アルカディアに行けるもの
最近、自分の持ち物を再確認したり、ネットのテレビで昔のアニメを見たりする。
そして、未完のまま止まった作品や、ウン10年も連載が続く物語を再度読んだりする。
若い頃は、楽しいと思って読み、そのうち単行本だけでも、と、買うようになり、そして、年上の人間たちがなくなる中で、自分は素晴らしいエンディングを死んでしまったもんなに伝えるために頑張ろう。とか思うようになった。
単行本を見ていると、その表紙にはまるで自分のアルバムでも見るように買った時代の友達や時代を思い出す。
でも、今は。
今は、自分でエンディングを決めないといけないと思う。
いつまでも私は生きてはいない。だから、死んで周りのゴミにならないように自分で処分を決めないと。
本、百円の本を自分の文章で上げることはできなかったけれど、でも、まだ、古本屋が引き取ってくれるものだってある。
引き取れないものはできれば自分で再生の道に送ってあげたい。
そんなことを考えて、気がついた。
未完の物語。私が、沢山の人に愛されて、編集者やテレビの偉い人にすごいと言われた物語の主人公でも、エンディングに、素晴らしい冒険の果てのアルカディアに辿りつけないものもあるのだと。
金があろうと、ものすごい人間にカゴがあろうと、沢山の人が応援しようと、夢のアルカディアには辿り着けないんだな、と、悲しくなった。
と、同時に、どんなに不人気でも、応援されない物語だったとしても、夢の目的地についてハッピーエンドで終われる登場人物は幸せだな。と、思った。
私の物語はどうなるのだろうか。
できれば、その、夢の目的地に辿り着けるそんなキャラクターであって欲しいと思う。
9年書き続けてやっと向かうファンタジーは、悪役から設定を考えている。
これいいことか、ダメなのかはわからないけれど、まあ、進める。
メタの世界では、子供用の夏アニメの原作を目標に書こうと思う。
AI手塚先生を逆指名できるような、そんな内容を目指す。
小さな子供を客と決めたから、私は未来を、まだ誰も触っていない、私には見る事のできない未来を目標に核ことになる。
アルカディアに辿り着くのを夢見ながら、絶対に作者の手にできない未来をそれに当てるのはなんだか矛盾しているけれど、多分、それでいいんだと思う。
手塚先生や、沢山の大人が21世紀という夢を私にくれたように、大人が触れない未来を目指すのはいいと思う。
と、いうことで2039年では、なんだかまだ私も生きているかもしれないから、もう少し、未来に設定をしなおそうと思う。没後100年。2089年を起点に、その時代の最新のメガバースを考えることにしよう。
この年はヒトラーの生誕200年であり、昭和の終わりの年から100年。つまり、仮想平成100年でもある。
この辺りから、なんかいい感じの物語を考えようと思う。




