ローレンシア王国
第1章 ローレンシア王国
イースタル大陸の伝承
遥か昔、大陸がまだ5つに分かれていた頃、大きな戦争が起こり、地球上の生命は殆どが死に絶えた。わずかに残った人類は、5人の賢者に世界の再建、人類の再生を託した。5人の賢者は5つの大陸に分かれ、それぞれ、戦争により変化してしまった厳しい環境でも生きていける種族を創造した。
一つは厳しい環境でも生きていけるように高い耐性を備えた新たな人族
一つは少ない食料でも生きていける既存人類の半分の大きさのホビット族
一つは野生動物の力と人間の知能を合わせ持った獣人族
一つは病気や老いに対する耐性を高め、人類を超えた知能を持つエルフ族
一つは頑強な体と技術力を合わせ持ったドワーフ族
さらに賢者達は、厳しい環境で生き残る為に、この世界の至る所、大地、空、海へマナを放ち、そのマナを扱うことによって生み出される魔法をこの世界に創造した。そして、それぞれの種族にマナを扱う力を与えた。人族には火を、ホビット族には風を、獣人族には体を強化する力を、エルフには水を、ドワーフには土を。
その後、賢者達はこの新しい世界と平和に繋がる鍵を5つの種族に託し、希望の言葉を残し、別な世界へと旅立って行った。
いつの日か5つの種族が手を取り合い、世界全体が繫栄した時、その5つの鍵を使い、究極の扉を開け、世界に平和をもたらすようにと。
賢者達が旅立った後、マナの力によって5つの大陸は結合され、1つの巨大な大陸となった。
ローレンシア
巨大大陸イースタルの最も南に位置する国「ローレンシア」は君主制国家である。気候は通年概ね穏やかで、四季はあるが、夏はそれほど気温も上がらず、冬も厳しい寒さはなく、過ごしやすい。その為、イースタルにある5つの国の中で最も人口が多く3億人の国民を抱えている。その人口の約97%が人族で占められており、人族が中心の国家である。中央部では穏やかな気候を利用し、農耕や畜産が盛んであり、沿岸部では漁業も盛んだ。その為、国内の食糧自給率は四季を通して安定しており、治安も良い。
ローレンシアの王都ケノーランドは、国の中心に位置し、高さ10mの城壁に囲まれた巨大な要塞都市である。城壁は円形の三層構造になっており、一番外側の城壁は直径5kmにもおよび、外側から中心に向かって、平民街、貴族街、王宮と区分されている。この要塞都市には百万人以上の人々が暮らしている。
そんな恵まれた地を治めるのは、王家であるリリエンタール家だ。リリエンタールに生まれた者は、マナの扱いに優れ、人族が誰しも扱える火属性以外に、水、土、風を含めた4つの属性全てを扱うことが出来る。その力を使い、国を発展させ守ってきた。リリエンタール家は国民から多くの尊敬と支持を集め、そして、その期待にも応えてきた。
現在の王は北方の隣国バルティカからの侵攻を幾度も先頭に立ち防ぎ、英雄王と呼ばれている。その王には3人の息子と一人の娘がいる。長男のルクラン、次男のウィルバー、三男のオーヴィル、そして末子で長女のキャサリンだ。4人ともリリエンタール家の特徴である4属性のマナの扱いに優れ、その力は4人とも英雄王に匹敵するのではないかと言われている。今、ローレンシアはその数千年の歴史の中で最も発展し、英雄王の子供達の世代までは盤石だと言われていた。
オーヴィル・リリエンタール
僕は幼い頃に母を亡くしたせいか、父親っこだった。父上は公務で忙しい中、甘える僕を十分すぎるほど甘やかしてくれた。ルクラン兄様やウィルバー兄様も優しくはしてくれたが、父上の溺愛ぶりにはかなわなかった。
9つ年上の長兄、ルクラン兄様は聡明で思慮深い。父上の跡を継いで、立派な王になる事だろう。父上も常日頃から、ルクランがいてくれれば、この国は安泰だと、口癖の様に子供達の前で話しをしていた。そんな話しを聞かされる度、ルクラン兄様はニコニコ微笑んでいるだけだった。
その横で4つ年上の次兄、ウィルバー兄様はいつも安心した顔を見せていた。剣を始め、様々な武器の扱いに長け、武術に秀でたウィルバー兄様は王位には興味がなく、国はルクラン兄様に任せ、大陸中を武者修行で回り、いずれはこの国の軍事のトップになりたいと、いつも好き勝手に自由なことを言っていた。長兄とは違い直情的ではあるが、僕にはとても優しく頼りになる兄だ。
そんな自由なウィルバー兄様の為に、ルクラン兄様はいつも我慢している。本当は王国の事など打っちゃって、自由になりたい、自分も気ままに旅に出たい、そんな風に考えているのではないかと思える瞬間はある。そして、ウィルバー兄様は、そんな優しい兄に後ろめたさを感じながら生きているように見える瞬間もある。
僕はと言えば、ルクラン兄様の様に頭が良いわけでもなく、ウィルバー兄様の様に武術が得意なわけでもない。2人の兄よりはマナの扱い方、魔法は上手いが、それも1つ年下の妹のキャサリンには敵わない。十数代に渡り、リリエンタール家の魔法師範として契約をしているエルフ族のデュモン先生曰く、キャサリンはローレンシア始まって以来の天才だそうだ。デュモン先生にそこまで言わせるキャサリンの才能は羨ましいが、そんな非凡な才能は国の為に使わなければならず、自由を失うことと同じだとも思う。
