今なら何でもできてしまえそう(2/2)
「シャーロット様!」
背後からの声に振り返る。体中を花だらけにしたバスティアンが城から出てくるところだった。
「びっくりしました。いきなりどうなさったのですか?」
「分かりません」
確かに、いつもの自分らしくない行動だったかもしれないと反省する。控えめなシャーロットがここまで我を忘れて浮かれたことなど、これまで一度もなかったのだ。
(でも……魔法に目覚めた子どもたちが、嬉しくて手当たり次第に色んな術を試してみる、などというのはよく聞く話です。私の場合も、それと同じだったのでしょう)
けれど、はしゃぐのも大概にしておかなければ。辺りにこんもりとした花の山ができているのに気付き、シャーロットは力を押さえ込む。すると、あれほど激しく降っていたカモミールの雨はぴたりと止んだ。
「覚醒したばかりで急にこれほどまでに力を使いこなせるとは……シャーロット様はすごいですね」
バスティアンは頭を振って、長い黒髪についた花を地面に落とした。
「やはりあなたは特別な方です」
「そんなことは……」
否定しようとして口を閉ざす。バスティアンが複雑そうな顔をしているのに気付いたからだ。
シャーロットは口元を押さえた。
(私ってば……何てことをしてしまったのでしょう。魔力の無いバスティアン様の前で、魔法が使えるようになったとはしゃいでしまうなんて……)
周囲の花の山を忌々しい思いで見つめる。
(こんなにデリカシーのない私を、バスティアン様はどう思ったでしょう。疎ましく感じたでしょうか……)
胸が塞がれる思いがした。
そもそも、最初に自分とバスティアンを結びつけたのは、「魔法が使えない」というコンプレックスだったのだ。
それなのに、シャーロットだけ魔力に目覚めてしまった。バスティアンにしてみれば、裏切られたように感じたのではないだろうか。
「ごめんなさい、バスティアン様……」
どうしていいのか分からず、祈るように胸の前で指を組む。
「私、無神経でしたね。本当にすみません。こんなことをしでかした私を許してくださいますか?」
「気にしないでください。大したことではありませんから」
バスティアンは苦笑いしていた。
「人手不足は今に始まったことではありません。いざとなれば、わたしも箒を握りますよ」
「……箒? 何の話ですか?」
「もちろん、掃除のことですが」
バスティアンはきょとんとする。
「城中を花だらけにしてしまったこと、気に病んでいらっしゃるのでしょう? 平気ですよ。殺風景な城内が、シャーロット様のプレゼントで華やかに飾り付けられたと思えばいいだけですから」
「あら、まあ……」
花の後始末のことなど、シャーロットはまるで考えていなかったので呆けた声が出てしまう。
だが、すぐに我に返ると、「不愉快な気持ちにはならなかったのですか?」と恐る恐る尋ねた。
「だって……私一人だけ魔法が使えるようになってしまったんですよ? 何だか後ろめたいです。バスティアン様を置いていってしまったようで……。バスティアン様もそう感じたのではありませんか? 何だか険しい顔をなさっていたようにお見受けしましたが」
「置いていかれるだなんて!」
バスティアンは仰天した。
「わたしなど、元からシャーロット様の足元にも及びませんよ! あなたが素晴らしい方だということは、出会った時から分かっていました! 素晴らしい方が素晴らしいことをしたのに、何を嘆くことがありましょう! 先ほどは『こんなに魔力覚醒が遅いだなんて、何か理由があるんじゃないか』と考えていただけです!」
「そうだったのですか……」
自己否定的なバスティアンは、どうやらシャーロットと自分を初めから同等な存在とは見なしていなかったらしい。
何だか残念な話だが、今回ばかりは彼のネガティブさに救われたかもしれない。バスティアンに嫌悪感を抱かれるのは耐えられないほどに辛いだろうと、シャーロットには簡単に想像できたのだ。
不本意にも安堵してしまったが、一つだけ気になることがあった。
「バスティアン様がおっしゃっていた、『魔力覚醒が遅いのには理由がある』とはどういう意味ですか?」
「実は、色々と考えている内に思い出したことがあって。王太子時代のわたしは、魔力覚醒時の体験談が書かれた本をよく読んでいました」
バスティアンはちょっと気まずそうに言った。
「魔力を得るとはどんな感じか知りたかったのです。わたしは中々魔法が使えるようになりませんでしたから……。まあ、無駄でしたが」
バスティアンは暗い表情になったが、すぐに話を戻す。
「その際に、こんなエピソードを読んだことがあるのです。父親の葬儀中に魔力を得た中年の男性の話です。彼は父から呪いをかけられ、魔力を封印されていたのですよ。お陰で、その年になるまで彼は自分には魔力が無いと思い込んでいたのだとか。術者が死んで、その呪いがやっと解けたのです」
「まあ、そんなことが!」
ひどい話だ、とシャーロットは眉根を寄せる。バスティアンは「まだありますよ」と続けた。
「禁じられた魔法具に触れてしまい、魔力が喪失した者の話。魔法の鉱石を身につけたことで、普段よりも強い魔力を得た者の話。お分かりですか? 不自然な年齢での魔力の覚醒や喪失は、全て外的原因があるのです」
「では、私も先ほどの中年男性のように、誰かに呪いをかけられていたのでしょうか。そして、本来あったはずの魔力をないように思い込まされていたかもしれない……?」
物知りなバスティアンに感心しつつも、シャーロットは自分の身に起きたことを推測する。
「でも、誰がそんなことを?」
「それはわたしには分かりません」
バスティアンは残念そうに首を横に振った。
「けれど、先ほどの男性の例からすると……彼は長年父親に虐待されていたそうです。『お前は魔力が無いのだから、こんな扱いをされるのが当然だ』と言われ続けてきたのですよ。息子を支配したい父親にとっては、無力な子どもの方が都合が良かったのでしょうね」
「けれど、私は誰かに虐げられてなど……」
シャーロットは終わりまで言うことができなかった。姉のザビーネの顔が頭に浮かんできたのだ。
(お姉様が私に呪いをかけた……?)
