ、そろそろ起きる時間ですよ、バスティアン様」


 シャーロットはコルク栓を抜いて、バスティアンの口元にフラスコの縁を近づけた。


 皆が固唾を呑んでこちらの様子をうかがう。


 だが、バスティアンの形の良い唇はピクリとも動かなかった。


「飲んでください、バスティアン様」


 シャーロットはバスティアンの口にフラスコを押し当てた。こぼれ出た魔法薬が唇から肌を伝って枕に黄緑色の染みを作る。


「バスティアン! 助かりたいなら口を開けてよ!」


 リルがバスティアンの体を揺さぶる。


 どんなに強力な魔法薬があっても彼が飲んでくれなければ意味がない。こうしている間にも刻一刻と時は過ぎていく。毒は確実にバスティアンの体を蝕み、その命を摘み取ろうとしていた。


「ああ、ご領主様……」


 農民たちの間からすすり泣きが漏れた。フラスコを握るシャーロットの手のひらに力がこもる。


(バスティアン様……もう誰もあなたに失望などしていないのですよ)


 彼のために泣いてくれる領民を、薬を飲んでくれと懇願する家族を、ぜひともバスティアンに見せたかった。


 あなたはこんなにも愛されているのだと分かってもらいたい。そして、その愛はこれからますます深くなっていくであろうと知ってほしかった。


 それに、シャーロットはまだバスティアンに自分の気持ちを伝えていない。二人が相思相愛の仲だと知れば、バスティアンはどれほど喜んでくれるだろう。


 ダメだ、とシャーロットは思った。彼はこの世に置いていくものが多すぎる。


(このままバスティアン様を死なせてなるものですか!)


 シャーロットはフラスコの中身を一気にあおった。バスティアンの口に自分の口を重ね、彼の唇をこじ開けて魔法薬を流し込んだ。それと同時にありったけの魔力を注ぎ込む。


(バスティアン様、目を覚ましてください!)


 シャーロットは一心不乱にそう祈った。



 ****



 バスティアンはどことも知れぬ闇の中を歩いていた。


 胸の内に蘇ってくるのはこれまでの人生だ。


 王太子として周囲から愛され、勉学に励み、家族と笑い合って過ごした幼少期。皆が優秀だと褒めてくれ、「バスティアン殿下は必ずや素晴らしい王になるでしょう」と言ってくれた。


 だが、十歳を過ぎた頃からその評判に陰りが見え始める。


 弟や妹が次々に魔力を発現しているのに、長男であるバスティアンは一向に特別な力を獲得する気配がない。父王も難しい顔で黙り込むことが増え、母も「あなたなら大丈夫よ」と言いつつもその表情には不安が表れていた。


 そして、彼の運命は十三歳の誕生日に決定的なものとなる。生誕の祝いの代わりに彼が受け取ったのは廃嫡の知らせで、それから一月もしない内にバスティアンは王都を出ることになった。


 行き着いたのは寒々しい辺境の地ミースだ。その貧しく枯れ果てた土地はバスティアンに数え切れないほどの挫折を経験させた。


 そうしてすっかり無気力になった彼は、好きでもない酒を飲んで酩酊することで、どうにか心の痛みを和らげる毎日を送ることになる。


(ろくでもない人生だったな……)


 バスティアンは憑かれたような足取りでフラフラと先へ進む。一歩踏み出すごとに闇は濃くなっていったが、彼はそのことに気付かない。


(だが、それももう終わる。わたしはやっと苦しみのない世界に行けるんだ……)


 どうしてもっと早くこの決断をしなかったのか不思議で仕方がなかった。闇が手足にまとわりつく。それなのにとても安らいだ気分だった。


(これでもう誰かをガッカリさせることもないし、期待外れと言われて傷付くこともない。さようなら、皆。わたしは立派な王の子にも良き領主にもなれなかった。そんな不出来なわたしをどうか許してくれ……)


 闇が喉元まで迫る。バスティアンは目を閉じた。


「バスティアン様!」


 不意に名を呼ぶ声が聞こえてきた。ハッとなりバスティアンは目を開ける。頭上から一輪の花が降ってくるのが見えた。


(カモミール……)


 白い花が地に落ちた途端に、バスティアンに絡みついていた闇が消え去った。温かな光が後方から差し込んでくる。


 バスティアンはカモミールを拾い上げ、無意識の内に光が差す方に歩き出した。


 来た道を戻るにつれて思い出す。


 邪神の姉や氏神の父ができた時のこと。貧しくて何もなかったとしても、ミースに愛着を持つようになった日々のこと。そして、扉越しに優しい言葉をかけてくれた女神が現われた瞬間のこと――。


(シャーロット様!)


 バスティアンは駆け出した。頭上からは黄金の花弁が降り注ぎ、辺りにはヒマワリの花が咲き乱れて闇を押しのけていく。


(そうだ……わたしはどうかしていた! わたしには未練しかないのに! わたしが行こうとしていた世界には何もないじゃないか! ミースも領民も家族もシャーロット様も何も! 嫌だ、こんなところで死にたくない!)


 それに何より、愛しい人が自分に生きていてほしいと願っているのだ。バスティアンはカモミールの花を胸に押し当てた。


 前方に見える柔らかな光がますます強くなっていく。闇はすでに遙か後方にまで遠ざかり、見えなくなっていた。


 バスティアンは声の限りに叫んだ。


「シャーロット様っ!」


 その瞬間、闇は完全に晴れた。真っ先に目に飛び込んできたのは麗しの女神の姿だった。


「ああ、バスティアン様……!」


 シャーロットがバスティアンの首筋に縋りつく。周囲から歓声が聞こえてきた。


「良かった、本当に良かった! よく戻ってきてくださいました!」

「シャーロット様……」


 夢の中を漂っている時のように頭がぼんやりしていた。何が現実かも分からないままにシャーロットを抱きしめる。


「愛しています」

「私もです」


 耳元でシャーロットがそう応じる声が聞こえた気がした。

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