そんなキャサリンはいつも明るく、屈託のない笑顔で兄の僕を勇気づけてくれる存在だ。自分の才能を特別だと思わず、決して驕らず、毎日魔法の修練を欠かさない。そして国の為、国民の為にその力を使おうとしている。僕とは違い過ぎて、いつも頭が上がらない。
何の特徴もない僕だが、優秀で優しい家族に囲まれ幸せな日々を過ごしている。そんな僕にも夢はある。いつか、イースタル大陸の伝承にある、それぞれの種族に託された鍵を集め、究極の扉を開けるのだ。兄妹も、お付きの者達も皆、そんな鍵なんてない、ただのおとぎ話だと笑う。でも鍵はある。
人族に託された鍵はこのケノーランドの王宮に存在していた、それを僕が見つけたのだ。人族に託された鍵があったのだ、当然他の種族に託された鍵も、究極の扉も存在し、その扉の先には、世界平和を実現出来る何かがあるはずだ、それを見つけるのだ。
鍵を探す旅に出るのは16歳の成人の儀を待たねばならない。成人の儀まで後2年、それまでに王宮に眠る文献を漁り、鍵に繋がる手がかりを可能な限り見つけ出す。魔法も、武術も腕を磨き、冒険の準備をするのだ。
アメリア・スタールズ
アメリアは侯爵家の息女で、僕の同い年の幼馴染だ。彼女は僕と同じで、特別な才能はない。いずれリリエンタール家に嫁ぐ身であり、一通りの教育を受けてはいるが、スタールズ家から特に何かを期待されている訳でもなく、比較的自由な身だ。その為か、リリエンタール家で自由な身である僕と過ごしていることが多い。
アメリアには特別な才能が無いと言ったが、容姿は特別だ。体は強くなく、病気がちのせいか、いつも青白い顔をしている。赤く長い髪とエメラルド色の瞳と相まって、この世の者とは思えない美しさを見せる瞬間がある。要するにとても美人だ。
僕はリリエンタール家の特徴である、金色の髪と青い瞳を持ってはいるが、ルクラン兄様の様に知的な顔も、ウィルバー兄様のような精悍な顔でもない。どちらかと言うと田舎臭い顔だ。妹のキャサリンには優しい顔ですわ、とは言われるが、特徴もない容姿に無難な言い方をする場合、優しいと表現することぐらい、世間知らずな僕でも知っている。容姿においても僕は普通だ。
そんな至って普通な僕のもとに、アメリアは良く訪ねて来てくれる。誰も相手にしてくれない、イースタル大陸の伝承についても、話しを聞いてくれる。そして、伝承の通り世界を平和にし、争いのない世界を実現したいと言ってくれる。アメリアは僕のかけがえのない癒しだ。
究極の扉を開ける鍵を王宮の書庫で見つけた時もアメリアは一緒だった。書庫は王宮の地下にあり、いつも薄暗く、気味悪い気配を漂わせていた。10m四方から成る部屋の壁には、数万冊にも及ぶ本が本棚に並べられている。その本の中には、数千年にもわたるローレンシアの歴史やイースタル大陸の歴史が綴られている貴重な文献もある。
いつもの様に王宮の書庫へ行き、賢者や伝承について調べているとアメリアがやってきた。
「オーヴィル、いるかしら。」
アメリアは書庫の扉を開けながら声を掛けた。
「ここだよ、アメリア。」
書庫の奥にある机に向かい、本から顔も上げず、その声に応える。アメリアは声の方向から僕を見つけ、黙って隣に座った。しばらくするとアメリアが話し掛けてきた。
「何か面白い物、見つかったかしら。」
本から顔を上げ、アメリアの方に顔を向け応える。
「いいや、なーんにも、今日は収穫なしだね。」
アメリアも僕に合わせて暗い声で、残念ね、と言った。アメリアをこんな薄暗く、かび臭い気味の悪い所に留めておくのは良くない。気分を変え、出来るだけ明るい声でアメリアに話し掛ける。
「さて、アメリア、今日の調べ物はこれで終わりだよ。体を冷やしてもいけない、日のあたる外に出よう。」
そう告げると、席を立ち、本を本棚に戻した。促すようにアメリアの手を取り扉に向かって歩き出す。アメリアはうつむいたまま従ったが、歩みを止め静かに言った。
「わたくし、オーヴィルの邪魔をしてしまったようで。」
「いや、全くそんなことはないよ、丁度終わって僕も外に行こうと思っていた所なんだ。」
「本当ですの?」
アメリアはうつむいたまま、消え入るようなか細い声で言った。
確かに調べたい事は終わっていなかったが、僕にとってはアメリアと過ごす時間の方が大事だ。ただ、その気持ちを素直に言うのも何だか恥ずかしく、アメリアに罪悪感を持たせぬよう出来るだけ明るく声で言った。
「じゃあ、もう少しだけ調べものに付き合ってくれるかな、アメリアにも手伝ってもらえるとうれしいよ」
それを聞いたアメリアはやっと顔を上げ、笑顔になった。その笑顔はとても美しいものだった。アメリアに本を持ってきてもらえるようにお願いをした。自分でも別の資料を取りにアメリアとは別の本棚に向かう。
