向き合うもの
前回の話がわりと好みだったので、頭の中で話が勝手に広がる。
原作、男性キャラを女性に…別人に変える場合、
これを視聴者や、読者に受け入れてもらおうと考えるのは当たり前だ。
が、今は大概の視聴者は、違和感を感じる。
テレビはそれでも見てもらえるけれど、私の場合、あらすじでブラバされるな。
おもえば、昭和のドラマでは、わりと凄い改変はあっても受け入れられていた気もする。
まあ、テレビ局に明確なカラーがあり、明智小五郎などの人気のキャラの場合、テレビ局ごとに違った明智が存在していて、視聴者もそれを理解して、好き嫌いはテレビ局ごとに分散していた。
そして、大人が芝居見物の様にテレビドラマを見ていたから、役者が変われば演出が変わることを自然に考えていたのもある。
そして、皆、役者の演技を見ていた。
架空の物語を、どんな感じで、役者が表現するのか、役者の事情を汲み取っていた。
前回の話のを広げてみるなら、死神医師役の女優はこんな感じだろうか?
清純派で売っていた女優が、本当の役者として一皮向くための演目…。
まあ、そんな事は、昭和の…映画ブームの時代の風があってこそ、で、現在、それを真似しても上手くは行かない気がする。
まあ、ともかく、今回、この設定で、国民的清純派女優が、大人の女の演技をする為のシナリオを考える。
見ている方も、その女優の主演である事を意識している。彼女がこの先、若い女優に役を取られて消えるか、大人の女優として認められるかの瀬戸際。応援する気持ちに、自分も同じく年をとった事を自覚もする。
雑誌やテレビでずいぶん前から話題になって、友人知人と話をしたりするから
今は、無理だけれど、昔は結構、テレビにもお色気シーンがあった。
そして、ネットは無かったので、動くスタイルの良い美人の裸を見る機会なんてほぼ無かった。
当時は、ドラマの場合、原作より、女優の方に感心があったと思う。
死神医師を女医に変えることより、あの女優が、どこまで脱ぐのか?とか、昔の思い出とかを大人は語り合っていた。
そして、ドラマの原作は主に小説だったので、同じ役をした先輩女優と比べられるだけなので、改変にもそれほど違和感は無かった。いや、演技力と演出の良し悪しとして考えていたように思う。
まあ、社会も急速な西洋化、近代化の波に追われて、新しい挑戦を受け入れやすくもあった。
けれど、それにしたって、いきなり、片眼のゴツい男を知的で優しげな女に変えると違和感が生まれる。
私は、役も偽者設定で乗り切ることにして空想した。
ここで、死神医師のキャラの服装が重要になる。
服装やメイクは、彼女の覚悟を現すからだ。
詐欺師も第一印象を大事にするらしいけれど、物語のキャラクターだってそうだと思う。
この時、視聴者として不満を考えると『原作と違う』『違和感がある』『つまらない』とかの文字が浮かぶけれど、
脚本家の視点で考えると、そんな服装で、死神医師のお客さんは納得するか?だった。
つまり、物語の中で、彼女はネットを使い客を…安楽死を望む人間を探し、そして、その望みを叶える。
安楽死、つまり、死を選ぶくらい深刻でデリケートな心情の人に信用されようとするのだから、第一印象は大切になる。
この設定の場合、冒頭で彼女に依頼する人物が登場する。
病気で苦しみ、死を待ち望む妻を必死で支える夫。
勿論、夫だって逝かせたくはない。
実際、末期癌などで治療を選ぶとき、それが後の寿命を左右するとなると、家族の中で嫌いな人物であろうと、人は躊躇するし、混乱もする。
その選択が大事な事であれば、あるほど、それを依頼する相手も、ふさわしい人物であって欲しいと願う。
だから、服装は大切なのだ。
物語を作る場合、視聴者を納得させる前に、物語の世界の客を納得させるのが先なんだと、そう思った。