領主補佐官のお仕事(2/2)
翌日。計画通り、シャーロットはバスティアンに案内されてミース城の裏手の果樹園に来ていた。
だが、そこに広がっていたのは予想とは異なる光景だった。
まず、木の本数が圧倒的に少ない。しかも、生えているのは疲れ切ったような背の低い樹木だけだ。
それに果実の種類もあまり多くなかった。というか、ブルーベリーしかなっていない。これでフルーツパーティーを開こうとしたなんて随分と強気である。
(まあ……それはそうですよね……)
王宮の庭園にある豪華な果物畑のようなものを無意識の内に想像していたシャーロットは、そんな贅沢品がミースにあるわけがないと思い直す。ここは不毛の地だ。豊かな緑を期待してはいけない。
「あちらにはリンゴの木が生えていますよ」
バスティアンがブルーベリーの茂みの向こうを指差す。
「色々な種類のものを植えています。リンゴはわたしの好物なんですよ。といっても、どの品種も収穫時期はまだ先なのですが。……お一つどうぞ」
バスティアンは深い青色のブルーベリーをいくつかもいでシャーロットにくれた。少しお行儀が悪いけれど、そのまま口に含む。ほどよい酸味がじゅわっと口内に広がった。
果樹園自体は貧相極まりないが、果物の味は中々だ。だが、名産品として売り込めるレベルだろうか? それに、大規模な果樹園を運営できるほどの肥沃な土壌がこの土地にあるとも思えない。
悩みながらシャーロットは果樹園の視察を終える。次に向かったのは山だった。
「こんな場所、何もないですよ?」
でこぼこした坂道を歩きながらバスティアンが言った。
前に彼が教えてくれた通り、ミースの山々は岩だらけの起伏が激しいところだった。
バスティアンは慣れているためか何でもなさそうに歩いているが、シャーロットはもう何度地面に落ちている大きな石につまずいて転びかけたか分からない。
見かねたバスティアンが「どうぞ」とこちらに手を差し伸べてきた。
「ありがとうございます」
シャーロットは肩で息をしながらバスティアンにつかまった。頼もしい大きな手でしっかりと支えてもらい、元々激しくなっていた動悸が耳まで届きそうになる。
(私の心臓の音……バスティアン様に聞こえてしまうのではないでしょうか……)
王都での式典でバスティアンへの恋心を自覚して以来、シャーロットは努めてそのことは考えないようにしていた。けれど、こうして手を繋いでいると自然とときめきを覚えてしまう。
(エドガー様との恋に破れてからまだ数ヶ月ほどしか経っていないのに……。私って、こんなに惚れっぽかったのでしょうか?)
思い出すのは婚約の解消を言い渡した時のエドガーの発言だ。
――俺が本当に好きなのはザビーネだったんだ。けれど彼女を手に入れられなかったから、無意識の内に代替品を探してしまった。
(代替品……)
もしかして自分もそうなのだろうか?
エドガーの愛を手に入れられなかった代わりに、その兄であるバスティアンに想いを寄せるようになった? バスティアンが自分に恋情を抱いていると気付いていたから、彼との恋なら悲しい結末にならないと思ったのだろうか?