資料を見つけ席に戻ったが、アメリアは戻っていなかった。そんなに時間がかかることをお願いしていなかったので、少し不安になりながら、アメリアを探した。
アメリアは一つの本棚の前で不思議そうな顔で立っていた。近寄り声を掛ける。
「どうしたんだい、アメリア、不思議そうな顔をして。」
「オーヴィル、何だかこの本棚はおかしいのです。」
アメリアが見つめる本棚を見るが、特に変わった様子はない、いつもの通りだ。
「僕には何も変わったところは見えないけど、どこがおかしいのかな。」
本棚を見つめているアメリアの横顔に話しかけた。それでもアメリアはこちらを見ず、首を傾げたりしながら、本棚を見つめ続けている。しばらくすると、アメリアがどう伝えて良いのか分からず、戸惑う様子で言った。
「この本棚だけ、周りの本棚と違い、動いている様に見えるのです。実際に動いてはいませんが、手前に迫ってくると言うか、なんと言うか、、」
アメリアには不思議な力がある。アメリア自身もその力をうまく理解出来ていない様で、曖昧なものだが、その場に留まるマナの記憶を見ることがある。さらに不思議なのは、過去の記憶だけでなく、“未来の記憶”も見えるのだ。未来、出来事が起こる前のことを記憶と言うのもおかしいが、アメリアの理解の上では、“未来の記憶”の表現が正しいらしい。
マナに意思はないので、その場にいた人物の強い思念をマナが記憶し、留めているのだろう。その上で、アメリアの先ほどの表現を考えると、今、目の前にある本棚は、強い想い、意思を持った何者かに動かされたことがある、もしくは、これから動かされると推測される。
本棚を見続けるアメリアの肩に手をかけ、優しく語り掛けた。
「わかったよ、アメリア。君が見えているものはマナの記憶だろう。であれば、誰かが何らかの目的を持って、本棚を動かしたことがあるのだと思う。だったら確かめよう、この本棚に隠されたものを。」
アメリアはやっとこちらを向き、不安そうな顔をしながら、か細い声で言った。
「私が見えているものを信じてくれるのはオーヴィルだけです、お父様もお母様も気のせいだと言うだけで、真面目に取り合ってもくれません。ですから、今見えていたことも、本当に私の気のせいかもしれません。」
そういうとアメリアは俯いてしまった。そんなアメリアを励ますように、優しい口調で続けた。
「アメリア、僕は君のことを信じているし、君が嘘を言わないことも知っている。だから確かめたいんだ、この本棚に何があるのかを。手伝ってくれるね。何も見つからなかったとしたら、それはまだ起こっていない、未来の出来事なんだと思うよ。」
アメリアは少し笑顔を見せ、わかりましたと言った。
早速本棚にある本を取り出し、移動の邪魔にならない様に床に積み上げていく。本は数百冊あるが、取り出す分には手間がかからない。順番通りに戻すことを考えると多少気が滅入るが、本棚に隠された謎を解き明かすことを思うと苦にはならなかった。
本を全て取り出し、いよいよ本棚を動かす。本が無いとはいえ、相当の重量だ。マナを使い身体強化を行った上で、慎重に本棚を手前に引く。身体強化により本来の力の3倍は出ていると思うが、それでも本棚を手前に動かすのは一苦労だった。
やがて本棚は取り除かれ、本棚があった場所の石壁が露わになった。アメリアは特に変わった様子のない石壁を呆然と見つめ、少し震えた声で言った。
「オーヴィル、ごめんなさい。私の気のせいだったようです。あぁ、本当にごめんなさい。」
「アメリア、まだ何もないと決まった訳じゃない、石壁を調べよう。」
慌てて、アメリアの謝罪の言葉を遮りながら言った。そして石壁をナイフの柄で一つずつ丁寧に叩きながら、何か仕掛けがないか探る。すると、一つの石だけ音が変わった。石と石の間にナイフを入れ、音の変った石を取り出す。あっさりと石は外れ、奥に何かがあるのが見える。しかし、燭台で照らしても奥まで光が届かない。
心配そうな顔でこちらを見ているアメリアに大丈夫だと繰り返し伝え、恐る恐る奥に手を入れる。指先に何かが触れたと思った瞬間、目の前の石壁が消滅し、人が一人通れるくらいの通路が出来上がった。アメリアには留まる様に伝え、燭台を持って通路に入る。通路は短く、3mも進むと2m四方ほどの小さな空間に出た。
その空間の中央には、表面が滑らかな灰色をした石で造られた台座があり、台座の上には何かの金属で造られた、一辺が5cmほどのプレートが置かれていた。プレートにも台座にも文字や図形など、手がかりになるような物は何も刻まれておらず、何かの目的で隠されたプレートであること以外、それが何を意味するものか分からなかった。
しばらく考えた後、意を決してプレートを手に取った。するとプレートから記録されていた膨大な情報が脳内に直接送り込まれてきた。それは、イースタル大陸の伝承にある太古の歴史、5人の賢者の新たな人類創造の記録、そしてこのプレートこそが究極の扉を開ける為の鍵の一つであることが理解できた。プレートを手に取った瞬間から1秒も経ってはいないのだろうが、脳内に送られた膨大な情報は脳を強力に圧迫し、数十年の月日が流れたような錯覚を起こさせるとともに、僕にとって何か大事なものを奪っていった様だった。すると、急に体に力が入らなくなり、膝から崩れ落ち、床に倒れてしまった。何とか意識を保とうと試みるが、無理だった。
