第六王子に邪神の鉄槌を(1/1)
天井のシャンデリアが人の気配を察知して明るく輝く。その瞬間、エドガーは我に返ったような顔になった。
「うん……? ここはどこだろう……?」
エドガーは壁一面が鏡張りになった室内をきょろきょろと見回す。
その様子を陰から観察していたリルは、人を道に迷わせる能力を持つ魔獣、レッドキャップを元のところへ送り返した。
「ようこそ、鏡の間へ」
リルは室内には入らず、部屋の入り口に立ったまま冷ややかな声を出す。エドガーは不審そうな表情になった。
「鏡の間? どうして俺はこんなところにいるんだ? 確か城の出口に向かっていたはずなのに……」
「迷子だね、お気の毒に」
リルは素知らぬ顔で言った。
「この部屋は特別な鏡が貼ってある場所なんだよ。……ほら、見てみて」
リルはエドガーの背後の鏡を指差す。その途端、彼は息を呑んだ。
鏡の中にいたのは四つ足の獣だった。大型の肉食獣のような見た目。毛皮は灰色で醜悪な顔立ちをしている。エドガーは眉をひそめた。
「何だい、このおぞましい生き物は」
「お前だよ」
リルは鼻を鳴らす。
「それはね、真実を映す鏡なの。つまり、人の本性をさらけ出しちゃうってこと。その化け物がお前の正体だよ。柔和で人当たりのいい笑顔の後ろでそんな魔獣を飼ってたんだね」
「ミースにはつくづく面白いものがあるんだね」
エドガーは軽く笑った。
「でも、だからどうだっていうんだい? 鏡の向こうの哀れな魔獣が俺をどうにかできるとでも?」
エドガーは鏡面を軽く蹴飛ばした。獣は狂ったように吠えたが、エドガーを傷付けることはできない。第六王子は得意げな顔になる。
「……教えてほしいことがあるの」
リルが言った。
「お前、最初からバスティアンを毒殺するつもりだったんでしょう? カンタレラはそんなにすぐに調合できる毒薬じゃないもん。お前の今回の訪問の目的はバスティアンの殺害。違う?」
「目的の一つは、だよ」
エドガーは邪悪な笑みをたたえて訂正した。
「何度も言ったろう? 俺がここに来たのはシャーロットを聖女にするため。それから彼女と婚約するためだよ」
「お前、そこまでシャーロットが好きなようには見えないけど」
「そうかい? そんなことないけどなあ」
エドガーはおかしそうに言った。
「彼女は素晴らしいよ。何といったってあのグランツ家の令嬢だ。身を立てるために結婚する相手としてはうってつけじゃないか。といっても、昔のシャーロットはグランツ家の中では地位が高くなかったけどね。まあ、妥協も必要だろうと思ってね」
エドガーは致し方ないと言いたげな表情を作る。
「だけど、あとでもっといいのが現われた。ザビーネだ。本当にバカな女だよ。聖女なんだからどんな身分の高い男だって選べたはずなのに、妹の邪魔をしてやりたい一心で俺と婚約するなんて。まあ、こっちとしては願ったり叶ったりだったけどね」
「……今の話、聞いてたのがアタシで良かったよ」
元婚約者の薄汚い下心を知れば、シャーロットはきっと傷付いただろう。
シャーロットはいいように使われていたのだ。正妻の子ではなく、国王になれる可能性もほとんどない王子が成り上がるための道具。シャーロットはそんな風にしか見られていなかった。
エドガーがシャーロットにもう一度婚約話を持ちかけたり、聖女を継ぐように勧めたりしたのもそのためだったのだろう。
ザビーネが破滅して利用価値がなくなった今、彼の目は再びシャーロットに向けられたのだ。エドガーの今までの行動はシャーロットのためなどではない。彼は自分の利益のことしか考えていなかったのである。
「ここへ来た時はミースを手に入れるつもりなんてさらさらなかったんだけどね」
胸の内にしまっていた本心をさらけ出したエドガーは、さらに告白を重ねる。
「あの毒はシャーロットが兄上に惚れてここに居着く気でいたら困ると思って用意したものだったんだ。それがこんな形で役に立つとはねえ。俺はつくづく運がいいよ。グランツ家の後ろ盾も莫大な収益を上げる土地ももうすぐ俺のものになるんだから」
「……救いがたい奴」
リルは嫌悪で眉を曇らせる。
長生きする内に色々な人間を見てきたが、彼ほど自己中心的な男も珍しい。あまりの傲慢さに開いた口がふさがらなくなりそうだ。
「お前なんていなくなった方が皆のためだよ」
「俺をどうするつもりだい、おチビちゃん?」
エドガーがからかうように言った。
「次期ミースの領主である俺に対して君ごときに何ができる? 言葉には気を付けた方がいいよ。俺の権力を持ってすれば、厩舎係を一人クビにしてこの土地から永久追放するくらい何でもないんだから」
「言葉には気を付けろ? それはこっちのセリフだよ。もう手遅れだけどね。お前がいたらアタシはこの土地ではやっていけなくなる。……アタシはね、生き延びるためなら何でもするよ。これまでも、これからもね」
リルは鏡を指差した。指先から魔力がほとばしり出る。
「鏡よ鏡、教えておくれ。この性悪の第六王子はどんな人間なんだい?」
低い唸り声がした。エドガーが怪訝な顔で肩越しに背後を見る。
その瞬間、彼の表情は凍り付いた。
「ど、どうして……」
灰色の獣がゆっくりと鏡の中から出てくる。獣は嬉しそうに舌なめずりしながらエドガーに近づいていった。
「何故だ! こいつは幻のはずだろう!?」
「アタシね、ただの厩舎係じゃないんだよ。魔獣を召喚できるの」
リルがツンとした声で言った。
「第六王子ってさ、大して偉くないんでしょう? いなくなっても皆そこまで真剣に探さないんじゃないかな? まあ、たとえここまで捜査の手が伸びてきたとしても、アタシは証拠を残すようなヘマはしないけどね。……不届き者に邪神の鉄槌を」
魔獣がエドガーに飛びかかり、彼の腕に食らいついた。
リルはドアを閉める。扉越しに聞こえてきたのは、世にも恐ろしい断末魔だった。




