手塚治虫
『セクシー田中さん』の事件がまだ、調査中に、手塚先生の『ブラックジャック』のドラマ化のニュースが舞い込んできた。
原作ファウスト、これは大事だけれど、改変した方がいいと思う物語もあると思う。
私には、手塚先生の物語に公式でクリエイターとして携わる機会なんてないと思う。
でも、視聴者として、希望は言ってもいいとは思ってる。
手塚先生の全盛期を知る、楽しんだ世代も、少なくなる中で、もう一度、私のみたいドラマをぼやいて見たいと思う。
私はもう一度、手塚プロダクションの夏アニメが見たいと活動してきた。読者には、活動内容はわからないとは思うが、本人はそうなんだ。
でも、書けば書くほど、変な未完が増殖して、それをなんとかしようと頑張ると、もう、命が尽きてしまいそうなので、希望だけでもたまにぼやこうと思う。
ここでぼやけば、同士がいいねをしてくれるかもしれないし、数があれば、テレビ局に希望を聞いて貰えるかもしれない。
作中作者も色々いるから、その物語のネタのもなる。ま、そんなぼやきの記事である。
と、いうわけで、脈絡はない。でも、このまま、変に原作通りに作って、手塚アニメ、漫画が、クラッシックとして若者から敬遠されるのは違うと思う。
作者が何を思って描いていたのか?これを考慮しないと、物語の魅力が湧いてこないんだと思う。
手塚先生は、死ぬその時まで少年漫画家を目指していらしたと思う。
だから、現在、ドラマを作るとしたら、対象は私のような老人に向かって物語を作ったりはしないと思う。いつだって、その時代の少年に刺さる物語を考えると思う。
だから、昭和の流行りなんていつまでも取り入れて、子供に飽きられるのは嫌うはずだ。
だから、今の子供を魅きつける改変を考えると思う。
ドラマスペシャルは、私の世代は待ちどうしい夢のイベントだった。
随分と前からいろんな宣伝や噂が流れて、そこには必ず未来への夢が隠されていた。
手塚治虫の物語なら、そのドキドキが無くてはダメなんだと思う。
そして、もう一つ言いたいのは、手塚治虫という人物を私は知らないということだ。
昔、先生の身内の方のSNSのつぶやきに、これは手塚治虫の言葉ではない!なんて1人、腹を立てた事があるけれど、考えると、私が先生の家族に、寝食を共にし、心を通わせた家族の方に、手塚治虫を語る方がおかしいのだ。まさに『釈迦に説法』なんだけれど、そう思って、自分の中に生きている手塚治虫の正体がご本人では無く、父やその世代の人達の夢や理想の具現化した姿なんだと気がついた。
私は、私の心の手塚治虫の作品について語ろうと思う。
だから、他の人の考える手塚治虫とは違うと思うし、もしかしたら、同じように考える人もいるかもしれない。
私は心の手塚治虫と物語の改変を考えながら、父や古い知り合いを思い出そうと思っている。
まあ、これはつまらないボヤキ記事なのだ。