改変者
最終回…
小説を書いてから、私はこれをずっと追いかけている。
それが…誰かに盗られたら…
辛いに違いない。
書く側ならそれが正しい気もするけど、読者側になると、長くまたされるとなるとかわる。
数十年、連載が続けば、周りの状況も変わってくる。
子供だった読者は大人になるし、親は年老いてこの世を去る。
気がつけば、自分も老人…気長に待つにも限度はある。
そして、いつか、待つのを止めるか、続けるかの二拓を決断を下す時が来る。
そうなると、もう、自己完結のために自分で話の決着をつけようと自作もしたくなる。
まあ、ネットで投稿したり、コミケで売るなんて本格的な事をしなくても、たまに、何かの拍子に思い付いた事をボヤいたりすることもある。
それが、たまたま、ファンの琴線にふれてバズったら…
確かに、一番は、金を払い作品とキャラを愛するファンかもしれない。
でも、どんなにファンに好かれても、問題になることもある。
ドラえもんの最終回伝説である。
基本、ドラえもんの最終回は決まってはないんだそうだ。
ただ、色んなところで連載されているので、最終回風味の作品はあるらしい。
でも、この作品は、長く愛された分、都市伝説のようにファンの…ネットの中から沸いて出てきた最終回が存在する。
それは凄く良い出来で、皆はその話に好感をもつ。
そして、ついに本物そっくりの偽物が販売されることになり、事件になった。
確かに、お客さんの気持ちをつかんだのは良いけれど、それを売ったり、本家の作品と間違われそうな作品にしては問題だ。
他人の話を改変する。
不快感を無くすには、できるだけ改変をする自分の個性を読者に認識させる必要があるんじゃないかと思った。
手塚治虫の横に名前を載せて、それを読者が喜ぶような…そんな人物になろうと努力する。その気概は必要な気がする。