夢設定
実在の俳優さんの名前を出して、初めてドラマとは役者と言う奥行きがあることに気がついた。
少し緊張するけれど、実在する役者の名前をこうして発すると、その役者の活動、そして、その役者への自分の希望がわいて行くのを感じた。
私はドラマ『科捜研の女』が好きだ。
だから、内藤剛志さんを思い浮かべた時点で、そちらの夢展開を思ってしまう。
あちらでの内藤さんの役は刑事で、ヒロインと長い間、ジレジレのいい感じのまま、長いドラマで素敵な人間関係を紡いでいた。
ああ、あの二人を…役柄もストーリーも違っていても…
ちょっぴり、素敵な大人のラブシーンを見られないかしら?
なんて、考えてしまう。
あのドラマは長く、私の人生に寄り添うようにテレビの向こうに存在していた。
終わりがあるとしたら…ラブストーリーがいいな。
ふと、そんな考えがよぎった。
こういう改変は、原作者に嫌われるんだと思う。
そして、ここで、原作の視聴者と、新しいドラマの視聴者は違う事に気がついた。
ドラマを作り、それで、ドラマを、テレビを愛する視聴者を喜ばせたいと願うなら、テレビや役者の、夢設定をいれたいと、そう願う。
これは仕方がない、業のようなものだ。
役者は人間で、旬を選ぶからだ。
17才も、60才も、人生には一度きりで、やり直しなんてきかないのだから。
もし、こんなビックな企画を魔法のように自分が操れたら…
やっぱり、大人の、ふんわりとしたラブシーンが見たいわ(>_<。)
でも、ここで、周りを説得する熱意を忘れると、とんでもない事になるのだろう。
私は、もし、こんな企画に、たずさわれたとしても人生に一度きり、本当に、命がけで挑む大プロジェクトになるだろう。
でも、脚本家とか、プロデューサーとか、職業になれば、それは『仕事』でしかなくなり、問題がおこるとしたら、速やかな『解決』を心がけなくてはいけなくなるのだろう。
業…って、言うんだろうなぁ。
なんだか、今まで考えることもなかった、ドラマの製作と言うことが、夢物語から、現実の生々しい雰囲気を放って、何とも複雑な気持ちになった。