次に意識が覚醒した時に最初に見たものは、アメリアが涙を浮かべ心配そうにのぞき込んでいる顔だった。アメリアは僕が倒れた音を聞き、慌てて駆けつけてくれたらしい。倒れてからは5分も経っていないようだ。無駄にアメリアに心配をかけてしまった。アメリアの手を借りて起き上がり、満面の笑みでアメリアに言った。
「アメリア、君のおかげで僕はとうとう見つけたよ、伝承にある究極の扉の鍵を」
小部屋を出て、本棚と本を元通り丁寧に片付けた。アメリアには鍵を見つけたことと、賢者達の記録が頭に入ってきたことを簡単に伝えた。詳しく説明するには膨大すぎる量だし、細かいことをアメリアに伝える必要もないと思った。
見つけたプレートをアメリアに見せてあげたかったのだが、残念ながら、鍵であるプレートは目に見えなくなってしまった。自分の体の中にプレートの存在を感じることが出来るので、無くなってしまった訳ではない。扉を開ける時には、また出現するのだろう。
鍵を見つけたことは二人だけの秘密だとアメリアに伝えた。約束通り、アメリアは誰にも話すことはないだろう。
デュモン先生の魔法講義
デュモン先生の年齢は不明だ。リリエンタール家とは十代前の国王からで、短くとも400年程度の付き合いらしい。本人の口ぶりから推測すると1000年近くは生きていると思われる。その癖、エルフ族の特性なのか、見た目は40代の中年のおじさんにしか見えない。その生涯のほとんどを魔法の研究に注ぎ、4属性魔法とデュモン先生オリジナルの魔法を使う。そんな先生は世間で魔王デュモンと呼ばれているらしい。
魔王と呼ばれているデュモン先生は、その名に似つかわしくなくとても穏やかな紳士だ。いや、ひょっとしたら悪魔的な心の持ち主なのかもしれないが、少なくとも僕にとってはとても良い、魔法の師だ。魔法の実技もそうだが、理論についても自分の研究成果を惜しみなく、僕たち兄妹に教えてくれていた。そんな先生のおかげで、僕は魔法が好きになり、デュモン先生にも負けない、新しい魔法をつくることを夢見、日々考えたりしていた。
デュモン先生の授業はとても丁寧で、いつも穏やかな声で質問されることから始まった。
「オーヴィル、今日は基礎の基礎についておさらいします。では質問です、まず火属性魔法についてですが、燃焼に必要な要素はなんですか。」
「はい、先生。燃焼には、可燃物と着火源、それと酸素の3つの要素が必要です」
「その通りです、オーヴィル。では目の前に可燃物、乾燥した木材があります、これに魔法で火を着けてください。」
「わかりました先生。」
そう言って僕はマナを使って空気を圧縮し、発生させた熱で木材に点火した。
「良くできましたオーヴィル、今あなたは人族が誰でも本能的に扱い方を知っている、空気を圧縮するという方法で熱を発生させ、着火させました。ただ、これは着火源としては弱く、燃えやすい乾燥した木材など、低い温度で着火するものにしか使えません。では、他の方法でもう一度火をつけてください。これには正確な答えはありません、発想力を期待します。」
デュモン先生は火のついている木材を取り除き、新しい木材を僕の前に置いた。僕は少し考えた後、マナで大気中から水分を取り出し、水で集光レンズを形作り、太陽光を収束させ、その熱を使って火を着けることに成功した。しかし火が付くまでに10分以上の時間を要してしまった。
「他の属性の魔法を使うなど、なかなか面白い答えでしたよ、オーヴィル。しかし、着火に時間がかかりましたね。それとこの方法では大気中に水分が多く含まれていること、それに、太陽が出ている日中にしか使えない限定条件がありますね。」
デュモン先生に指摘された点はその通りで、少し恥ずかしくなり、顔が赤くなった。そんな僕の恥ずかしさなど、興味が無いように先生は話しを続けていく。
「他に着火する方法としては、物質と物質をこすり合わせ、摩擦熱を起こす方法や、火打石を使って火花を起こしたり、絶縁体を使って放電現象を起こしたりすることで、熱を発生させるものなどがあります。これらの方法は魔法以外にも道具が必要となります。
道具を使わない方法としては、マナを使い、自然界にある発火しやすいものを集める方法などもあります。硫化鉄などは酸素に触れれば発火しますし、黄燐も約44℃で発火します。地中の鉱物から目的の成分を見つけ、取り出し、酸素に触れない様、窒素の膜で覆い、発火させたい場所で窒素の膜を取り除けば、発火します。
ただ、硫化鉄や黄燐はどこにでもある訳ではありませんし、マナを使うとはいえ、採取に時間がかかります。つまり、着火源としては、空気を圧縮する方法が一番簡単なのです」
