原点
思えば、私は剛という友達にために金を稼いでいた、
名古屋に行きたいと言うくせに、一向に金を貯めない男だった。
今思えば、私はなんであんなに躍起になったのだろう?
確かに、みんなで旅行をしたかったけれど、剛のために私が頑張る必要もなかった気がする。
まあ、思いつきだったと思う。
スマホに買い替えて、なんだか楽しそうにしている剛がネットで見かけた文学フリマに自分も参加したかったのもある。
私は、昔から、剛は面白いやつだと思っていた。リアルな世界では、ロクデナシだけれど、ファンタジーの世界なら、きっと人にが出るに違いない。
よくわからないが、当時はそんなことを思った。
剛は農家で、野菜を作っていたから、そこでレストランでも出来たらいいなとか、馬鹿げたことを考えた。
小説が売れて、人気が出たら、きっと、農家のレストランも繁盛するに違いないとか、傍迷惑なことを考えたりした。
ああ 恥ずかしい。
結局、私には書籍化する才能はなかった。
失意と混乱する私に、剛はいった。
「そんなにがんばらなくてもいいじゃない。普通にいつもの話をしたらいいんだよ。
俺は気にしないし、みんな気にしないよ。」
剛の言葉を、私はバカだと思っていた。
インターネットの怖さを知らない愚か者の妄言だと。
が、剛の方が正しかったんだと、今は思う。
ネットで炎上するなんて、相当、大変なことである。
良識ある、普通の人間が、なんかまともに文学賞を目指して書くような作品が炎上するなんて、無理ゲーなのだ。ろくでもない悪戯とか、倫理に外れた人間とか、人を怒らせるか、一際、美しい品というものを披露するか。
私はどちらも持ち合わせてはいなかった。
そして、怖かった。
剛をかくとコメディになるけれど、それは下手をすると剛をディスることになるからだ。
バカにしていいのは、一緒に馬鹿にされる覚悟がなきゃいけないし、うまく笑いに結びつかないと、ただの不満を垂れ流した駄文になってしまう。
そうなるのが怖かった。
でも、ここで、2025年。活動の終わりと予想していたこの年に、500円分のギフトカードを目指して、ああ、五百円、当時の剛の夢のセリフ『名古屋にはワンコインでお得なモーニングがあるんだ』の500円。
名古屋に行けたら、奢ってくれるって、何度も約束した、500円、それが、手に入る、こんな巡り合わせ、本当にあるんだろうか。
私は、ここで、500円を目指して、剛の思い出話てもするべきではないかと、そんなことを考える。
でも、20名。くじ運の悪い私が当たるとは思えない。
でも、これが、いい感じのエンディングになりそうな気もする。
当たらなくても、昭和の野球漫画のように、泣ける物語になりさえすれば!
1円の価値に少女時代に拾ったジュースの瓶を思い出したり、500円を連呼するんじゃなくて、なんか、もう少し、なんか、文学的な、そんな話になるんじゃないだろうか。
とか、考える。
私だって、やっと稼いだ金を手に、名古屋に行って、それで、消費税で足りなくなるとか、そんな話は嫌なのだ。まあ、美味しいって思ってしまう自分もいるんだけれどね。