理論上は可能だ。ザビーネはグランツ一族で最も魔力が強いのである。封印術くらいお手の物だろう。
(私を……いいように利用するために? 自分の仕事を押しつけて、楽をしようとしたというのでしょうか……?)
シャーロットの胸の中で、ザビーネに対する不信感がどんどん広がっていく。だが、証拠があるわけではないのだ。それに、腑に落ちないこともある。
「仮に誰かが私を呪ったとして、どうして急に術が解けたのでしょう?」
シャーロットはあくまで「誰か」と表現することにした。いくら怪しいとはいえ、状況証拠だけで人を疑うわけにもいかない。
「最近、何か変わったことはありませんでしたか?」
バスティアンが尋ねてくる。
「誰かに封印を解いてもらったとか、魔法薬を飲んだとか……」
「うーん……ミースへ来たこと?」
シャーロットは首を捻る。
「あとは、姉からこんなに長い時間離れているのも初めてでしょうか……」
「聖女様?」
バスティアンは少し驚いたような顔になる。
「まさか、シャーロット様は聖女様に呪われたというのですか? 実の姉に?」
「そんなことは言っていませんよ」
シャーロットは慌てて否定した。これではせっかく犯人をぼかした意味が無い。
「ただ、姉はあまり私を好きではないようですから……。ああ、そうだ。ペンダント!」
胸元に触れたシャーロットはハッとなる。
「最近、姉からもらったペンダントも手放しましたね」
「ペンダント……ですか」
バスティアンは腕組みする。
「アクセサリーに魔法をかけ、魔法具として使用するのはよくある話ですね。もしかして今回も……? シャーロット様、そのペンダントはいつからお持ちなのですか?」
「ええと……十年くらい?」
シャーロットは記憶を辿ったが、あまりに昔のことだからなのか、詳細は所々曖昧だった。
「どんな状況でもらったのかまでは覚えていませんが……。あれは姉とお揃いだったのです。それで、姉妹の絆の象徴だと言って、姉が私にくれたんですよ。いつでも身につけておきなさい、って」
シャーロットは額に手を当てる。バスティアンの顔はどんどん険しくなっていった。
「そのペンダントはどういう経緯で手放したのですか?」
「城下町で出会った女の子にあげました。お腹が空いているようでしたので、ペンダントを売ってお金に換えてもらおうと思い……」
「なるほど……」
バスティアンは難しい顔で黙り込んでしまう。その時、城から「バスティアン様!」と呼ぶ声がした。オラフが花の山に足を取られながらやって来る。
「いきなり花が降ってきて、使用人たちが戸惑っています。事情を説明していただけませんか? 私ではどうも手に負えなくて……」
「ごめんなさい、迷惑をかけました……」
シャーロットは冷や汗をかきながら謝る。
「お掃除なら私も手伝います。……ああ、もしかしたらこれも魔法でできるでしょうか? ……花よ、消えろ」
シャーロットが命じるなり、地面に落ちていた大量の花は、まるで手品のような素早さで消滅した。オラフが「すごいですね」と拍手する。
「やはり補佐官殿は魔力に目覚めたのですね」
「あるいは、封印が解かれたか」
バスティアンが神妙な顔で続け、シャーロットに城内へ戻るように目で伝える。
「その少女、捜し出す方がいいかもしれません」
玄関へと続く階段を歩きながら、バスティアンが言った。
「正確には、少女を、ではなくペンダントを、ですが。そして、シャーロット様が持っていたペンダントが魔法具なのかを調べるのです」
姉の不正を暴く。
バスティアンの言おうとしていることを悟り、シャーロットは息を呑む。
もしペンダントに呪いがかかっていたとしたら、シャーロットはずっと騙され続けていたことになる。姉の陰になることを強要され、不当な生き方を強いられていたことが判明してしまうのだ。
(もしそうだとしたら……私はどうすればいいのでしょう?)
これまで通り、姉の傍に居続けるのか? それとも、新しい生き方を選ぶ?
(でも、新しい生き方って?)
自分の義務は姉を支えることであり、聖女の補佐官以外の人生はない。
そんな考えが、根底から崩れるのを感じていた。シャーロットはオラフを横目で見つめる。
(オラフさんは自らの意志でバスティアン様に仕えている。自分の運命を自分で切り開いたのですね。私もそうするべきなのでしょうか……?)
姉から永遠に逃れることを考えただけで、体に震えが走った。それが恐怖によるものなのか、歓喜しているからなのかはシャーロット自身にも分からない。
ただ、ザビーネのいない今の生活に、シャーロットが解放感を覚えているのだけは確かだった。
「分かりました。私がペンダントをあげた少女を捜しましょう」
これからどう生きるかまだ答えは出そうにないけれど、考える時間はもう少しあるだろう。
そう思い、シャーロットはひとまずは真相の究明に全力を注ぐことに決めたのである。