デュモン先生はそう話すと、どの着火方法も実演して見せてくれた。先生の講義は続く。
「今見せたように、生活において魔法による着火はとても便利なものです。ですが、到達温度が低い、着火するまでに時間がかかるなど、戦闘においての火属性魔法はとても使い勝手が悪いのが常識です。大体戦闘の相手が可燃物を身に着けていませんので、燃やすことは簡単に出来ません。
そこで、火属性魔法を戦闘で使用する場合には、着火源の他に、可燃物も用意しなければなりません。この可燃物は地中にある可燃性ガス、メタンやプロパンを使うのが便利です。とは言え、先ほどの鉱物中の硫化鉄や黄燐と同じく、採取には時間がかかります。ですので、戦闘が始まる前に、マナを使い、地中からガスを採取しておき、自分の近くに窒素で覆ったガスの塊、ブロックを複数用意します。そして、戦闘が始まれば、風属性の魔法を使い、空気の流れを起こし、敵に向かってブロックを飛ばします。そして、空気圧縮によって着火、爆発させます。」
そう言うとデュモン先生は上を見上げ、指を鳴らし、上空で爆発を起こして見せた。
「ブロックは大きくすればするほど威力は上がりますが、爆発に自分が巻き込まれる可能性もありますので、自分の使い勝手が良いサイズを探すこと、戦闘前にブロックを用意することを忘れないようにするのが良いでしょう。
但し、相手にブロックの所在を把握されると厄介です。火矢を打たれたり、魔法で着火されたりしては、こちらに被害が及んでしまいますからね。
どうですかオーヴィル、忘れていませんでしたか。」
デュモン先生は笑いながら僕の反応を見ている。しかし先生の話しは面白い、今聞いた基礎のおさらいの話しだけでも、新しい魔法のアイデアが浮かんできそうだ。嬉しそうな顔で先生を見返すと、先生もとても喜んでいるようだった。すると先生は思い出したように話し出した。
「そうそう、オーヴィルにも、たまには先生の実力を見てもらいましょう。ここに騎士団の鎧でも採用されている高い強度をもった鋼があります。この鋼を、空気を圧縮して発生する熱によって溶かして見せましょう。さぁ、良く見ていてくださいね。」
デュモン先生はそう言うとマナの制御に集中するかの様に目を閉じた、その直後、鋼の中心の付近の表面が高温で赤くなり、みるみるうち直径3cmほどの穴が開いた。僕はただただ驚いていたが、気が付くと先生は得意げな顔でこちらを見ていた。そして自慢げに解説を始めた。
「オーヴィルがやってみせたくれた通り、空気を圧縮して得られる熱は通常100℃程度です。しかし、マナをより繊細に制御し、圧縮する空気の体積を小さくすることで、私がやった様に2000℃位には温度を上げることが可能です。ま、こんな芸当が出来るのは世界でも私ぐらいですが。」
僕はただただ感心するしかなかった。そして、デュモン先生が世間で魔王と呼ばれていることが、少し分かった気がした。先生は続けて風属性の説明に入った。
「オーヴィル、風属性の魔法とはどんな種類や効果がありますか。」
「はい、先生。風属性魔法とは、マナを使って大気を操り、任意の気流を作ります。火をより大きくするために、酸素を気流に乗せ送ったり、弓矢で放った矢の軌道を変えたり、矢の射程距離を延ばしたり、また、火属性で述べた可燃性ガスのブロックを敵陣へ運んだりすることが可能です。」
「よく覚えていますね、オーヴィル、その通りです。つまり風属性の魔法は、何かの補助的な使い方を良くされています。しかし、それだけではなく、竜巻や突風を発生させ、直接的に敵を攻撃することも可能です。
しかし、大規模な竜巻や突風を作るためには、複数人の術者と時間がかかります。現実的ではありませんが、敵に気付かれず、戦略級の竜巻を発生させることが出来れば、一つの都市を壊滅させることも可能でしょう。」
説明しながらデュモン先生は小さなつむじ風を作って、自分の羽ペンを器用に空中に浮かび上がらせていた。気流のコントロールはとても難しい、僕にはあまり才能が無いようだ、とても先生の様に細かいコントロールは出来そうにない。浮かんだ先生の羽ペンを食い入るように見つめていると、先生が続けて話しをしてくれた。
「余談になりますが、ホビット族の中には風魔法を使って、自ら放った矢を自在に操る者もいる様です。森の中で障害物になる木をいくつも避けて敵に命中させたり、敵に背中を向けているのに、矢を敵に命中させたり、そんな曲芸が出来る者もいると聞いたことがあります。
そんな達人の矢からは逃れる術はありません。出会ってしまったら、矢を受けない様に、全力で身体強化を使って体を硬化させてください。」
そう言って先生は大きな声で笑った。その笑いはそんな達人はこの世にいないと確信しているからの笑いなのだろうか。ただ、世界は広い、そんな達人も世界のどこかにはいるのかもしれない。デュモン先生は笑い終わると、続けて水属性の説明に入った。
「オーヴィル、水属性の魔法とはどんな種類や効果がありますか。」
