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名前のない貴族

恩と媚は売っておくに限る

作者: 羽月仁子

「君を愛することはないだろう」


 今はやりの大衆文学作品では定番の文句だ。

 物語として読む分には最終的にスカッとするということもあり、大変好ましく思ってはいるが、まさか現実にこのセリフを言う人間が目の前にいるとは驚いた。目の前にいる男は悦に入った表情でこちらを見ている。きっと自分が物語の主人公になった満足感を味わっているのだろう。大変不快だと思ったものの、冷静に眺めていると一周回って面白くなってきた。

 ところで、それをなぜ今言うのだろうか。言うならもっと早めに、何なら結婚式の前に言ってほしかった。そうしたらこんな無駄に気合いの入ったネグリジェなんて着なかったのに。もっと言うなら、こんなペラペラな生地なのにアホみたい高いものなんて準備しなかった。もったいない。


「おい、聞いているのか?」

「ええ。ちゃんと聞いております」

「俺が今何を言ったかちゃんと把握しているのか?」

「勿論でございます。わたくしのことを愛さない、そういうお話でございますよね? 承知いたしました」

「は?」

「貴方がわたくしを愛さないということでしたら、こちらも貴方を愛することは決してありませんので、ご安心くださいませ」

「あ、ああ……頼む」

「それで?」

「え?」

「貴方がわたくしを愛さないということはよくわかりました。それで貴方はどうなさるおつもりですか? まさか三食昼寝付きで何もしなくて良いなんておっしゃいませんよね? もしそうであるのなら、なぜ婚姻が必要だったのでしょうか? 現在お付き合いされている方がいらっしゃるのであれば、わたくしと結婚などせずそちらの方と変わらずお付き合いされていたらよろしいかと思いますが? お相手が平民であるとしても」


 結婚が全てではない。しかも目の前にいる男は、侯爵家の息子ではあるが嫡男ではない。スペアである次男ですらない。

 彼の父親である侯爵様はそっち方面では非常に元気なお方で、なんと十二人の子女がいる。そして彼はその十二番目だ。跡取り問題とはほぼ無縁だった。つまり、相手が貴族であろうが平民であろうがもはやどうでもいい問題なのだ。

 勿論、侯爵という名はどうしてもついて回るため、貴族の方が望ましいのが本音だろう。しかし十二人も子供がいると一人くらい平民の妻を娶ったところで大きな問題ではないそうだ。侯爵夫人が言っていたので間違いない。侯爵様は爵位を複数所持しているけれど、さすがに十二人の子供すべてに譲る爵位は持ち合わせいないのだ。


「平民を馬鹿にするつもりか?」

「いえ、そんなつもりは毛頭ありません。平民の妻でも問題ないと、お義母様がおっしゃっていました。それなのになぜわたくしと結婚したのか理由がわからないだけです。あいにく我が家にはさほどお金があるわけでもありません。ましてや歴史があるわけでもないです。一応伯爵家ではございますが、わたくしと結婚したところで得られるものは特にありません。かろうじて貴族のままでいられる、というだけです」

「そうだ。それでいい」

「なるほど。爵位の有無にはこだわっていないということですね」

「は?」

「そうでございましょ? 貴方は一代限りの爵位を得られるほどの功績をあげていませんし、世襲すべき爵位もないのですから」

「な、なにを言って……」

「もしかして、我が伯爵家の婿養子になれば貴方が伯爵になれるとお思いですか? もう一度学院に通い直して爵位制度を学ばれてはいかがですか?」

「……え?」

「まあ、もう結婚してしまいましたしどうにもなりませんけどね」


 意味があまりわかっていない彼はかなり困惑している様子だったが、私は気にせず夫婦の寝室を後にした。そして近くで待機していた執事にこう告げた。


「この部屋は彼の自室にして。でも必要なとき以外はなるべく部屋から出さないようにしてちょうだい」

「奥様、よろしいのですか?」

「彼が勘違いしているのは初顔合わせの時から分かっていたわ。それでもきちんと夫婦としてやっていければよかったのだけど」


 しかし彼にそのつもりは毛頭なく、婿養子という立場でありながら、愛人を囲う気満々だったのだ。「旦那様はアホでございますか?」という言葉が喉まで出かかったがなんとか呑み込み、努めて冷静に対処したつもりだ。あくまで自己評価ではあるけれど。


「彼はお飾りの夫で構わないわ。社交など必要なときには同行させて、それ以外は特に何もしなくていい。結局彼に三食昼寝付きの生活を与えてしまうのは少し癪だけど、余計なことをされるよりはマシでしょう。他所に子種を蒔かれても困るもの」

「侯爵夫妻は自分の息子のことをよくご理解していらっしゃるのですね」

「そうね。こんなに早く彼らの言うとおりになるなんてね」


 彼との婚約が決まったときから、彼の両親である侯爵夫妻より「あの子は一番末の子供だったということもあり、私たちも慣れからくる慢心で教育が少し雑になっていたこと、たくさんいる兄や姉たちのサポートが多かったこと、他にも色々と要因はあるのですが、とにかくひどく甘やかされて育ってしまったのです。自尊心も高く自分が一番偉いと思っている節があります。これは完全に我々のミスですが、十八年このままで来てしまったため、もう取り返しがつかないのです。ご令嬢には本当に迷惑をおかけしますが、どうが息子をよろしくお願いします」と言われていた。

