一緒に舞踏会へ行きませんか?(1/3)
翌朝。シャーロットはいつもの習慣で、日の出と共に目を覚ました。
身支度を調え、軽く書類仕事をこなしてから部屋を出る。
(さて、何をしましょうか……)
教会にいた頃は菜園の管理だとか信者たちの応対だとかで朝から忙しくしていたが、ミースにいればそれらの業務に煩わされることはない。巡幸の度に思うのだが、予定の詰まっていない一日の始まりというのは気が楽だった。
(それだけじゃありませんね。お姉様のお世話もしなくていいなんて)
姉を起こしたり着替えを手伝ってやったりしないでいい日なんて、何年ぶりに経験するだろう?
ザビーネが聖女の地位に就いてからもう九年が経つ。姉に付き従う形で教会に住まいを移し、補佐官としての役職を得たシャーロットは、久々の自由に戸惑いつつもほっとしていた。
気の向くままに庭園に足を向ける。
(ミース城の庭園は、他の地方にある城館のお庭とは全然違いますね)
例えば、他地方の城の庭には芝生が植わっていることが多いのだが、この庭園は剥き出しの土が地面を覆っていた。足元が一面茶色の光景はどことなく侘しく見える。
(何だかお庭というよりも運動場のようです)
花壇でも作れば華やかなのに、と感じてしまうけれど、背もたれに大きく穴が空いているベンチを見て、気遣うべき点はもっと他にあるかもしれないと思い直す。
発育不良の小枝が絡み合う低木の茂みや、でこぼこした石が転がる小道。乾いた風が小池に枯れ葉を落とす。
(ここはまるでミースの縮図ですね。いかにも不毛の地といった雰囲気ですもの……)
そんなことを考えていると、庭の向こうに誰かがいるのが目に入った。馬を引きながら歩いているこの城の主だ。
「バスティアン様、おはようございます」
「シャーロット様!」
シャーロットが歩み寄りながら挨拶すると、こちらに気付いたバスティアンの顔にたちまち笑みが広がっていく。
「こんなに朝早くからあなたに会えるなんて! 実は、昨日の食事会はあまりに幸せすぎて、夢ではないかと思い始めていたんです」
「まあ、相変わらず大げさですね。まだ早朝なのに酔っていらっしゃるのですか?」
「まさか。昨日も今日も、わたしはしらふですよ」
(ということは、昨夜私を褒めたのも酔った勢いではなかったということでしょうか?)
つまり、朝露のような美貌だの身も心もとろかす声だのと彼は素で言っていたわけだ。酔っ払いの戯言だと思っていたから聞き流せたのに、時間差で羞恥が襲ってくる。
それに、シャーロットが何かする前から、バスティアンはすでに幸せいっぱいになってしまっているとはどういうことだろう。これでは、彼を幸福にするという目標はほとんど達成したも同然ではないか。
(けれど、バスティアン様の反応からすると、その幸福は私あってのことなのですよね……)
自分が王都に帰る時が来たらバスティアンはどうなってしまうのかと、シャーロットは少し不安になる。期間限定の幸福よりも、長く続く幸せの方がいいに決まっていた。
いっそのこと、彼も教会に連れて帰って二人目の聖女補佐官にしてしまう方がいいかもしれない、という冗談めいたことにまで考えが及んでしまう。
「バスティアン様はどこかにお出かけだったのですか?」
バスティアンの格好は昨夜見たような格式張ったものではなく、ゆったりとしたキュロットという飾らない服装だった。長い足を覆う乗馬用ブーツの底が土で汚れている。
シャーロットは、彼が引いている黒馬に何気なく目を遣った。
その途端、驚きの声を上げる。
「この子、バイコーンではありませんか!」
バスティアンの愛馬はただの馬ではなかった。頭から二本のねじれた角が伸びていたのだ。
「前にこの庭を歩いていたんです」
バスティアンはバイコーンのツヤツヤした黒いたてがみを優しく撫でた。
「何となくエサをあげている内に居着いてしまって。今では正式に厩舎で飼っているんですよ」
魔獣を愛騎に選ぶなど珍しい。バイコーンは不浄を現わす生き物だと言われているのだからなおさらだ。
けれど、バスティアンに撫でられて気持ちよさそうにしているこの魔獣からは、汚れなど全く感じられなかった。キラキラした黒い目とよく手入れされた毛並み。可愛がられているのだということが一目で分かる。
「私も昨日、街でビヒーモスを見かけましたよ」
美しいバイコーンに見入りながら、シャーロットが言った。
「ミースは面白いところですね。こんなに魔獣が出没する地域は、他にないのではありませんか?」
「そうかもしれませんね。ただ、姿を見せるのは大人しい生き物ばかりなので助かっていますよ。とはいえ、何かあってからでは遅いので見張りは欠かしませんが」
「見張り?」
「先ほども山から帰ってきたばかりです。魔獣が住んでいるとしたら、この辺りの山でしょうから」
(もしかして……バスティアン様自らパトロールを? あっ……ひょっとして……)
「バスティアン様は狩りがお好きだと聞きましたが、本当は違うのですか? 山へ行くのは危険な生き物がいないか調べるため?」
「魔法も使えず、領地の経営にも失敗したわたしにできるのはこれくらいしかありませんからね。まあ、わたし一人で警戒できる範囲など高が知れているのですが」
バスティアンは苦笑したが、シャーロットは胸を打たれずにはいられない。
きっと彼は日の出と共に出発して付近に異常がないかを確認した後、皆が起き出す時間になる前に城に帰ってくるような生活を何年も続けてきたのだろう。
バスティアンがミースを想っていないと判断するなど大間違いだった。ささやかな形ではあるが、バスティアンは彼なりにこの土地と民をどうにか守ろうとしていたのである。




