インクリュージョン
複数の鉱物が一塊に混ざりあう宝石…
インクリュージョンと言われている。
それにちなんだのか、複数の人種が1つの物語に登場するのも、近年ではそう呼ばれているらしい。
それは美しい表現としても、ネガティブな表現にも使われる。
1つの民族の、とてもローカルな作品に、ある日、見たこともない人種が、いつもの王子の代わりに姫の隣にいて、
絶対に言わないような言葉や信念を放ち、居座られたら、やはり、違和感が出てくる。
今までは、対岸の火事のような事だけれど、これからは、我々、日本人も他人事では無くなってくる。
だって、実際に多民族はすぐ近くで暮らしているから。
同じ国に複数の民族…一人の勇者…
もめるなと言われても、揉めるんだと思う。
この時、王族が機能している場合、未来に向けて、新しい時代で勇者が作れる。
イギリスなら、21世紀の現在でも功績を上げたら、騎士になれる。
日本でも、爵位は無くなったけれど、勲章を貰い、新たな英雄になることもできる。
しかし、そうでない国は、やはり、揉めるんだと思う。
でも、やはり、物語は伝説通りの人種で作りたい。
日本人のヘンリー8世は、お芝居ではアリだけど、映画や漫画ではいただけない。
テューダー朝のウェールズの人物で、その特徴があってほしい。
だって、そこにロマンがあるのだから。
とは言え、日本で生まれ育っても、日本の歴史から外される子供もかわいそうではある。
まあ、こんな時、日本の場合、異世界が発動する。
異世界のなんちゃって日本が登場する。
まあ、ハーフの場合、芝居なら、サラリと日本人の役をさせたりするから、日本語が気にならなきゃ、まあ、なんとかなるんだろうけど…
でも、最近だと、人種の前に、歴史的に変な表現は増えてる。
例えば、平安時代に男女が顔を合わせて語り合ったり…
なぜ、そうなったのか…そこには理由があるはずだから、あんまり変更すると、その内、皆に飽きられたり、批判されたり、陰謀論になったりしないか、心配ではある。
ガリレオは、『それでも地球はまわってる』と、頑張ったけど、
私に、物語の表現について、そこまで頑固に言えるかは分からない。
でも、まあ、やっぱり、昭和のラブロマンスの新作は諦められないわ…
今なら、頑張れば、素敵な挿し絵をつけて、新作を読めんるだもんなぁ〜
時代は変わったわ…
でも、セルフサービスは変わらないけど…