 正直非常に迷惑な話である。端的に言えば、不良物件を押し付けられたのだ。

 確かに私は彼よりも七歳も年上であり、こちらこそ行き遅れた不良物件だとしても、これはない。とはいえ、ある意味ではちょうど良かった。

 ちなみに私が行き遅れているのは、単純に何のメリットもない伯爵家に婿入りしたいという男がいないことが大きな理由だった。

 私が生まれた頃、謎の感染症が流行しており、運の悪いことにそれは男児を中心に広まっていた。つまり、私と年齢的に釣り合いが取れそうな令息たちは流行り病で亡くなっていたり、ひどい後遺症が残っていたり、嫡男に不幸があり繰り上がって跡継ぎになっていたりするわけで……。

 なんていうか、ツイてない。

 まだ私が嫁に行く立場であれば良かった。婿を取る立場だから問題だったのだ。本当にツイてない。大事だから何度でも言うが、ツイていない。運がなさすぎた。


「どうせお飾りにするなら後遺症がある方がまだマシな気がしてきたわ」

「それだとお子をなせるかどうかわかりませんが?」

「彼が相手で子供を作るようなことができるかどうかも正直わからないけどね」

「……搾り取ってきましょうか?」


 執事の目は本気だった。

 なにを、とは言わなかったが、そういうことだろう。幸い、わが国の医学レベルは高くできることも多い。あえて言及はしないが、そういうことだ。やり様はある、という話だ。それであるなら健康な方が良い、というのが執事の考えなのだろう。


「健全な肉体を持つ彼には申し訳ないとは思うのよ、私だって。もう二十五だもの、私。お付き合いされている彼女は十六歳だと聞いているから、そりゃ若い方がいいでしょうね、男としては」


 しかしこれは家同士の取り決めだ。いくら成人しているとはいえ、どうにかなるようなものではない。


「もうこの件については考えたくもない。領地経営をしているほうがよほど楽だし、わかりやすいわ。私が結婚できなかった理由は相手がいなかっただけじゃないかもしれない。面倒だもの、恋愛って。そもそも向いてないのよ、きっと」

「我が領地はトラブルが多くて忙しすぎましたな。大旦那様の体調もよろしくありませんでしたしね」

「お母様が生きていればまた違ったんでしょうけどね。しかも私一人娘だし。結局面倒が一気にこっちに……」

「よく没落しませんでしたね」

「そうね。なんとか貴族の面目は保てているのは幸いね。非常に貧乏ではあるけれど」

「だん…いえ、あの男につけるメイドについてはどうされますか?」

「旦那様で合っているのだけどね」


 旦那様とは呼びたくないらしい。気持ちはわかる。でもあれが我が伯爵家の旦那様なのは紛れもない事実だ。悲しいことに。


「正直そこにお金はかけたくないのだけど、あの人侯爵令息だもの。きっと今まで何一つ自分でしたことないでしょうね。面倒だけど、引退した元メイド長を呼び戻しましょう。若いメイドだと丸め込まれそうだし」

「さすがに六十近いメイドに手は出さないでしょうしね」

「出した場合はその時考えましょう」

「そうしましょう」


 新婚生活に甘い夢など見ていなかったが、思った以上に面倒なことが多くて我々は考えることを放置した。もう結婚してしまったのだ。あとは前進あるのみ。


「さあ、これで私も立派な女伯爵ね」

「はい、奥様」

「行き遅れだとか、不嫁後家(いかずごけ)なんて言わせないわよ。見てなさい。成金もびっくりの成り上がりをしてみせるんだから!」

「ええ。そのためにあの男を立派な傀儡にしましょう!!」

「勿論よ! 愛なんかでお腹一杯にはならないのよ。そんなのは二の次なんだから」


 そのためにあんなクズを引き取ったのだ。押し付けられたとは言ったが、最終的には利害が一致したのだ。残念ながら本人とではなく、侯爵夫妻とだが。

 結局のところ、いろいろと理由をつけたが私が結婚できなかった理由はこの野心のせいな気もする。


「さて、あの夫の教育もしなければならないわね。傀儡にするだけなら馬鹿でもいいけれど、一応連れ回す予定だしね。見目だけは良いのだもの。使わない手はないわ」

「ここは大旦那様に協力を要請してはいかがでしょうか? 大奥様を亡くされて気弱にはなられましたが、立派な教育者でしたし、なにより生きがいは必要でしょう」

「そうね。それでお父様が元気になれば一石二鳥……いや、三鳥くらいにはなりそうだわ。貴方もなかなかやるわね」

「奥様ほどでは……」


 フフフ…と二人で笑い合いながら、私たちは今後の計画を立てるのだった。




end.(2023.7.14)

野心家のお嬢様(奥様)と執事(奥様と同世代の商家の息子)が色々と手広くやってのし上がっていくかもしれない。

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