聖女補佐官は姉の陰(1/2)
「聖女様バンザイ!」
「どうか我々に祝福をお授けください、ザビーネ様!」
大通りをゆっくりと行進する一行に、王都の民が歓声を投げかけている。
「ザビーネ様! ザビーネ様!」
先頭を歩く豪奢な法衣をまとった聖女が人々に手を振った。彼女と目が合うと、皆は感慨深そうなため息を吐く。
「あれが歴代最高の魔力の持ち主である聖女ザビーネ様か……」
「なんて威厳のある方なんでしょう!」
民の褒め言葉が聞こえたのか、聖女はますます肩をそびやかす。威風堂々としたその姿は、どのような場所でも埋もれてしまうことがないほどに目立っていた。
そんな聖女の威容を、後方からひっそりと眺める娘がいる。
(やっぱりお姉様はすごい方……)
長いブロンドの髪とくすんだ黄緑色の目をした彼女の名はシャーロット。聖女ザビーネの妹である。
だが、姉妹は似ても似つかぬ姿をしていた。丸太のような体型とそれに見合うふてぶてしい顔つきのザビーネに対し、シャーロットは細身かつ繊細な顔立ちだったのだ。
まとう雰囲気も真逆である。堂々としたザビーネと、いつもどこか愁いを含んだ表情のシャーロット。身長や髪と目の色以外に、彼女たちの共通点を見つけるのは途方もなく難しいことだった。
もちろん、シャーロットもそのことはきちんと分かっている。
(あんなに大勢の人から好かれていて……。私とは大違い)
今回のパレードでシャーロットに与えられた仕事は、ザビーネのマントが地面にこすれて汚れないように持ち上げておくことだった。
そんな地味な役回りだから、聖女の妹だというのにシャーロットのことなど誰も見ていない。というより、そこにいることすら気付いていないかもしれなかった。
被っているフードがずり落ちないようにシャーロットは頭を振る。この式典服は彼女には大きすぎた。自分用のものを買う余裕がないから姉のお古を借りたのだが、周囲からは服がひとりでに歩いているようにしか見えないだろう。
「聖女様~!」
一際甲高い声に答えるように、ザビーネが腕を大きく振る。
すると、空から黄色いユリの花が降ってきた。聖女の魔法を目の当たりにした民たちはすっかり感激している。晴天の空から花が舞い落ちてくる幻想的な光景に、シャーロットも思わず見惚れてしまった。
(素敵……。私もこんなことができたらいいのに……)
マントを持つ手が下がってきていたことに気付いたシャーロットは、慌てて腕に力を込めた。
姉のように魔法が使えたらいいのに、なんて叶いもしないことを考えてはいけない。それに、今は仕事中だ。マント係は地味な役割とはいえ、きちんとこなさなければ姉に迷惑がかかってしまう。
(しっかりしなければ。裏方に回ってお姉様を支えるのが私の役目なのですから……)
ふと、「聖女の陰」という言葉が頭に浮かんでくる。これほど言い得て妙な表現もないと思い、我が事ながらシャーロットは笑ってしまったのだった。
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「あー、疲れた」
パレードが終わり、教会の敷地内にある聖女専用の離れに帰り着いたザビーネは、早速堅苦しい装束を脱ぎ散らかす。控えていた使用人たちが慌てて寄ってきて、聖女の脱いだものを拾い始めた。
「まったく、どんだけ歩かせたら気が済むのよ! あたくしを一体誰だと思ってるのかしら?」
居室に戻ると、ザビーネはドスンと腰を落ち着けた。聖女の巨体を受け止めたソファーが悲鳴のような音を出す。
「脚が痛いわ。シャーロット、揉んでちょうだい」
「はい、お姉様」
姉と一緒に入室したシャーロットは、ザビーネの足元にクッションを敷いて膝をついた。綿でも詰めてあるのかと思うくらい太い姉の脚を丁寧にさすっていく。
「今日はたくさんの方が集まっていましたね」
足の裏を指の腹で押しながらシャーロットが言った。
「皆さん、とても嬉しそうでした」
「当然でしょう? このあたくしの姿を見られたんだもの。下々の者にとっては身に余るほどの栄光だわ」
ノックの音と共に、冷たい飲み物を持った使用人が入ってくる。グラスの中身をザビーネは美味しそうに飲み干した。小皿の軽食も次々と口に運んでいく。
(……私もあとで何かいただきましょう)
本音を言えば、長いパレードでシャーロットも疲れ果てていたのだ。喉は渇いているし、お腹も空いていた。
