昭和なろう
私は6年近く活動して、いまだに異世界転生のファンタジーが書けずにいる。
なんか、よく理解できないのだ。
これは読者としてのフワリとした理解ではなく、作者として、何が面白く、どういった話の流れで作るのか?それが全く理解できないのだ。
昭和、異世界は怖いところで、子供が行ける場所で、帰る家をエンディングに物語は作るものだった。
しかし、なろう異世界は移住を目的としていた。
リアルな世界で、くでもない人間が無双する…
それを素直に剛と言う友人をモデルに話を作ったが、それも失敗した。
敗因は、現実はどうであれ、異世界にいったら、イケメンですごい人間に設定するところを、モデルがいたために、異世界でもろくでなしのままで、キャラクターに、読者が望む魅力が出なかったからだ。
ついでに、モデルの剛が異世界に特に興味がある奴ではなかったので、話が進まなかったのもある。
異世界ファンタジー。
この憎らしくも、求めずにいられない、ネット作家の人気ジャンル…
こうして、手塚治虫を書いていて、なんか理解が進んだ気がする。
手塚治虫…昭和世代で知らない人がいない有名人ではあるが、実際は何も知らないのだ。
私はそれを先生の身内の方の呟き炎上の事件で確信した。
手塚治虫先生は、漫画家で、いくつになっても少年のような瑞々しい感性をお持ちで、
やさしくて、怒る時も知的で、決して、エッチなことや悪いことを考えたりしない。
タバコのポイ捨てなんて、絶対しないし、ヘベレケになって人に絡んだり、愚痴なんて言わない。
私の無意識に刻まれた手塚治虫はそうだった。
あれは、実在する人物ではない。いわば、『聖手塚治虫』と言った架空の聖人である。
なんで、そんな人物が頭に生まれたのか…
それを考えて父を思った。太平洋戦争から高度成長期の激動の日本で、人生を翻弄され、卑屈に生きるしかなかった父を。
当時、ネットなんてなかった。近所の人は父のロクでも理論なんて聞いてくれないから、私にそれがまわってきた。
私の頭にいる聖手塚治虫の正体は、父やその世代の大人の夢。私と言う異世界で無双する…転生した自分の姿だったに違いない。
だから、私の心の聖手塚治虫を深堀すれば、そこに、私の…私も描ける異世界ファンタジーの種があるはずで、ついでに、もう、自分一人では、死ぬまでにたどり着けない気がする、手塚治虫の夏アニメの夢を見れる気がするのだ。
私が見たいのは、昔のアニメではない。
バリバリの聖手塚治虫の新作なのだ。
その為には改変は必要だ。
今、漫画の原作を脚本家が改変する事が悪いような風潮があるけれど、それは、金儲けの為の…客を忘れたような改変だと思う。
聖手塚治虫は、私に語りかける。
『裏番組のキメツにガチで勝ちに行く話をつくろう』と。
大体、手塚治虫のドラマとか、ブラックジャックとか言われると、視聴者は年寄りを思い浮かべないだろうか?
でも、私の手塚先生は、ガチで『キメツ』や『ジュジュツ』と渡り合いたいと考えている。
10代に…ガチで少年漫画で視聴率を取りに行こうと考えている。
改変が無くてそれが叶うと思うだろうか?
今の改変に足りないのは、この、細やかな客への説明では無いのだろうか?