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聖女補佐官は姉の陰(2/2)

「あら?」


 その日の夜。舞踏会に向かった姉を見送ったあとで、シャーロットは廊下に扇子が落ちているのに気付いた。


「これ、お姉様の……?」


 姉の着替えを手伝ったシャーロットは、それがザビーネの持ち物だとすぐに分かった。


(どうしましょう……)


 ザビーネが出発した時間から考えると、もう彼女は城に着いているだろう。誰かに届けてもらわないと、と思ったがすぐに考え直す。


(私が行けばいいかもしれませんね……)


 ふと思い付いた素晴らしいアイデアに、シャーロットは頬が緩んだ。扇子をきゅっと握りしめ、教会が所有する馬車に乗り込む。


(私はただ、お姉様の忘れ物を届けに行くだけ。だから、こんな見苦しい格好でも構わないでしょう。それに……運が良ければエドガー様にも会えるかもしれません!)


 シャーロットはぽっと頬を染めた。


 シャーロットにはちょっとした秘密があった。実は、彼女には密かに婚約している相手がいたのである。


 それは、この国の第五王子のエドガーだった。


 彼との出会いは一年前。エドガーが教会の中で迷ってしまった時、たまたま近くを通りかかったシャーロットが道案内をしたのだ。


 エドガーはとても朗らかな性格をしていた。その屈託のない笑顔にシャーロットはすぐに惹かれ、向こうもまた彼女に好意を抱いたのである。


 ――また君に会いに来てもいいかい?


 そう言われて、シャーロットは二つ返事で了承した。そして何度か逢瀬を重ねたあとで、彼の方から婚約を申し出てきたのである。


 ――愛してる。俺だけのものになってほしいんだ、シャーロット。


 それは、今まで姉の陰として生きてきたシャーロットに、初めて日の光が当たった瞬間と言っても良かった。その時のことを思い出すと、今でも天にも昇る心地になる。


 双方の家族やグランツ家の許可はまだ取っていなかったが、シャーロットはエドガーと結ばれる未来を信じて疑っていなかった。


 結婚生活というのはどのようなものだろう。素敵な奥さんになれるように頑張らないと。そんなことを考える度、シャーロットは甘い夢を見ているような温かな気持ちになるのであった。


 馬車が王宮に到着する。


 エドガーにも会いたかったけれど、まずはここへ着た目的を果たそうと、通りかかった人にザビーネの居場所を聞いた。


 聖女ことは皆が知っていたので、姉の居所はすぐに割れた。どうやら庭に出ているらしい。


 扇子を片手に、シャーロットは美しく剪定された庭木の間を進む。すると、耳が聞き慣れた声を拾った。


「今日は本当に楽しい日ですねえ」


(……お姉様!)


 すぐに会えたことにほっとしながら、シャーロットは声のする方に進む。月影が姉の巨大なシルエットを照らしていた。


 ザビーネは誰かと話をしているようだ。ふと、シャーロットは違和感を覚える。


(お姉様と一緒にいるのは男性でしょうか……? 何だかとても親密そうに見えますが……)


 もしかして恋人だろうか? シャーロットの知る限り、姉にそんな相手はいなかったはずだが。


 邪魔をしては悪いかもしれないと思い、シャーロットはとっさに近くの植え込みの後ろに身を隠した。


 いつ出ていこうかと悩んでいると、相手の男性がザビーネに応じる声が聞こえてくる。


「俺も楽しいよ。好きな人が傍にいてくれるからね」


(え……?)


