一緒に舞踏会へ行きませんか?(3/3)
(まさか……シャーロット様に愛する人がいただなんて……)
扉の前に膝を抱えてうずくまりながら、バスティアンは悲嘆に暮れていた。
(しかも、その相手がエドガーとは!)
正妻の子であるバスティアンは妾腹のきょうだいたちとはあまり関わってこなかったが、エドガーにいい印象を抱いていなかったことは覚えていた。
(あれは調子のいい奴だ。関わることで利益になりそうな相手には恥ずかしげもなく媚びを売って、自分のいいように事を進めようとするのだから)
けれど、そんな相手をシャーロットは愛してしまったのだ。バスティアンはシャーロットに堪らないほど惹かれていた。けれど、それは報われない恋だったのである。
「バスティアン様、開けてください! バスティアン様!」
先程からシャーロットが扉を叩いている。だが、出て行く気になどなれない。今のバスティアンは、瞳から涙が溢れないようにするだけで精一杯だった。
(それにしても……とっさに入ったのがこの部屋とは)
ミース城の地下の一室には、鏡の間と呼ばれる場所がある。それがここだった。その名の通り壁一面に鏡が張られた部屋である。
けれど、この鏡はただ姿を映すだけのありふれた品ではなかった。
魔力が込められた天井のシャンデリアが、人が入ってきたのを感知して自動的に明るく灯る。
光の下で、バスティアンは鏡の中の自分の姿を見た。
そこに映っていたのは、扉を背にして座り込む黒髪の青年ではなかった。
長い耳、フワフワで丸い体、哀れっぽくひくついている鼻。バスティアンの代わりに鏡面に映し出されていたのは、怯えた金色の目をしている人畜無害そうなウサギだった。
(これがわたしの本性……)
バスティアンは乾いた笑みを漏らした。
この鏡も天井のシャンデリアと同じだ。特別な力を宿した魔法具なのである。聞いたところによれば真実を……人の本性を映し出すのだとか。
『鏡よ鏡、教えておくれ。わたしは本当はどんな人間なんだい?』
『バスティアン・ミース。あなたはウサギです。無力で何もできない、臆病で小さな生き物なのですよ』
そんなやり取りを頭の中で想像してみる。バスティアンは膝に顔を埋めた。
(シャーロット様……ウサギは嫌いだろうか……)
嫌いだろう。嫌いに決まっている。バスティアンの恋は実らない。シャーロットはエドガーと幸せになる。それでバスティアンの物語は幕引きだ。なんという悲劇だろう。
「バスティアン様……どうして出てきてくださらないのですか?」
シャーロットが弱り切った声を出す。
「私、何かあなたの気に障るようなことをしてしまいましたか? そんなにエドガー様のことがお嫌いなのですか? 彼に一度でも好意を持った私を許せないと思うくらい?」
「あなたに腹を立てているわけではありません!」
バスティアンは思わず返事をした。シャーロットは女神である。不愉快に思ったことなどあるわけがない。
「ただ……わたしもあなたの姉君と同じなのです! エドガーに嫉妬しているのですよ! あなたの心を、視線を、唇を……その全てを奪っていった彼が恨めしいのです! そして、わたしなどではそれらを一切手にできないことが、どうしようもなく虚しいのです!」
「ええっ!?」
扉の向こうから、シャーロットの素っ頓狂な声が聞こえてくる。そんな反応もまた愛らしい、とバスティアンは一瞬和んだ気持ちになった。
「私とエドガー様は……ええっと……清らかな関係でしたよ! 少なくとも、唇は奪われていません!」
(キスはしていない? もしかして、それほど深い仲ではなかったのか?)
想像力の豊かなバスティアンは、二人は毎日のように逢瀬を重ねて愛を確かめ合っていたのだろうと信じ切っていたのだ。だが、実際はもっと落ち着いた間柄だったらしい。
「バスティアン様……どうかその部屋から出てきてください」
シャーロットが困惑したような声で言った。
「心や唇は現時点ではあなたに渡せませんが……少なくとも、そこから出てくれば視線は差し上げることができますよ」
(シャーロット様、策士だ!)
