役柄と設定3
最近、カップ麺のアニメのCMが炎上していた。
なんか、性的だとか批判の例があったが、そこは特別感じなかった。
が、なんとなく視聴後の違和感はあった。
性的かどうかはともかく、主人公がカップ麺では無い気はした。
だから、見ている人の中でヒロインを見させられてると感じた人がでて、そこに性的とか尾ひれがついたんだと想像した。
実写と違って、アニメで食品を旨そうに表現するのは難しい。
そんな言葉を思い出した。
確かに、そう感じた。
知らない女性が部屋で1人、テレビを見ながらカップ麺を食べているアニメ映像を見ていると、
我々の頭ではヒロインにロックオンする。
どんなに正確にカップ麺を描いても絵は絵。食べられないからだ。
と、納得して、ここで昭和のラーメン好きのキャラクターを思い出した。
絵だって、正確でも美しくも無いけれど、彼のエピソードを読んだ後はラーメンが食べたくなった。
なぜだろう?
ここで、実写と小説の旨さの表現には違いがあるように思った。
実写はそれだけで旨さが伝わる。
が、文字の場合は相手に思い浮かべて貰わないといけない。
カップ麺を食べる女性
それだけでは、旨いカップ麺を想像はしてもらえない。
例えば、夜遊びの延長で泊まりに来た友人と夜中にカップ麺を半分こしてみたり、
風邪を引いた少女に弟が心配そうにカップ麺を作って持ってきたり、
小さなシュチュエーションを書き込み、なお、キャラクターにカップ麺の感想を言わせないと読者の意識は釣れない気がする。
長く売られた製品なら、時を感じるエピソードを
新しい製品なら、未来への期待や夢を。現在を…
それが正しいかはわからないけれど、考えたことも無かったから勉強にはなった。
まあ、それで文章力も金稼ぎも出来ないとは思うけどね。
なんて文書を書いてたまたま、ダンテとベアトリーチェの絵画を見た。19世紀に描かれたその絵の3人の女性はダブダブの足まであるドレスを着ていた。
けれど、前面からの風などの影響で、現実世界ではありえないほど体の線がわかる。
いつの時代も、絵師というものはエチエチ要素と客と夢と描きたいものと戦ってるんだな。とか思いながら、やはり、私にはその絵が性的に見えると思った。
感じ方は色々。でも、伝える時の言葉も考えないといけない気がした。
カップ麺のCMもベアトリーチェの絵も、『性的』という言葉を使うにほ弱すぎるし、『性的』という言葉を乱用すると言葉の本来持つ意味がブレて来て本当に伝えなければいけない時に『オオカミ少年』の様に信用がなくなってしまう。
エチエチでくらいの表現が合ってるのかもしれない。
あと、作画の崩壊についてAIの様だとか言われていた。
AIもいい表現では使われてないなと思った。
これ、あとでイヤフォンで動画を見て納得した。
このCM、ネットで流された物らしいのだけれど、イヤフォンだと、微かな息遣いとか、耳元ですると、確かに気持ち悪く感じる。
昔、何かの本に、女性は声に恋を感じるとか書いてあった気がするけれど、耳元で脈絡もなく知らない女の息遣いを聴くのは、なんか違和感が生まれて、この辺りに性的な不快感を感じる人もいたのかな、と、思った。
発信するものや、視聴環境、視聴者の年齢や性別、これからはこんな事も考えて行く必要があるのかもしれない。
それにしても、便利で面倒な時代だと思った。