 シャーロットは動揺した。姉の会話相手がエドガーとそっくりの声をしていたのだ。しかも、ザビーネを口説いているとしか思えないセリフを発しているではないか。


(……ですが、そんなはずはありませんよね。先ほどまでエドガー様のことを考えていたから、おかしな聞き間違いをしたに決まっています)


 そう思ってみたものの、心がザワザワしていた。聞き間違いだという確たる証拠を求めて、シャーロットはこっそりと姉の会話相手の姿を見ようと首を伸ばす。


 しかし、その拍子にバランスを崩し、シャーロットは姉たちの前に派手に転がり出てしまった。


「す、すみません!」


 起き上がったシャーロットは狼狽えずにはいられない。


「あの、私……」


 それ以上は言葉が出てこない。シャーロットは聞き間違いなどしていなかった。ザビーネが話していた相手は、やはりエドガーだったのだ。


 二人は腕を組んでいた。ピタリと密着する体。シャーロットは、彼とこんな距離感で触れ合ったことは一度も無かった。


「シャーロット! あんた、こんなとこで何してんのよ!」

「あ……わ、私……扇子を……」


 舌がもつれて上手く話せない。シャーロットの黄緑の瞳は、絡み合う姉とエドガーの腕に釘付けだった。


「嫌な子ね! 盗み見なんて!」


 ザビーネはシャーロットの手から扇子を引ったくった。


「もう帰りなさいよ。舞踏会には出るなって言ってあるでしょう?」

「あの……お姉様……」


 頭が真っ白になっていたシャーロットは、もはやどう話を切り出していいのかさえ分からなかった。ただ、捨てられた子犬のような目で姉と婚約者を見ることしかできない。


 その内に、ザビーネはシャーロットの言いたいことを悟ったらしい。分厚い唇を弓なりに曲げた。


「あんた、あたくしに黙ってエドガー王子と婚約したんですって?」


 ザビーネは妹に見せつけるようにエドガーに体をすり寄せる。シャーロットの胸がズキリと痛んだ。


「シャーロット……あんたって想像以上の大バカ者ね。魔力も無いくせに、よく殿下を誘惑しようだなんて思ったものだわ。恥を知りなさいよ」


「ゆ、誘惑だなんて!」


 あまりに邪悪な疑いをかけられ、シャーロットは頬を歪めた。


「そんなことはしてません! 私たちは愛し合ってるんです! だから……」

「お黙り!」


 ザビーネの鼻の穴が膨らむ。彼女の足元から一瞬だけ炎が立ち上り、芝生の一部が灰になった。ビリビリと空気が震えるのを感じる。シャーロットは思わず身を(すく)めた。


「あたくしはあんたの不始末を清算してあげたのよ! エドガー王子の目を覚まさせてあげたの! そうしたら、殿下はやっとご自分の本当の気持ちに気付いたわ。彼が愛してるのはシャーロットじゃなくて、このあたくしだということに……」


「……はい?」


「二人の婚約が公になる前で良かったわねえ。今ならまだやり直しが利くもの。殿下は真に愛する人と結ばれることができるのよ」


「お、お姉様……? 一体何を……?」


「シャーロット、ごめんね。君との婚約はなかったことにさせてくれ」


 エドガーが申し訳なさそうに会話に割り込んでくる。


「全部俺が悪いんだよ。俺が本当に好きなのはザビーネだったんだ。けれど彼女を手に入れられなかったから、無意識の内に代替品を探してしまった。それがシャーロットだったんだよ」


 代替品、などという無味乾燥な言葉にシャーロットの頭は真っ白になる。視界がぐらぐら揺れるのを感じた。


「ちょうど君が俺を誘惑したせいもあって、俺は二人の間に愛があると錯覚してしまったんだ。でも、君を責めるつもりはないから安心してくれ。悪いのは、君の誘いに乗ってしまった俺なんだからね」


「まあ、エドガー殿下ったらお優しい! さすがはあたくしの・・・・・婚約者なだけありますわ!」


 ザビーネが黄色い声を出す。もう限界だった。気が付けば、シャーロットは駆け出していた。


 馬車に飛び乗り教会に戻る。物置小屋のように小さな私室に入るやいなや、ベッドに突っ伏して声を上げて泣き叫んだ。


(どうして、エドガー様! どうして……!)


