聖女の陰、辺境へ置き去りにされる(1/3)
翌日からも、シャーロットは変わりない日々を送っていた。
朝は日の出と共に起き、聖女専用の菜園で薬草のお世話。肥料を撒いたり、水をあげたりする。収穫時期が来たものは摘み取って保管室に種類別にしまい、必要な時にはいつでも取り出せるようにしておく。
この頃になると教会の開館時間となるので、今度は聖女に会いに来た信者たちの応対をしなければならない。といっても、ザビーネはまだ寝ているので、面会させてやることはできないのだが。
こうしてお昼頃まで来客対応をしたあと、ようやくシャーロットはザビーネを起こしに行く。身だしなみを整えてやり、朝食を兼ねた昼食の給仕もした。その傍ら、今日のスケジュールを教えてやるのも忘れない。
食事が終わるとザビーネはふらふらとどこかに遊びに行ってしまうが、シャーロットには書類仕事が待っていた。文書に姉の名前を署名して聖女の印章を押していく。
手紙の代筆もシャーロットの仕事だ。
やりきれないのは、姉の元に送られてくる最近の手紙のほとんどが婚約を祝う内容だということだった。あの舞踏会が終わってすぐに、ザビーネは第五王子エドガーとの関係を大々的に発表したのである。
涙を堪えながら、シャーロットは姉の婚約を祝福する手紙に、心にもない「ありがとうございます」という文字を書き連ねて、封蝋をしていった。
そうして机の前に何時間もかじりついたあと、ようやく夕食のために執務室を出る。
だが、食事中だろうと気は抜けなかった。
すでに夜も遅い時間帯だが、遊び足りないザビーネはこれから夜会に出かけることも多く、妹の都合などお構いなしで平気で呼び出しを食らわせることがあるからだ。
それに、姉が出かけていってもまだまだ体を休めるわけにはいかない。ザビーネがいない間に彼女の部屋の掃除や、明日の服の用意をしなければならないのだ。
その他、ザビーネが注文したドレスや宝飾品などを管理したり、代金を店まで送付する手はずを整えたり、帳簿をつけたり……。シャーロットがベッドに入る頃には、すでに日付は変わってしまっている。
――あれじゃあ、補佐官っていうより雑用係ねえ。
教会の関係者は皆そう言ってシャーロットを気の毒がっていたが、誰も彼女を手伝おうとはしなかった。魔力の無いシャーロットには、親身になってくれる味方などいないのだ。
そんな代わり映えのしない日々が続く。転機があったのは、舞踏会から十日ほど経った日のことだった。
「あーあ……、何だってこのあたくしが、こんなど田舎まで来ないといけないのかしら?」
馬車の中で、ザビーネが何度目になるのか分からない愚痴をこぼしている。
「聖女の祝福は国中の至る所に与えられなければなりません」
姉の向かい側に座ったシャーロットは生真面目に返す。
「たとえ辺境であっても、聖女にはその土地を慈しみ、そこに住まう者を愛する義務が……」
「はいはい、真面目ちゃんは黙ってなさい」
ザビーネはげんなりしたような顔になる。
「分かってるわよ。いつもみたいに適当に祈りを捧げりゃいいんでしょ。まったく……聖女巡幸なんてくだらない制度、一体誰が考えたのかしら?」
聖女巡幸とは、文字通り聖女が王国の各地を回ることだった。目的はその土地に加護を与えることである。
頻度は年に数回ほどだったが、ザビーネはこの仕事が大嫌いだった。なにせ、目的地に選ばれるのは、観光名所でも何でもないつまらないところばかりなのだ。
こればっかりはシャーロットに役目を押しつけるわけにもいかないので、ザビーネとしては文句の一つも言わなければ腹の虫が治まらないのだろう。
今回の行き先も、ザビーネにとっては全く魅力のない場所だった。辺境の山間のミースと呼ばれる土地。辺りには面白いものなど何もない。
また、ザビーネが不満タラタラなのは、それとは別の理由もあった。
「まったく……。辺境に行くだけでも気が滅入るっていうのに、引きこもりのお世話までしなきゃいけないなんて! 教会の奴ら、聖女を何だと思ってるのかしら?」
「お姉様……。ミースのご領主様は王族なのですよ。そんな言い方は……」
「元王族でしょ。廃嫡された王太子。魔力が無いから王城を追い出された負け組よ。……何、あんた。同情してんの?」
ザビーネが意地悪そうな顔になる。決まりが悪くなって、シャーロットはモジモジと体を動かした。
「ミースの領主は飲んだくれのろくでなし男って聞いたわよ。部屋に引きこもってない時は、近くの山で狩りばっかりしてるんですって。野蛮よねえ。あんたは運がいいわね、シャーロット。姉が聖女だったお陰で、落ちぶれずに済んだんだから」