けれど、まずは姉の世話をしなければならない。自分のことは二の次。シャーロットはいつもそうしてきたのだ。
まだ夏前で良かった、と思った。パレードが行われたのが暑い盛りだったら、炎天下を歩くだけで消耗してザビーネの面倒を見るどころではなかっただろう。
「そういえば、今夜は王城で舞踏会がありましたね」
マッサージを終えたシャーロットは姉に靴を履かせてやる。
「パレードでお疲れなら、参加はやめにしておきますか?」
「はあ? あんた、バカじゃないの? 出るに決まってるでしょう」
ザビーネは呆れたような顔になる。
「それとも、あたくしが出席をやめたら、自分が代わりに出られるとでも思ってるの?」
「まさか。お姉様からのお言い付けに背く気はありませんよ」
シャーロットは、特別な場合を除いてパーティーなどの華やかな場に出ることをザビーネから禁止されていたのだ。
けれど、そうでなくともシャーロットには宴などに参加している時間はなかった。彼女は何かと忙しい身だったのである。
シャーロットの教会での地位は聖女補佐官で、姉の身の回りの世話以外にも自分の職務もこなさなければならなかったからだ。
それだけではなく、シャーロットはザビーネの仕事のほとんども肩代わりしていた。
ザビーネが実際にするのは、旅行がてらに地方に視察に行ったり、公式の行事に参加したりといった簡単なことだけ。裏方の地味な書類仕事などは、全てシャーロットが処理している。
けれど、シャーロットは姉が自分をこき使っていると文句を言ったことは一度も無かった。
「よく理解してるじゃないの、シャーロット」
ザビーネがずる賢そうな小さい目を細めた。
「人にはそれぞれ、似合いの生き方っていうものがあるのよ。本当なら、あんたなんて路地裏で物乞いでもするほかなかったの。どうしてか分かるわよね?」
「私に……魔力が無いからです」
シャーロットは消え入りそうな声で答えた。
魔力が無いのは恥。魔法が使えないことは悪。他にどんな優れた能力を持っていても、魔力を持たないだけで皆から見下される人生を送らねばならない。
それがこの王国での常識だった。
そして、不幸なことにシャーロットは魔法が全く使えなかったのだ。
それはこれから先も変わらない。魔力の顕現はどんなに遅くとも十三歳までだと言われているが、シャーロットはもう二十歳。彼女の運命が変わることはあり得なかったのである。
「あんたは我がグランツ家の面汚しよ。そんなあんたが『聖女の補佐官』っていう最高に名誉ある職に就けているのは誰のお陰かしら?」
「もちろんお姉様です」
グランツ家は聖女の地位を世襲する名門貴族家だ。一族の中で最も魔力の強い女性が代々その地位を受け継ぐのである。
シャーロットとザビーネはグランツ家の分家出身であり、一族内での地位は高くなかった。本来なら、二人とも教会の備品係くらいに任命されるのが関の山だ。
それでも、その魔力の強さでザビーネはグランツ家の宗主よりも強力な権限を持つに至ったのである。そして、手に入れた権力でシャーロットを自分の補佐役に任命したのだ。
「分かってんのならいいのよ。忘れるんじゃないわよ、シャーロット。あんたがここにこうしていられるのは、聖女の慈悲あってのことなんだからね。だから、あんたは大人しく教会で書類にハンコでも押してればいいのよ」
この会話はどこに向かっているのだろうと訝しんでいたシャーロットだったが、やっと姉の言いたいことが理解できた。要するに、「絶対に舞踏会には来るな」とのことらしい。
(そんなに心配しなくても、私にはお仕事が山ほどあるのに。それに、パーティーに出るためのドレスも持っていませんし……)
シャーロットの所有している服は、今着ている粗末な法衣とその替えだけだ。こんな格好では、とても王宮の舞踏会になど行けやしない。
(まあ、華やかな場など慣れていませんから、そんな場所に行っても恥をかくだけでしょう。でも……あの方に会えないのは少し残念です)
シャーロットの顔にほんのりと影が差す。
その後、ザビーネの着替えを手伝って髪型もゆったりとしたものに変えてやってから、シャーロットは退室する。
ザビーネはパレードの疲れを癒やすためにこれから仮眠を取るようだが、シャーロットが向かった先は執務室だった。
デスクには山のような未決書類や、今日届いたばかりの聖女への嘆願書の数々が載っている。
厨房でもらってきた軽食をつまみながら、シャーロットはいつものように淡々とそれらに目を通していった。