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愛してるが、故に?





三回目の診察時。


いつもなら聞いてもらえるはずの話を、担当医から話を振られたのにぶった切られる。


「え?」


と、戸惑いの声を漏らす。


担当医の方から話を振られたんだからと言い訳めいたことを自分に言い聞かせ、もう一度その話題に触れてみた。


話したくて。


聞いてほしくて。


けれど、再びその話題については拒絶にも近い反応をされる。


どうしていいのかわからなくなり、混乱したまま担当医を見つめた。


話題は、眠れない原因の元旦那との現状について。


「最近はどうですか?」


うなされたりなどがあるかないかということで、あたしの場合は原因が彼なので睡眠時間プラスそれについて話すことになる。


彼が障害者になって以降のいろんな手続きなどをしていったことで、否が応にも自分の日常の中心に彼が在った。


それが終わるまでは仕方がないということも含めて、状況を担当医に説明をしようとしただけだった。


彼の存在を口にするたびに、担当医はそれを話題にするなと言わんばかりな態度になる。


どうしたらいいのかわからなくなった刹那、聞きたくない言葉が耳に届いた。


「あなたね、“彼のことを愛している”んだよ。そうじゃなきゃ、そこまでやらないでしょう」


心臓がぎゅっと縮こまった気がした。


言われて即座に脳裏に浮かぶことがある。


ここでさっきの話に戻る。補足説明にしては長かったけど。


実は、ネット仲間からも時々似た言葉が送られてきていた。


「好きじゃなきゃ続けられない、やっていられないことをやっているんだよ。愛情がなきゃここまでのこと、普通の離婚間際の夫婦はやってやれない。だって、相手に対して負の感情の方が多いんだし、やってやる義理も道理も存在していないほどの関係のはずだから」


担当医よりももっと明確に言われた。


だけど担当医の言葉の方が痛くて重たくて、目の前に鏡を置かれた気持ちになった。


『見なさい。目の前に見えているのが、あなたの真実ですよ』


と。


気づけば、目からは大粒の涙があふれていた。


「違う。愛してなんかない。むしろ嫌いです」


「いや? 愛していないはずがないでしょ」


「愛せません。自分をこんな状態になるまでにした人間なんか」


「それでも愛していなきゃ、ここまでやれない。あなたは、彼を、愛している」


念押しをし、確かめるかのような担当医の言葉が胸を貫く。


一気に酸素が足りなくなる。


(どうしてこんなことを担当医はぶつけてくるの?)


そう思いつつも、自分の中の誰かが頭の端っこで冷静に思案している感覚があった。


(この先生は、何かを引っ張り出そうとしている?)


分裂しかける心が、落ち着けと何度も何度も自分へと囁く。


考えろ、と言い聞かせてくる。


泣いている自分と冷静な自分と、俯瞰の目で見ている自分と。


泣くよりも先にやれることはないの? と、窘めてくる。


泣いてばかりだった後ろ向きの自分は棄てたんじゃなかったの? とも。


問いかけにわずかな時間で自問自答を可能な限り繰り返す。


足りない酸素をかき集めたような短い呼吸を何度かしていくうちに、少しずつ彷徨っていたはずの視線がピタリと定まった。


自然と握りこんでこぶしにしていたその手を、ゆっくりと開いていく。


開くさまを、俯くままにただ見ていた。


そして、思う。


彼のことが好きだとか嫌いだとかの感情だけで、今を生きていない自分のこと。


彼という柵から解放されて、自分をもっと大事にしながら、自分らしさやたどり着きたい場所を探したかった。


どんなにささやかだっていい。


彼と一緒にいた時に叶わなかったことを、自分の選択肢を誰にも咎められることなく推し進められるよう。


「ママだって、好きなことは好きだって言っていいんだよ」


そういいながらも、それが出来る環境を作ろうとしてくれなかった男を、心のどこかで待ちたかったのかもしれない。


いつか、きっと。とか言いながら。


「好きじゃなきゃ勃たないんだから、それが俺のママへの気持ちの答えでしょ」


そういいながらも、心も体も受け入れられなくなった現実に両目をつぶろうとした男を。


本当にあたしを愛しているのならば、あたしが痛みを抱えることを望まずに小さな幸せだけを望んでくれると思いたかったのかもしれない。


愛、からの期待。


愛、しているゆえの切望。


過去にはそれがなかったわけじゃないかもしれない。


心が分裂していただけに、自信はないけれど。


(もう十分でしょ)


呆れるのも、諦めるのも、嫌うのも、条件は十二分に満たしている。


母親からの愛情が欠乏している彼を長いこと見てきて、母性だけは残っていたのかもしれなくても。


まるで自分の子どものように。


担当医が口にする愛情が、母性というモノからなんだとしても、無理だ。


「…………あんな人、愛せない」


重い気持ちを吐き出し、担当医へと向けてゆっくりと視線を上げた。


愛せない人を愛していた。過去のことだとしても、それは事実。認めよう。


(一旦、そういうことにしよう)


誰へのものなのかわからない頷きをして、姿勢を正す。


その後は大した話をすることもなく、次回の診察の予約をしてクリニックを出た。


頭の中で同じことをループさせながら、こぼれてしまう涙をぬぐうこともなく放っておく。


上着のフードをかぶって、視線だけ下へ向ける。


泣きながらひたすら歩く。


泣いている自分がいるというのに、頭の中で誰かがいうんだ。


「マンガかドラマでしか見たことないけど、いるんだな……泣きながら歩く人って。しかも、それが自分って(笑)」


って、本当に他人事みたいに。


哀れみとか何もない言葉。


ただただ泣いて。


マスクが濡れて呼吸がしにくくなったことを意識した時には、駅にたどり着いていた。


「そんなに時間経ってたんだ」


ため息と一緒に呟きを吐いて、かぶっていたフードを外す。


鼻水をすすりながら、予定していた本屋へ向かって本を買う。


そして、一時間ほど適当に時間を潰してからバスに乗って帰路についた。


ゆらゆらと揺れて、なかなか定まらない気持ち。


……キッカケは、作られた。



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