もうあなたに恋はしていない(2/2)
「ところで、エドガー様は何の用でミースにいらっしゃったのですか?」
「もちろんシャーロットのためだよ」
エドガーはバスティアンの存在を無視するように彼から視線を外し、人当たりのよさそうな顔でシャーロットに笑いかけた。
「今、君の実家は大騒ぎでね。次の聖女を誰にするかまだ決まっていないんだ。グランツ家の人たちは皆、君に地位を継いでほしいと思っているようだけど……」
「そのお話ならお断りしたはずですが」
記念式典で宗主の申し出をはねつけたことだけを指しているのではない。諦めの悪いグランツ家は、その後も何度かミースに手紙や使者を寄越していたのだ。
だが、シャーロットはどの手紙にも同じ返事を書き、使者に至っては会うことすらしなかった。
(それで最終手段としてエドガー様を送り込んできたというわけですね。元婚約者なら私の心を動かせると思ったのでしょうか)
他の使者のように門前払いを食らわなかったのは、エドガーが王族だからだろう。第六王子とはいえ、さすがにそこまで礼儀に欠けた振る舞いをするわけにはいかなかった。
だが、だからといって嘘でも彼を歓迎する素振りを見せるのも難しい。もうほとんど縁が切れてしまったも同然の実家が、今度は縁もゆかりもなくなった人を寄越してきた。その事実にシャーロットは辟易する。
「シャーロット、これは君にとってとってもいい話なんだよ」
エドガーは赤子をあやすような口調になる。
「君は世間のことを何にも分かっていない。まさかこんな辺境で一生を終えるつもりはないだろう? このまま頑なな態度を取り続けていたらグランツ家の不興を買うかもしれない。そうなったら君の将来は絶望的なことになるんだよ」
「私の将来が絶望的?」
シャーロットはエドガーの心配を笑い飛ばしてやりたいような気分になった。
「あいにくですが、そんなことにはなりませんよ。あなたはミースを誤解しています。ここが何の魅力もない打ち捨てられた土地だと思っているとしたら、十年後にエドガー様は己の不明を恥じることになるでしょう」
「シャーロット……どうしたんだい?」
かつてとは全く違うズケズケとした物言いにエドガーは面食らったようだ。シャーロットもこんなに強気なことを言う自分に少しばかり驚いていたが、それはきっとエドガーに対して腹を立てているせいだろう。
シャーロットはミースに愛着を抱くようになっていた。それなのに、何も知らない部外者からこの土地をバカにされて不愉快になってしまったのだ。
「もうお帰りください、エドガー様。何を言われても私の気持ちは変わりませんし、ここはあなたにとっては面白くも何ともない場所でしょうから」
「そういうわけにはいかないよ」
シャーロットは退室を促したが、エドガーは素直にうんとは言わない。よほどグランツ家の者から強く言い含められてきたのだろうか。
そう思ったシャーロットだったが、彼は意外なことを言い出した。
「俺の目的はシャーロットを聖女に勧誘することだけじゃないんだ。もう一度君と婚約を結びたいんだよ」
「何だって!?」
シャーロットも呆然としたが、バスティアンの驚きはそれ以上だったらしい。思わずシャーロットを己の腕の中から解放し、エドガーに掴みかかった。
「お前、今何と言ったんだ!」
「兄上には関係ありません」
エドガーはバスティアンに思い切り腕を掴まれて痛みを感じたらしかったが、わずかに顔をしかめただけでシャーロットに視線を遣った。
「シャーロット、今までごめんね。俺は君を愛してる。だから俺と婚約しよう」
「エドガー! それ以上ふざけたことを言うとその舌を引っこ抜いて……」
「あの、どういうことでしょう」
シャーロットは物騒なことを言うバスティアンを遮った。
「だってエドガー様は私の姉が……ザビーネさんがお好きだったのでは?」
不正を暴かれて破滅したザビーネとエドガーの婚約が解消になったのは当然のこととして、彼がそれをちっとも悔やむ様子がないのは意外だった。愛した人が没落してもエドガーの胸は痛まないのだろうか。
そんなシャーロットの疑念など気付かぬように、エドガーは「まさか!」と口元を曲げる。