 二人は愛し合っていたはずなのに。それなのに、もう結ばれることはない。自分たちは破局した。そして、エドガーは代わりにザビーネと婚約したのだ。


 頭の中がぐちゃぐちゃだった。何が起きたのか理解できない。どうして、どうしてと答えが返ってこない問いをひたすらに宙に向かってぶつけている。


 そのまま何時間も経ち、涙がすっかり枯れてしまう頃、ドアにノックの音がした。応答する気力もなかったが、「入るわよ」という無遠慮な声を聞いたシャーロットは反射的に飛び起きる。


「お姉様……」

「まあ、ひどい顔!」


 舞踏会帰りのザビーネは、パーティーファッションのままで眉間にシワを寄せた。


「いつまでピーピー泣いてるの。今日の仕事は終わったんでしょうね? ほら、着替えを手伝いなさい」


 無神経な言葉の数々にも、シャーロットは何も言い返さない。もう反論する力は残っていなかった。


 姉の部屋に移動して、ドレスを脱がせてやる。抜け殻のようになってしまった妹を見て、ザビーネはふんと鼻を鳴らした。


「あんたに王子の婚約者の地位は不相応なのよ。男に色目なんか使ってる暇があったら、少しでもあたくしの役に立つことをしなさい。魔法が使えないあんたの唯一の取り柄は、聖女の妹ってことだけなんだからね」


「はい……」


 姉の言葉はシャーロットの頭を素通りしていく。その様子を見たザビーネは、仕方なさそうに妹に向き直った。


「……これ」


 ザビーネは服の中からいつも持ち歩いているアクセサリーを出した。青い石のついたペンダントだ。


 姉に目で促され、シャーロットも同じものを取り出す。


「機嫌直しなさいよ。あんたはあたくしにとって大事な存在なんだから」


 ザビーネはシャーロットに媚びるように微笑みかける。


(大事な存在? それなら、どうして私の婚約者を奪ったりしたんですか?)


 シャーロットは心の中でそう言った。けれど抗議は声にならない。代わりにペンダントを強く握りしめる。


 このアクセサリーは、幼い頃にザビーネから贈られたものだった。シャーロットの記憶にある限りでは、姉が何かをプレゼントしてくれたのは後にも先にもこれが初めてだった。


 ――いいこと? このペンダントはとっても大切なものなの。だから、人に話したり見せたりしちゃダメ。なくさないように、いつも身につけておきなさい。ほら、あたくしのペンダントとお揃いなのよ。つまり、これは姉妹の絆の象徴ってわけね。


 姉にそんな風に言われ、シャーロットは非常に喜んだものだった。


 昔から横暴だったザビーネは、よくシャーロットをいじめていた。ザビーネからひどい目に遭わされる度、シャーロットは姉は自分のことが嫌いなのだと思って遣る瀬なくなっていたのだ。


 けれど、こうしてプレゼントをくれたということは、姉は本心では自分を大切に思ってくれていたんだろう。そう考えて浮かれていたのである。


 シャーロットは姉に言われたことを守り、いつでもペンダントを身につけるようになった。それはザビーネも同じで、このアクセサリーを常に携帯していた。


 そして、シャーロットと二人だけになると時たまこうして取り出してみせては、甘い言葉を吐くのだ。


 それはシャーロットにとっては数少ない慰めの一つだった。姉の心にもまだ良心が残っていると感じることができたからだ。


 けれど、今回は違う。シャーロットの受けた心の傷はあまりにも深すぎて、どうしても姉を許す気にはなれなかったのである。


(……ああ、私はなんて恐ろしいことを考えているんでしょう)


 自分の内側に巣くう黒い感情にシャーロットは怯えた。ザビーネは皆から愛される聖女なのに。そんな尊い女性にこんなドロドロとした激情を向けるなんて間違っている。


「あたくしはいつでも正しいの。あれはあんたの幸せを思ってしたことだったのよ。あんたはあたくしの言うことだけを聞いていればいいの」


 ザビーネはシャーロットの肩を軽く叩いた。


「さあ、残ってる仕事を片付けて、さっさと寝ちゃいなさい。あんた、明日も早いんでしょう?」


「……はい」


 一礼してシャーロットは退室する。とてつもなく惨めな気分だったけれど、今の彼女はそれを解消する術など持ち合わせていなかった。

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