そんなことを言われたら、重たい腰を上げるしかなくなるではないか。バスティアンはドアを開け、鏡の間から廊下に出た。
「シャーロット様……」
壁際の松明に反射して、シャーロットのオリーブ色の瞳が濡れたように光っている。小さな指先は不安そうに頬に宛がわれていた。
その立ち姿のなんと美しいことか。
特に、まだ誰のものにもなっていない薄紅色の唇に、バスティアンは激しく恋い焦がれた。初雪の降った後の大地のように清らかな口元。ここに自分の唇を重ねたらどうなるのだろう。
バスティアンは欲望を遂げたいという強い衝動に駆られたが、腹の奥に力を入れて必死に自制した。
「私、自分が何を感じているのか理解できないのです」
シャーロットの美しい緑の瞳に影が落ちる。
「エドガー様のことは確かに好きでした。けれど……今の私が当時の私と同じ気持ちとは、どうしても思えません。姉とエドガー様が一緒にいるところを想像しても、嫉妬というよりも悲しくなってしまうばかりで……」
「姉君?」
「ああ……言っていませんでしたね。エドガー様は私との婚約を解消し、姉を新しい婚約者に選んだのです」
「な、なんてことを!」
バスティアンは金槌で頭を殴られたような衝撃を受けた。
「シャーロット様と結ばれるという輝かしい未来が約束されていながら、他の女性に走ったのですか!? そんなの、気が狂っているとしか言い様がありません!」
バスティアンがもしシャーロットと将来を誓い合う仲だったら、彼女のことを片時も離さなかったに違いない。
昼も夜も傍にいて愛情の限りを尽くし、彼女の頼み事ならどんなことでも二つ返事で聞き入れ、命じられれば燃え盛る火山の火口にだって喜んで飛び込んだだろう。
そんなバスティアンからすれば、エドガーの行動は理解不能だった。元から弟に抱いていた不信感が爆発しそうなほどに大きくなっていく。
「シャーロット様、エドガーのことは一刻も早く忘れてください! 弟は頭がおかしいのです! そんな奴にシャーロット様は渡せません! もし彼が正気に返ってこの辺境まであなたを追いかけてきたとしても、わたしは騙されません! また彼が狂気に囚われないという保証はどこにもないのですから! けれど、どうぞご心配なく! エドガーがここに現われた時は、わたしが騎士となってあなたを守り抜いてみせます!」
「バスティアン様……すっかり元気になりましたね」
シャーロットはクスクスと笑った。
「さあ、お食事に行きましょう? 私、お腹がペコペコです」
連れ立って薄暗い地下室を出て、眩しい光が窓から差し込む地上へと向かう。その間中、バスティアンはずっと辺りを警戒していた。今にも物陰からエドガーがひょっこりと顔を出しそうな気がしたのだ。
(聖女様がどんなに神々しい方か知らないが……きっとシャーロット様ほどの輝きはないに違いない。奴が正気に戻るのは時間の問題だ)
まるで番犬の気分だ。今のバスティアンは、主人が行くところなら王都だろうが地獄だろうが着いて行く気満々だった。
「シャーロット様、あなたのご命令ならわたしは式典に出席いたしましょう」
バスティアンはしっかりとした口調で言った。
「ですが、おこがましくも一つだけ条件を付けさせてください。わたしはあくまでも、シャーロット様の同伴者ということにしていただきたいのです」
番犬が主人より目立つなどあってはならないことなのだから。
「本当に……来てくださるのですか?」
「もちろんです」
シャーロットは肩の重荷が下りたような顔になる。バスティアンも束の間ほっこりとしたが、ある事実を思い出し「いけません!」と戦慄した。
「お仕事が終わったら、シャーロットは王都へ帰ってしまうではないですか! もう一つ! やはりもう一つだけ条件を付けさせてください! 式典までの間は、このミースに留まっていて欲しいのです!」
「あら、欲張りな方」
シャーロットが微笑む。
その笑みが自分の条件を呑んだことを現わすものだと悟ったバスティアンは、その日一日中、喜びの中で過ごしたのだった。




