歴史改変
最近、アニメの挿入歌が有名アーティストの楽曲に似ているということで問題になった。
似ている。これで全てを一人のアーティストが類似品を全て制御できるとしたら、これも問題である。
世間様はどうか知らないけれど、私は今、混乱中である。
苦節三年、かき集めた原稿料でやっと買えた『MMR』しかし、これ、参考に使っていいのだろうか?
あのアーティストの件では、似ているだけで一言声をかけて欲しそうだった。
まあ、商業作家同士の話だとは思うけれど、こっちも公募に応募しているから、もやる。
使わないほうがいいのだろうか?
でも、そうすると、今度は時代的に変な世界にならないのだろうか?
たとえば、アニメの件では、物語には関係ないし、元々は欧米のアーティストの影響で生まれたんだから、そっちにリスペクトしたらどうだろう?とか、そういう意見もネットで見かけた。
確かに、話的にはそれどいいけれど、それだと、過去、日本で流行って時代を作った何かが消えるんじゃないか、そんな気がする。
確かに、代わりの何かを作るのはそれほど難しくはない。もしかしたら、その時代の創作者が創作活動を応援してくれるかもしれない。
その頃流行りの雑誌の中には名前を変化させて創作に使うこと自体、ゆるく受けてくれていつ所もある。出世払いでなんとかなりそうだし、そっちを主流に話を作ってもなんとかなりそうだ。
でも、それでいいのかな、って、思う。だって、とうじ、私が参考にしたのは違う作品で、皆んなが沸いた作品も別物なのだから。
でも、今回、問題のアーティスト側の気持ちもわかる。
時代は、ネット全盛期。私だって、600円の原稿料を稼げた、そんな時代なのだ。
平成の時代とは違って、好き放題、お金のために有名アーティストの作品を使って金儲けをする、作品のイメージを変えられる、自分がパクリ作品の様に言われる、など、トップアーチストでなければ分からない苦悩もあるとは思う。
が、時代はネット全盛期。
我々も、好きな作品をネットで誰かと、さまざまに表現したり話たい。語りたい、何かを作りたい!!!
と、いうことで、折角、当事者が和解しても視聴者が「コラボはやめて」と言い出したりする。
これについては、視聴者側が大人気ないという風なコメントがあった。
でも、昔、何かの企画で音楽に合わせてダンスを動画サイトに流して欲しいというキャンペーンがあったのだけれど、数年後にイベントが終わったから削除してほしい。と、言われて揉めたことがあるから、用心したくなる視聴者側の気持ちも分かる。数年後、誰かの気分次第で削除されるとか、完結出来ずにうやむやとか、そういう心配はしたくなのだ。
製作者の著作権は、割と強い。
それは、こうしてネットで書いてる私からしてもありがたいが、あまり、縛りがあるのも混乱を生んだりするから問題なのだ。
前世紀、ノストラダムスで混乱したから本当に思う。
あれだって、突き詰めれば、フランス語の予言詩を日本語に翻訳した時に著作権が生まれるので、各研究者がさまざまに翻訳にオリジナルを入れ始めた、これが問題を大きくした一つの要因だと、私は考えている。
そして、ここまで細かい事を言われると、テレビの流行り物は使わなほうが無難だと、もっとテレビ離れをしてゆきそうである。
ネットには、フリー素材、もしくは出世払いで私程度の作家には自由に使わせてくれる、そんなありがたい素材の提供をしてくださる方々もいる、そして、テレビやCMでも使われたりしている。
こうなると、商業アーティストが、そだたなくなる気がする。
漫画も、音楽もタダが当たり前として付いてしまうからだ。
それは、それで問題だと思う。
でも、『ビューティフルドリーマー』の作者 フォスターのように、現在でも使われる、教科書にも載るそんな名作を作ったのに、彼には金が回らずに貧乏で酒に溺れて死んでしまうとか、それも違うとも思う。
今は混乱期なんだと思う。
そして、この辺りは注意深く考えないといけないんだと思う。
私レベルの作家では、著作権の支払いはできないから、できるだけ使わないようにしないといけない。
でも、それでいいのかって、そうも思う。
幽霊作家で、なんとなく大正のマガジン編集者を作れたこの時に、そんなことを考える機会ができたのは、いいのか悪いのか?
まあ、様子を見ながら頑張ってゆこうを思う。