「あんなブサイク、誰が本気で愛するというんだい?」
エドガーは嘲笑を漏らした。
「俺は騙されてたんだよ。ザビーネは俺に媚薬を盛っていたんだ。そのせいで俺は思ってもいないことを言ってしまったんだよ」
――シャーロット、ごめんね。君との婚約はなかったことにさせてくれ。
――俺が本当に好きなのはザビーネだったんだ。けれど彼女を手に入れられなかったから、無意識の内に代替品を探してしまった。それがシャーロットだったんだよ。
――ちょうど君が俺を誘惑したせいもあって、俺は二人の間に愛があると錯覚してしまったんだ。
あの言葉は全部媚薬の効果で無理に言わされていたということなのか。シャーロットは呆気にとられてしまう。
「今さら何を言い出すんだ!」
バスティアンがエドガーを怒鳴りつける。
「お前の心ない仕打ちのせいでどれほどシャーロット様が傷付いたか! その痛みがお前に欠片でも分かるのか!?」
「だから謝ったでしょう。それに俺も被害者なんですよ。あの醜い女に操られてたんですから」
「あの……エドガー様……」
シャーロットはおずおずと尋ねる。
「それは確かなのでしょうか? その……本当にザビーネさんに薬を盛られていたのですか?」
「もちろんさ」
エドガーは軽薄な笑みを浮かべる。
「俺が愛しているのは今も昔もシャーロットだけだ。好きだよ、シャーロット」
(……嘘ですね)
エドガーを気の毒に思う気持ちが少しだけ湧きそうになっていたシャーロットは、一瞬で同情が消えていくのを感じた。
エドガーが自分を見る目には、バスティアンがこちらに寄越す視線の半分の情熱も含まれていない。
エドガーはシャーロットを愛してなどいないのだ。媚薬云々の真偽までは分からないが、彼の愛の告白が偽りだということはすぐに理解できた。
(エドガー様は私を弄ぼうとしているのでしょう。かつて聖女補佐官だった頃の私に言い寄った時のように……)
エドガーにとって恋愛は暇つぶしのようなもの。要するに遊びなのだ。
シャーロットの心に元婚約者を軽蔑する気持ちが湧き起こってくる。
――好きだよ、シャーロット。
バスティアンに先ほどのエドガーと同じセリフを言わせたら、きっと命をかけるくらいの熱量で恋心をぶつけてきただろう。
そんな豊かな愛情をこれまでたっぷりと浴びてきたシャーロットは、真心の伴わない表面的な色恋沙汰には侮蔑の念すら抱くようになっていたのである。
「エドガー様、お帰りください」
シャーロットは冷たい声を出した。
「私は聖女にはなりませんし、エドガー様と婚約もしません。覚えておいてください。私があなたを好きになる可能性など、第六王子が王位を継ぐ確率と同程度しかないということを」
侮辱されたエドガーが真っ赤になる。それでも退室しようとしなかったので、シャーロットは「行きましょう、バスティアン様」と言って自分から客間を出た。
「シャーロット様……あなたはよほどエドガーに腹を立てていたのですね」
バスティアンが恐れ入ったという表情を作る。
「お優しいあなたが、あのような激しい言葉を使うなど思ってもみませんでした」
「私はミースの領主補佐官ですよ。第六王子ごときにそう簡単に言い負かされるわけにはいきません。……こんな私はお嫌いですか?」
「まさか! わたしがあなたを嫌いになる可能性など、廃太子が欲しくもない王位を継ぐ確率と同程度しかありませんよ!」
「あらまあ」
シャーロットは微笑んだ。
(バスティアン様……大好きです)
シャーロットはバスティアンにそっと寄り添い、彼の腕に自分の腕を絡めた。
本当ならここで思いの丈をぶちまけ、キスの一つでもしたいところではあるけれど、懸命に自制する。
バスティアンはムードを重視するロマンチストだ。二人が思いを交わして初めての口付けをするのがこんな何の変哲もない廊下のど真ん中では、ガッカリしてしまうだろう。
いくら抑えきれないほどに恋心が強いとはいっても、愛する人が望まないことをシャーロットはしたくなかった。
(今は少しだけお預けです)
もっと告白するのにいい瞬間はあるはず。その時を逃すまい。
シャーロットは体中を駆け巡るバスティアンへの愛情を感じながら、そう決心したのだった。




