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聖女の陰、辺境へ置き去りにされる(2/3)

「あの……ご領主様はどちらに?」


 宿泊室のカギを渡されたあと、様々な部屋を見せてもらいながら、シャーロットはオラフに尋ねる。


「到着のご挨拶をしたいのですが……」


「本日のご訪問は、もちろん領主も存じております。ですが、どなたにも会いたくないと申しておりまして。お部屋に閉じこもっているのです」


 オラフは困ったものだというふうに首を振った。


(やっぱり人間嫌いという噂は本当だったのですね)


 来客にすら会わないような人を、どうやって式典に連れて行けば良いのだろう。今回の任務の難しさに、シャーロットは気分が重たくなる。


「お部屋まで案内していただけませんか? せめて一言、お声くらいはかけておきたいです。扉越しでもいいですから」


「補佐官殿は礼儀正しい方ですね。そこまでおっしゃるのなら……」


 オラフは愉快そうに笑って、ミース城の最上階にある部屋までシャーロットを案内した。


「バスティアン様、オラフです」


 ドアをノックしながらオラフが名乗る。バスティアンとは誰だろうと思ったシャーロットだったが、すぐに領主の名前かと思い当たった。


「聖女様ご一行が到着なさいました。つきましては、聖女様の代理の方がご挨拶をなさりたいそうです」


 オラフに促され、シャーロットは扉の前に立つ。この固いオークの木の板の向こうには、どんな人がいるのだろうと想像しながら、「初めまして」と言った。


「私は聖女補佐官のシャーロット・グランツです。この度はミース訪問の許可を出してくださり、誠にありがとうございました」


 扉の向こうからは返事がない。シャーロットはめげずに続ける。


「私、ミースに来るのは初めてなのです。もしよろしければ、この土地を案内していただけませんか?」


 またしても沈黙。シャーロットは、本当にこのドアの向こうに人がいるのだろうかと訝しんだ。


「その……ご領主様? 私の声は聞こえていますでしょうか?」


 領主は何も返さない。シャーロットは嘆息した。


(人と会うどころか、話すのもお嫌なのですね。気難しいお方……)


 失礼します、と言ってシャーロットはすごすごと下がる。オラフが「どうかお気になさらないでください」と慰めるように言った。


「お腹が空けばお部屋から出てきますよ。果報は寝て待てと言いますからな」


 楽観的な口調に、少しだけ救われた思いがする。それでも、どこかすっきりしない気分だった。


(ご領主様はきっと、私のような補佐官とは口を利きたくないのかもしれませんね。やはり、聖女であるお姉様のお力添えがないと……)


 こんな時にザビーネはどこに行ってしまったのだろう。シャーロットは自由奔放な姉を恨まずにはいられない。


(まあ……放っておいてもその内帰ってくるでしょう。その間、私はお仕事をしておかないと)


 巡幸だからといって、聖女補佐官の業務が軽減されるわけではない。シャーロットのトランクの中には、目一杯に詰め込まれた書類が入っていた。


 それからのシャーロットは領主よろしく、部屋に引きこもって大量の未決書類と格闘を始めた。


 ドアがノックされたのは、一時間ほどが経ってからのことだった。


(お姉様、やっと帰ってきたのですね)


 やれやれと思いながらシャーロットはドアを開けたが、そこにいたのは姉が連れてきた使用人だった。


「シャーロット様、お手紙です」


 使用人に封筒を差し出される。差出人は姉だった。


 一体何事だろうと思い、シャーロットは封を開ける。


『シャーロットへ


 その辺の教会に寄って、土地への祈りは済ませました。聖女の仕事はこれで終わり。引きこもりを連れ出す任務の方はあんたに託します。あたくし、酔っ払いは嫌いなの。


 追伸。あたくしがいないからって、仕事サボるんじゃないわよ』


 その短いながらも衝撃的な内容に、シャーロットは呆然となってしまう。立ち去りかける使用人を慌てて呼び止めた。


「あ、あの、これはどういうことですか!?」


「聖女様は、シャーロット様にお仕事を任されました。私もあとを追うように言われております。以後はシャーロット様お一人でご対応ください」


 その突き放すような言い方で、シャーロットは何が起きたのか悟った。


 ――この城よりはマシなところへ行くのよ。


 どうやら姉は、早々にミースから出て行ってしまったらしい。シャーロットは辺境に置き去りにされたのだ。ザビーネにとって気が進まない仕事を片付けるために。


(お姉様、どうして……!)