「はい、先生。水属性魔法とは、マナを使って大気中や地中から水分を取り出し、不純物を取り除き、飲料用や、消毒用として使用します。」
「そうですね、オーヴィル。マナを使ってフィルターを作り、大気中から水分を取り出し、また不純物を除去するフィルターで清浄な水を取り出します。
生物にとって水は必要不可欠です、世界には様々な環境があります。乾燥した地域、砂漠などでは水はとても貴重です。少ないながらも大気中や地中から水を取り出し、飲料用とすることが出来れば、乾燥した過酷な環境でも命を繋ぐことが出来ます。
また、何らかの原因で怪我をした場合、傷口から細菌が侵入し破傷風などの病気を引き起こすこともあります。怪我をした場合も迅速に傷口を清浄な水で洗う必要があります。ですから冒険の旅や戦闘の遠征など、水の確保が保証されない場合には、必ず水の準備を怠らない様にしてください。そして、時間があれば、魔法で清浄な水を作り保存することを心がけてください。」
水の重要性は十分に理解しているつもりだ、4属性の中で最も重要な役割を担っていると言ってもいい。ただ、戦闘には向いていない、直接相手を攻撃することが出来ないからだ。
そんなことを考えていると、デュモン先生がまたしても笑いながら問いかけてきた。
「オーヴィル、今、水属性魔法は戦闘に向いていないと思いましたね。そうなんです、向いていないんです。でも、こんな使い方も出来るのですよ。」
そういうとデュモン先生は、あっという間に大気から少量の水を取り出し、それで僕の鼻と口を覆った。突然呼吸が出来なくなり僕はパニックになって手足をばたつかせた。すぐに呼吸が出来るようになったが、少量の水が気管に入り、激しく咳き込んでしまった。それを見ていた先生は笑いながら、謝ってきた。
「オーヴィル、すまなかった、びっくりさせてしまったね。水属性魔法でも使い方によっては、敵を攻撃できることを教えたかったんだが、少しやり過ぎたね。」
僕は大丈夫ですと伝え、デュモン先生に講義を続けてもらう様にお願いをした。
「オーヴィル、君が苦しんだ様に、人を溺れさせるには、ほんの少しの水があれば十分なんです。ただ、この攻撃方法は相手が身構えている場合効きにくい、だから隠密行動時、気を抜いている相手、例えば見張り役に対して音を立てずに倒す時などに有効な手段です。
エルフ族の中には、この技を使い、暗殺者として活動している者もいると聞きます。この技以外にも、少量の水の中に毒物を混ぜたものを、暗殺対象者が気付かない内に飲み物に入れたりするようですよ。」
怖いですね、と笑いながらデュモン先生は言った。そして次に土属性の説明に入った。
「オーヴィル、土属性の魔法とはどんな種類や効果がありますか。」
「はい、先生。土属性魔法とは、マナを使って地中から火属性魔法で使用する硫化鉄や可燃性ガスを集めたり、土を堅く固め城壁としたり、ゴーレムを造り戦闘に使用したり出来ます。」
「その通りです、オーヴィル。マナを使って地中にある物質を堅く結びつけ、構造物を製作することが出来ます。城壁やゴーレムだけではなく、土属性魔法は雨風をしのげる簡単な住居を造ることも可能です。但し、時間はかかります、城壁やゴーレムとなれば数週間、規模にもよりますが、場合によっては数カ月かかる場合もあるでしょう。
ちなみに私の自慢のゴーレム、特殊合金製でこの世にあれを破壊出来る者は存在しません。製作期間はなんと10年です。」
それならば見たことがある、大体3m位の大きさで、とても堅く攻撃は受け付けない、遠投投石機で攻撃されても傷一つつかない。守るという点においては優れているが、ただ動きがとにかく遅い。自慢げに話す先生には悪いが、多分、敵に落とし穴や堀を用意されたら、戦闘用としては全く使い物にならない。そんな僕の考えを見透かしたかの様にデュモン先生は話しを続けた。
「オーヴィル、今、心の中で私のゴーレムを馬鹿にしましたね。確かに君が考えるようにゴーレムを使って戦闘を仕掛けることは出来ません。しかし、大事なもの、街や人々の命を守るためには有効です。いつか君が守るべき人々が出来た時には、時間をかけゴーレムを造ることをお勧めしますよ。」
そう言ってデュモン先生は少し考えるような表情で数秒黙った。そして、いつもとは違うひそひそ話しの口調で話しを続けた。
「これは噂で聞いたのですが、ドワーフの中には死んだ優秀な戦士の体を使って、ゴーレムを造る者がいるそうです。そのゴーレムは死人の戦士ですから、恐怖もなく捨て身で襲ってくるそうです。さらに信じがたいことですが、生前の戦闘スキルを使い、ある程度はゴーレム自身が状況を判断して闘うようですよ、怖いですよね。」
デュモン先生は話しの後半から笑みを浮かべており、死人が人を襲うことの恐怖で、僕を怖がらせて楽しみたいらしい。それは置いといて、本当にそんなことが可能なのだろうか、とても疑問だ、率直に聞いてみる。
「デュモン先生、本当に死人を使った自動戦闘人形は造れるのでしょうか。」
