鬼塚 修
私のとって、手塚先生は何だか偉い人で聖人だった。
父が文句を言いながら、それでも先生のイメージを被って自分のことを私にマウンティングしていた。
父は、戦中戦後を経験していたので、色々と傷んでいた。
物不足の中で人の醜さや、残酷さをたっぷりと心と体に染み込ませていた。
父は頭はいい方だと思う。多分、環境が良ければ、私なんかより勉強ができて、出世していたに違いない。
でも、勉強をしている暇を社会が与えてくれなかった。
だから、父は学歴には劣等感を感じていて、勉強を私に教えることで満足させようとしていた。
小学生の頃、父に叩かれながら勉強させられた。
それは辛かった。
でも、私は知っていた。小学生も高学年になる頃には、父も予習が必要になり、私のための学習教材で、夜中、勉強していた。
『お父さん先生』そう呼べと言われた。
私には違和感があった。正直、嫌だった。先生と、師と仰ぐには父はバイオレンスが有り余っていたし、何だか必死な感じが尊敬できなかったから。
でも、私にも父の遺伝子が半分あるので、父の燃えるような劣等感と承認欲求には涙が出るほど共感できた。
web小説の異世界ものの主人公の批判を聞いていると父を思い出して、私は異世界ファンタジーを批判する気にはなれなかった。
父と分かり合えなかった分、webのファンタジーをうまく作り出したいと考える。
誰が評価してくれなくても、自分が納得できる、感動の涙が流せる、そんなハイファンタジーを作りたいと思っている。
私にとって、手塚先生はそんな卑屈な父が異世界で転生したかった、理想のチート主人公なんだと思う。
いいところのお坊ちゃんで、お金持ちで、その上、医学の学校に通って、それでいて、大衆文化である、父の言うところの子供騙しの漫画の世界を一級品の芸術作品に変えてしまうのだ。
異論はあると思う。
実際、父がどこまで手塚作品を知っていたかは、謎だ。
父は『寅さん』とか『じゃりんこ チエ』のような世界が好きなのだ。
喧嘩っ早いけど、きっぷの良い、渡世人みたいなのが好きなのだ。
でも、頑張ってNHKで放送されたシェークスピアとか『大草原に小さな家』を見てみたり、解説したりしたがった。
私にとって、異世界無双というと、父が1番にキャラクターとして浮かぶ。
だから、鬼塚の友達はお父さんをイメージして考えたい。
それが私のハイファンタジーの世界観のような気がする。
まあ、うまくゆくかは分からないけれど。