 シャーロットは急いで城外に出た。


 だが、乗ってきた馬車は影も形もない。姉がどこへ行ったのかも分からないので、連絡の取りようもなかった。


 あまりのことに愕然としながら、シャーロットはとぼとぼとミース城へ戻る。とてつもない貧乏くじを引いたような気分だった。


(話もしてくれないような方を、どうやって式典に連れて行けばいいのでしょう。私には荷が重すぎます……)


 真面目なシャーロットには、任務を放棄するという考えは浮かんでこなかった。ただ与えられた仕事を一刻も早く終わらせて、姉と合流することしか頭になかったのだ。


 思い悩むシャーロットを大きな陰が包む。ハッとなって顔を上げた彼女は仰天してしまった。


(この子……ビヒーモス!?)


 目の前をのっしのっしと歩いているのは、四足歩行の魔獣ではないか。


(魔獣は人里離れた場所にしか住まず、滅多に人間の前に姿を現わさないはずなのに……。それが我が物顔で城下を歩いているなんて! ミースは私の想像以上の辺境だったのですね……)


 好奇心を覚えたシャーロットは、ビヒーモスにそっと触れようとする。


 その途端に、ビヒーモスは短い四肢を全力で動かしながら走り去ってしまった。どうやら触られるのは嫌いらしい。


 小さくなっていく魔獣の姿を見つめるシャーロットの頬が緩んだ。


(ミース……意外と面白い土地かもしれませんね)


 先ほどまで憂鬱な気持ちだったシャーロットだが、王都では見られない珍しい生き物と出会ったことで、少し気分が良くなっていた。


 せっかくだから、他にももっと変わったものがないかと辺りを見回す。


 けれど、目につくのは寂れた商店や疲れ果てた顔の老人ばかり。一目見て、ここは景気の悪い町だと分かるような光景だった。


 それでも、若者が全くいないわけではないようだ。パン屋のショーウィンドウに鼻先をくっつけて、八歳くらいの少女が商品を見ている。


「今日のお昼は何にするのですか?」


 シャーロットは少女に話しかけてみた。たっぷりとした量の夕焼け色の髪を揺らしながら、少女がこちらを振り返る。


 愛嬌のある低い鼻と垂れた瞳。利発そうな顔立ちの子だ。


「決めてない」


 少女は首を振る。


「そんなことしても無駄だもん。お金が無きゃ、パンは買えないんだから。それとも、あなたがアタシに何か買ってくれるの?」


「……ごめんなさい。今は持ち合わせながなくて……」


 出し惜しみをしたわけではない。聖女補佐官としての給金は全て姉が管理していたため、シャーロットの手元にはまるで現金がなかったのだ。


 姉曰く、「心配しなくても、一言言ってくれればすぐに必要な額は用立ててあげるわよ」とのことらしいが、その約束が果たされたことは一度も無かった。


 もっとも、そんな状態であっても食事と住まいは教会が提供してくれていたので、最低限の生活はできていたのだが。


「そう……」


 少女は残念そうな顔になった。


「ミースの人たちって貧乏だよね。それなのに働く場所もないし、皆この土地から出ていっちゃうわけだよ」


 少女はくるりと背を向ける。そのあまりに小さな背中がくたびれた街の中に溶け込んでいく光景に胸を痛めたシャーロットは、反射的に「待ってください!」と叫んだ。


「お金はないけど……そうです!」


 服の上から体をまさぐっていたシャーロットは、懐から青い石のついたペンダント取り出した。


「これを売ってお金に換えてください。どれほどの値がつくかは分かりませんが……」


「え……いいの?」


「はい、気にしないでください」


 以前のシャーロットなら、姉からの贈り物を人にやるなんてことは絶対にしなかっただろう。


 だが、婚約解消の一件で、シャーロットの心のどこかに姉に失望する気持ちが生まれてしまったのだ。


 それに加えて、今回の置き去り事件である。人の好いシャーロットでも、姉にうんざりし始めるのは当然のことだった。


 これはちょっとした復讐だ。こんなことをしてもザビーネにとっては痛くもかゆくもないだろうが、密かに芽生えた反抗心を形にできてシャーロットは満足していた。


「へえ……これをアタシに……」


 少女はペンダントをめつすがめつ眺めていたが、やがて明るい顔になる。


「ありがとう! 嬉しいな……。誰かからこんなに親切にされたのは初めてだよ」


 ペンダントを首から提げると、少女は弾む足取りで去っていった。


 シャーロットは愉快な気持ちで帰城した。罪悪感などまるで湧いて来ないのが、何だかおかしかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 魔力溢れる聖女、けれど実際は…というザビーネと、魔力はないけれど真面目なシャーロット。対照的な性格の二人の姉妹がくり広げる物語に、冒頭から惹き込まれました。とても面白いです。 魔獣ビヒー…
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