「可能ですよ、オーヴィル。私にも出来ますから。ただ倫理と宗教観の問題ですね、死者の肉体をそのように扱って良いものかどうか。
効率の面で考えれば素晴らしい発想だと思います。土や鉱石からゴーレムを造るのではなく、出来上がった者を使うのですから、ごく短い間で、しかも優秀な戦士を手駒にすることが出来ます。但し、これを土属性魔法に分類するのが良いのか分かりませんけどね。」
想像と違いあっさりとした回答であった為、少し拍子抜けした。そんな僕の様子を見ながら、デュモン先生はさらに話しを続けた。
「オーヴィル、おさらいの最後です、身体強化魔法について説明してください。」
「はい、先生。身体強化魔法とは、マナを使い、自らの筋肉や骨格を強化し、運動能力を飛躍的に高めることが出来ます。」
「そうですね、オーヴィル。一般的には自分本来の運動能力の3倍程度を強化することが可能です。ですから、もともと10の運動能力を持った者が身体強化魔法を使用した場合、運動能力は30になります。
身体強化魔法が得意な獣人族の場合、もともとの運動能力が高く、仮に運動能力を30とした場合、30×3で身体強化後の数値は90になります。ですから身体強化魔法を使った獣人族に運動能力で勝るのは困難であると言えます。」
「困難ということは、勝る方法があると言うことでしょうか。」
「ありますよ、単純な話です。掛け算なのですから、身体強化魔法で運動能力を10倍にすれば良いんです。10×10で100になりました。先程の90を10も上回りました。実際私も10倍は可能です、ただ、体に負担が大きいので、やりたくはありませんが。」
10倍に強化した場合、体全体、臓器や血管、細胞の一つ一つに負荷がかかると考えられる。とてもではないが、出来そうにない。僕の考え込んだ様子を見ながら先生は説明を続けた。
「オーヴィルが心配するように身体能力10倍は危険がありますね。でも考えてみてください、仮に臓器や血管が傷ついたらマナで修復すれば良いんです。リリエンタール家に生まれた者は、誕生した時からその術を身に着けているはずですよ。」
確かにデュモン先生の言う通り、リリエンタール家に生まれた者は怪我も病気も自らの意思で治すことが出来る。ただ、それも限界はある。組織の修復に必要な要素は体内にあるものを使わなければならないからだ。材料となるアミノ酸やミネラル、エネルギーとする為の糖、これらが体内で尽きてしまえば修復は出来ない。補給のためには経口摂取、食事を取る必要がある。そんな簡単ではないのだ、戦闘中に対応はまず出来ない。
変わらず考え込む様子の僕を見て、先生は笑いながら言った。
「オーヴィルにも出来ますよ、要は我慢すれば良いんです。痛くても苦しくても、戦闘が終わるまでは死なないように、最低限の応急処置を繰り返せば良いんです。ま、気合と根性ですね、その気持ちが相手より上回れば、きっと勝てるはずですよ。」
何だか最後は適当に精神論で終わらされてしまった。デュモン先生は僕の納得いかない様子を察してか、今度は獣人族の噂話を教えてくれた。
「獣人族の中には、戦闘中傷ついた体を治しながら戦う戦士がいるそうですよ。それも、切り落とされた四肢を接合したり、胴に開けられた穴を修復したりしながら。正に不死身の戦士ですよね。但し、戦闘が終わった頃には体の大きさが半分程度になるそうです。この手の輩は面倒なので相手にしたくないですね。」
そう言ってデュモン先生は大きく笑った。当然先生は体を治す魔法も使える。病気も怪我も恐れる必要もなく、その上エルフ族、故に長寿だ。いや、ひょっとしたら不老不死の存在、正に魔王なのかもしれない。その疑問を先生にぶつけてみた。
「デュモン先生は不老不死の存在なのでしょうか、魔王なのでしょうか。」
すると先生はとても可笑しそうに僕を見つめ、そして言った。
「オーヴィル、君は本当に素直で良い子ですね。君の疑問は最もだと思います。ただ残念なことに私は不老不死ではありません。歳も取りますし、死ぬこともあります。ただ、それが人と比べて起き難いことには間違いありません。
私は、通常のエルフ族の100分の1のスピードで歳をとります。ですから君が考えるよりも遥か昔から生きていて、君が寿命で死んだ後も途方もない長さの時を生きるでしょう。
不死と言う点で説明するならば、肉体のほとんどを失っても、時間さえあれば再生が可能です。臓器も記憶もバックアップを用意してありますから。ただ、脳が70%の損傷を受けた場合、再生が出来ないかもしれません。
ですから、魔王とはこの世の者ではない力を持っているもの敬称であるならば、間違いなく魔王なのでしょう。」
デュモン先生はやはり恐ろしい、とても優しく良い先生だが、恐ろしい。そんな僕の感情を見越したかのように先生は優しい声で話しを続けた。
「私のことが恐ろしいですね、オーヴィル。そのあなたの反応が普通です。私は恐れられる者なのです。