この胸の高鳴りをそんな打算的な考えで汚したくはなかった。だが、当分恋はこりごりだと思っていた自分が誰かに惹かれてしまう理由なんて、それ以外に説明がつかないではないか。
自らの感情にどう折り合いをつければいいのかシャーロットには分からなかった。
もし自分がバスティアンを代替品として見ているのだとしたら、それは最低の行為である。エドガーに同じことをされてどれだけ傷付いたのか、シャーロットはまだ生々しく覚えていた。
「シャーロット様、大丈夫ですか?」
不意にバスティアンが足を止め、顔を覗き込んでくる。
「やはりショックを受けましたよね。この山、大したものはないでしょう? ミースの経営を立て直すヒントは、きっともっと違うところにあるんですよ」
「は、はあ……」
全く違うことを考えていたシャーロットは慌てて辺りを見回す。石ころだらけの岩山。視察のことなどすっかり頭から抜けていた。
「もう戻りましょうか? 次はこの山よりマシなところを案内しますよ。頑張って一緒にミースを盛り立てましょう」
バスティアンの笑顔が眩しい。もし弟の代替品などと分かったら、彼の顔を曇らせてしまうだろうか。
シャーロットの胸が痛む。この人を傷付けたくない。やはり彼への想いを直視するのはまだやめておこう。悲劇的な事実が判明したら、自分もバスティアンも辛い思いをすることになるだろうから。
「張り切っていらっしゃいますね、バスティアン様」
自分の気持ちに蓋をして、シャーロットは柔らかな笑みを作った。バスティアンは頬を紅潮させながら、「式典の時、わたしはとても恥ずかしい思いをしましたからね」と困り顔で言う。
「オンボロの馬車しか用意できなかったせいで、シャーロット様は皆の笑いものになってしまいました。それだけではなくドレスの押し売りまでさせてしまって……。ミースが豊かならそんな苦労をかけさせることも無かったのに。だから、あなたが余計なことで気を揉まなくてもいいようにできる限りのことはしたいのです」
「私のため……ですか」
「わたしには、あなたのような博愛的精神の持ち合わせはありません。『陽光はあまねく照らす』は、わたしには向かない考え方です。けれど、『あまねく』でなければ照らせるかもしれない。せめてシャーロット様だけならわたしの力で守れるかもしれない。……いいえ、守りたいのです」
シャーロットの心臓が弾んだ。自分らしくもなく、衝動的にバスティアンに抱きつきたくなる。恋心の封印の誓いはどこへ行ってしまったのだ、と呆れずにはいられない。
(ああ……。もうどうなってもいいから流れに身を任せてしまいましょうか……)
そんな破滅的なことまで考えてしまう。エドガー相手には一度も沸き起こらなかった情動にシャーロットはひどく驚いた。
「二人とも! ここにいたの?」
シャーロットが葛藤していると、明るい声が聞こえてくる。坂道を登ってきたのはバイコーンにまたがったリルだった。
「もうすぐお昼だけど二人とも山に入ったっきり帰って来ないから、オラフが軽食を持たせてくれたんだ。一緒に食べよう? メニューはアップルパイだってさ」
「わたしの大好物じゃないか! リンゴの時期にはまだ早いはずだが……もしかして気の早い木がもう実をつけていたのか!?」
リルとバスティアンはキャッキャとはしゃいでいる。
そんな二人の様子を見ている内に、シャーロットは激情が鎮まっていくのを感じた。危ないところだった。二人の食欲に感謝しなければ。
地面が平らなところを探し、リルがラグを敷く。バスティアンがお皿を並べている間にシャーロットがパイを切り分け、即席の食堂が完成した。
「う~ん! これ、とっても美味しい!」
リンゴがたっぷり入ったパイにリルが舌鼓を打つ。外側はこんがりきつね色、中はクリーミーな優しい色合い。味も見た目も素晴らしい一品だった。
「シャーロット様、ミルクのお代わりはいかがですか?」
「いただきます」
「アタシも欲しい!」
普段は給仕は人任せのバスティアンだが、今は手ずから皆の食事の世話をしている。もちろんバイコーンにエサをあげるのも忘れていなかった。
「何だかピクニックみたいだね」
口の周りにパイの屑をつけながらリルがふにゃりと笑った。
「こういうの初めてだからすごく嬉しいよ」
「随分と殺風景なところだがな」
「いいの! 好きな人と食べてるってことが重要なんだよ!」
リルが幼い子どもをたしなめるような口調で言った。忘れがちだが、彼女はシャーロットやバスティアンよりもずっと年上なのである。
「どうしても気になるなら、もっと景色のいいところへ行けばいいじゃん。ほら、あの大滝とかさ」
「へえ……滝ですか。ミースではそんなものが見られるのですね」
「ここって水資源だけは豊富だからね。行きたいの?」
「ええ、ぜひ」
もしその滝が迫力満点のシロモノなら、ミースを観光名所としてプッシュできるのでは?
シャーロットの考えは一瞬にしてそこまで飛んでいく。バスティアンは「ふむ……」と腕組みした。
「あの滝は少し遠い場所にありますからね。出発は明日にしましょうか」
「はい、それでも構いません」
シャーロットは期待に胸を躍らせながら頷いた。やはり、どんな難題だって探してみればどこかに突破口はあるものなのだ。




