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亡霊


弥助の件から、歴史について考えさせられた。


ゲームの…フィクションの話なのに、なぜ、日本人が怒るのか…


海外の人が批判していた。

この話はゲームだけの話では無くなっていた。

高学歴の人が書いた、弥助の物語が、海外で史実扱いされて、それをベースに複数の物語が作られていた、という背景がある。


この辺りが、全く知らなかったので複数の人が違和感を持ったのだと思う。


でも、全く史実に忠実な物語なんて、そればかりではつまらなくもある。


私だって、自分で作るとなると、史実には無い空想がたくさん入る。

今回は、様々な不運が重なったのだと思う。


と、同時に、ノストラダムスの終末予言のブームが影響した様々な事件を思い出すと、放置も出来ない気持ちも沸き上がる。


私は、世紀末ものを楽しんだ。

確かに、フィクションだと思って、常識の範囲で楽しんでいると信じていた。

けれど、時代がかわり、こうして、自分の書いた物語を発表したり、様々な海外を含めた情報を集められるようになって、あの頃、楽しんだ様々な情報が、フィクションでも使えない、扱いが面倒なものになっている事に困惑した。


そして、考える。

真実設定で、ドキュメンタリー風味の本の内容に盛られた怪しげな団体や、魅力的なエピソードは、果たして、著作権はどうなるのか?


私は、小さかったし、大人は戦前の情報統制の為に世界を知らなかった。

だから、丸々信じてしまった。エビデンスは


『本を書くような偉い先生だから間違いなんて無い。』


と、いう思い込みだけだ。


それに、ノストラダムスにフィクションがあるとしても、超能力や、現代知識無双とかで、作者に送られてきた予言者からの手紙とか、ジャーナリストの友人までフィクションなんて思わなかった。


確かに、ゲームなんたから、フィクションと言うのは分かる。


でも、武士に設定して、刀で喉を狙うのはダメだと思う。


私は、それは卑怯ものがする事だと教わった。


でも、あのゲームをする海外の人は、武士が首を狙って切りつけ、断首するのをフィクションと理解されるかはわからないし、

ここから、SAMURAI物語で当たり前のアクションとして模倣されると思う。



なぜ、歴史を改変してはいけないのか…

ここに来て、私の心のヒトラーが語りかける。


「情報は貨幣と同じ。信用が無くなった時点で無価値と化すのだよ。

私の情報もまた、連合軍の信用で作られた『フィクション』でしかない。

考えて見たまえ、

私は、やつらに真実は与えずに死んだ。

ゲッペルスくんも、ヒムラーですらね。

あとは、自分の為に国を売るような卑怯者と、ヘスのような狂人の戯言(たわごと)

では、なぜ、人は我々の『フィクション』を信じるのか?

それは、だた、現在の政府の信用に担保された、一時的な幻想に過ぎない。


紙幣と言う、紙ぺらに(きん)の価値があると考えるように、政府の信用が没落すれば紙ペラに戻る様に…

改変された歴史の事実もまた、改変者の信用が暴落した時点で無価値になる。


私が魔術をしたという事をフィクションと思う人間は多数いるだろう。


が、私がアーリア人、金髪碧眼の人間を優位にし、彼らだけの国を作ろうとした事をフィクションだと考える人間は、どれくらいいるだろうか?


私は、金髪碧眼ではない。

背も低い。

ヒムラーもまた、そのような容姿ではなかった。


なぜ、自分自身を排斥するような国家を作るのだと考えているのか?


それは、『信頼できる情報源』が、そう刷り込んだからではないのかね?


では、その『信頼できる情報源』が、あてにならないと人々が考えたら、どうなるだろう?

新たな『信頼できる情報源』の発言を真実だと考えるのではないかね?

それがつい、数日前、非常識と笑った事実だとしても。


私は、ドイツという国が、皇帝が、信用を無くしたとき、新しく御輿に乗る『役』を演じたに過ぎない。


ゆえに、私の『役』は、また、政府が転覆する時に現れる。


私は、血統など信じてはいないのだよ。

だから、私は子を持たなかった。


別に、信じる必要はない。

それを信じると言うことは、現在の貨幣を…自分の価値を…疑うことになるのだからね。」




長い自作のヒトラーの説明を、夜中、静かに聞いていた。


怖いと思った。


私の話にはヒトラーが登場するから、たまにヒトラーのキャラクターで物事を考えたりもする。


これが許されるのは、作家であること、そして、よき人であることが必要なんだと思う。


よき人であるかは分からないけど、なんとか、それに見える努力はしないといけないと思う。


それにしても…事実の信用価値…面白い考えだと思った。

私のヒトラーも、いい感じの詭弁師に出来上がっている。けれど、詭弁師にすぎない。

こう言った人物を作る際は、これを抑えるキャラも作れないと使えない。

多分、それは無口で実直で正直な人間に違いない。


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