最近考えること
やはり、ここで『ある女優の死』をイメージするのはやめた方がいい気がした。
こういうのは、早めに改変した方がいい。
やはり、ここは、自分の体験を語る、投稿形式をイメージして話をしようと思う。
これなら、著作権でもやることはないと思うし、昭和の雑誌やテレビでは、視聴者からのリクエストや意見などを募集していた時代だった。
それに私は、お父さんの話を書きたいのだから、それでいいと思う。
それにしても、こうして、なろう執筆8年目になると、いろんな事を考える。
まず、とにかに書く。書いて投稿してみる。
これが大事だと思う。
日々、人は何かを書いている。伝言メモ、日記、スケジュールに覚書。メール。
でも、本当に大事なこと、別れを前にして何かを残すとなると書けなくなるのだ。
例えば、結婚式の親に対する手紙とか。
言葉で誰かに話すと、なんとかなる人も、文章となると、なかなか出てこないものなのだ。
私も初めの頃は恋愛表現とか、恥ずかしくって混乱したけれど、最近はイケメンが愛してるとか、平気になってきている。そして、恋愛小説を書くときは、少しオーバーに書いて普通の印象で読まれるものだと思った。
この、不妙なオーバーさ。カラオケの声量のように、練習してないとなかなか出ないものである。
ここをサポートしてくれる、AIがいたら、なんか、いいなって思う。
そういうAIを考える。
こうなったら、仕方ないから、自作のミヅキに頑張ってもらうしかない。
まあ、初めに書いて、物語は完結していても掘ったら書いていたし、こうなったらしかないかな。まあ、挿絵を書いて欲しいな、くらいの夢は語っても問題はないとは思う。うん。
そして、少し、ダムについても調べてみようかな。
連載がたくさんあるからゆるゆると。
やはり、ダムの話が父の見せどころのような気がするし、なんか、まだ、尊敬できそうな気もするから。
でも、こうして書いていると、3歳くらいの時は、浴衣で父に花火に連れて行ってもらったりしたことを思い出した。小さな頃は、まだ、愛されていたんだろうなって、思い出してきた。
でも、気を抜くと、負のオーラに取り込まれるから、読者が逃げないように気を引き締めて頑張ろう。
ああ、あと、1日。あと、1日で8月を書き切ったことになる。
夏休みの絵日記ですら出来なかった事を、もうすぐやり遂げられると思うと、それは嬉しい。
執筆キャンペーンには感謝しかないが、9月はできれば小説部門で頑張ろうと思っている。