ザビーネは恩着せがましく言った。
「そんな痴れ者を領地から引っ張り出して、一ヶ月後に王城で開催される建国記念式典に連れてこいだなんて、随分無茶を言ってくれるわ!」
今回の巡幸でザビーネがミースを訪れる第二の目的は、廃太子を公の行事に出席するように説得することだった。
廃嫡されてからというもの、彼が表舞台に姿を現わしたことは一度も無い。禁止されていたのではなく、廃太子はひどい人間嫌いだからなのだとか。
けれど今回の式典は、国の建国から六百年に当たる節目の年に行われる重要な催しだった。国中から貴顕が集まるのである。その中に廃嫡されたとはいえ王族の血を引く青年も加えてやろうというのは、少々お節介な親切心の表れだった。
(気の毒なご領主様。そっとしておいてあげればいいのに)
シャーロットは廃太子の境遇を思い、いたたまれない気持ちになる。ザビーネの言う通り、彼女は会ったこともない廃太子に同情しているのだった。
(魔力が無い人はどこに行ってもバカにされる。人間嫌いになったり、部屋に引きこもりたくなったりしても仕方ないです)
シャーロットには聖女を支えるという使命があるからまだしも、それがなければ自分だって今頃どうなっていたか分からない。姉の言う「落ちぶれた」状態になっていたっておかしくはなかったのだ。
馬車が止まる。どうやら目的地に着いたらしい。廃太子のことを考えて悶々とした気持ちになっていたシャーロットは、のろのろと車外に出た。
「やだ! ここに泊まるの?」
開口一番に姉が不平を漏らす。目の前にそびえ立つ建物を見て、シャーロットも思わず顔を引きつらせた。
(何だか不気味……)
シャーロットたちが宿泊することになっていたのは、ミースの中心部にあるミース城だった。この土地で一番格の高い建物であり、領主もここに住んでいる。
だがその外観は、幽霊でも出てきそうな見た目だった。古びた城門は壊れ、庭園も荒れ放題。向こうに見える木など、百年前から枯れていそうだ。
「ようこそお越しくださいました、聖女ご一行様」
正面入り口で、使用人の一団を率いた身なりのいい老紳士が礼をする。ザビーネは興味がなさそうに「どうも」と言っただけだったが、シャーロットは失礼がないようにと深々とお辞儀を返した。
「お初にお目にかかります、ご領主様。私はシャーロット・グランツ。聖女の補佐官をしております。お目にかかれて光栄です」
「ご丁寧なご挨拶ありがとうございます。ですが、私は領主ではありませんよ。執事のオラフと申します」
「こ、これは……失礼いたしました」
思わぬ失態にシャーロットは冷や汗が出た。
(そうでした……。確かご領主様は、私より三つ年上なだけだったはず。この方はどう見ても六十歳は超えていますよね……)
「ほっほっほ。四十歳も若く見られるとは、私もまだまだ捨てたものではありませんな」
オラフはシャーロットの失敗を柔らかくフォローした。人嫌いの主君とは違い、執事は穏やかな性格をしているようだ。
「何、この城。中もひどいことになってるわね!」
玄関ホールを覗き込んだザビーネが、無遠慮なコメントを述べる。
確かに室内には調度類もほとんどなく殺風景だ。だが、ここに住む者の前でそんなことを言うのは失礼だろうと思い、シャーロットは姉を軽く小突いた。
けれどオラフは気にしたふうもなく、「申し訳ございません」と白いものの混じった眉を下げる。
「当家はあまり裕福ではないのです。ですが、おもてなしは心よりいたしますので、どうかご容赦のほどを」
「ふーん……」
ザビーネは心底どうでもよさそうに返事する。元から薄かった興味が、現地に来てさらに低下したらしい。
ザビーネは、シャーロットにこそっと耳打ちした。
「あたくし、ちょっと出かけてくるわ」
「え、どこにですか?」
この辺りにザビーネの興味を引きそうなものなど、何もないはずだが。
「どこでもいいでしょ。とにかく、この城よりはマシなところへ行くのよ」
ザビーネは言うが早いか、まだ車寄せに停められたままの馬車に戻っていく。シャーロットは呆気にとられていたが、慌ててオラフに謝った。
「も、申し訳ありません。姉はその……野暮用があるとかで……」
「おや、ご姉妹でしたか。素晴らしいお姉様をお持ちなのですね」
「はい、ありがとうございます」
先ほどの発言は姉への皮肉だったかもしれないと気付いたのは、すでにオラフに先導され、ミース城に入城したあとのことだった。