さて、余談が過ぎました。魔法の基礎について説明しましたが、まとめに入りたいと思います。属性魔法、身体強化魔法を説明しましたが、説明の通り、便宜上属性に分け、呼び名を変えているに過ぎません。魔法とはマナを使う科学です。自然現象や体内現象を理解し、その現象をマナの力を使い再現することです。
あなたの妹君、キャサリンはマナのコントロールにおいて、その正確性、精密性、スピードどれをとっても私をも凌駕します。正に天才中の天才です。残念ながら、オーヴィル、君にはその才はありません。しかし君にはキャサリンにはない発想力があります。便宜上分けている属性など忘れてください、これからも修練を積み、そして新たな発想で新しい魔法を生み出してください。」
デュモン先生は今日の授業は終わりです、そう告げ退出していった。
成人の儀
王宮の書庫でアメリアと鍵を見つけてから2年が過ぎた。16歳となり、いよいよ成人の儀まで3日と迫った。儀式が終われば、他の種族の鍵を見つけに他国へ行ける許可が得られる。この2年、魔法と武術の鍛錬を欠かさず、腕を磨いた。自分で言うのも何だが、この大陸で1対1の戦闘において僕に勝てる者は5人もいないと思う。そのぐらいの自信は出来た。後は難問を一つ片づけ、儀式を滞りなくこなし、冒険の準備と傭兵を雇い出発するだけだ。
スタールズ侯爵家へ向かう。侯爵にはアポイントを取ってあるが、緊張のあまり1時間も前に着いてしまった。門前でうろうろしていると、慌てて屋敷の中に通された。通された応接で落ち着きなく部屋の中を行ったり来たり歩いて侯爵を待っていると、ほどなく侯爵が入ってきた。
「ようこそおいで下さいました、オーヴィル王子。さ、どうぞお掛けになってください。」
進められるままにソファに座る。緊張で少し喉が渇いたせいか、かすれた声で挨拶をする。
「スタールズ侯爵、今日はお時間を取っていただき感謝します。また、時間より早く来てしまい申し訳ございません。」
「ちょうど前の予定が早く片付いておりました。お時間については気にされず。で、本日はどのようなご用件でしょうか。」
「はい、今日はお願いがあり参上しました。突然の話しなのですが、ご息女を、アメリアを妻に迎えたいと考えております。そのご許可を頂きたいと思います。」
たどたどしく、やっとの思いで侯爵に告げると、侯爵はびっくりした様な表情で応えた。
「そんなことでお越しいただいたのですか、いや、そんなことと言うのもおかしな話ですが、アメリアはオーヴィル王子が承諾して頂けるのであれば、オーヴィル王子のもとに嫁がせたいと願っていましたので。」
「え、私はアメリアの嫁ぎ先は、てっきり兄のルクランと考えられていると思っていたのですが。」
少し、落ち着いた優しい笑みを浮かべながら侯爵はその問いに答えた。
「そうですね、アメリアが幼い頃にはそう考えたこともありました。しかし、あれは体が弱い、結婚の申し出をして下さっている王子にお伝えする話しではありませんが、あれは子供も産めますまい。王妃としての役割を果たすことは叶わないでしょう。
アメリア本人もそれは良くわかっています。私には随分と前から、許されるならオーヴィル王子と結婚したいと申しておりました。しかし、子をもうけられない娘を王家に嫁がせる訳には行きません。ですから、アメリアの結婚は諦めていたのです。
そこにオーヴィル王子がアメリアを妻に迎えたいとお話しを頂き、少しびっくりしてしまい、妙な話し方になってしまいました。お許しください。」
深々と頭を下げる侯爵に、頭を上げるようにお願いし話しを続けた。
「それでは、ご許可いただけるとのことでよろしいでしょうか。この話しは父や兄たちにも報告し、許可は得ております。後は侯爵のご許可さえいただければ。」
侯爵は安心した父親の顔で言った。
「もちろんです。本当であればこちらからお願いにお伺いするところ、本当にありがとうございます。娘を、アメリアをどうかよろしくお願いします。」
そういうと侯爵はまた深々と頭を下げた。
難問と思っていた問題はあっさりと解決した。
成人の儀当日、朝から身支度に忙しかった。普段着なれない正装はとにかく窮屈で、息が詰まる。儀式までまだ時間があるので、一度脱ぎたかったが、1人で奇麗に着なおすには自信がなかったし、ベッドに横になる訳にもいかず、仕方なくいらいらしながら立っていた。
しばらくすると、城内で怒号が響き、衛兵たちの動きが慌ただしくなった。何事かと思ったが、正装を崩す訳にも行かず、部屋の中で落ち着きなくうろうろしていた。そこに、青い顔をしたルクラン兄様が部屋に飛び込んできて、こう言った。
「オーヴィル、落ち着いて聞け、ウィルバーが父上を殺し、キャサリンを人質にして逃げた。成人の儀は中止だ、ウィルバーを追う、着替えてお前も直ぐにこい。」
そういうとルクラン兄様は部屋を飛び出していった。ウィルバー兄様が父上を殺したと、何故、理由はなんだ。ウィルバー兄様はそんなことをする人ではない、何かの間違いだ。そうでないならば、よほどの理由があるに違いない。その理由は問いたださねば、慌てて着替えて、ルクラン兄様を追いかけて王宮を飛び出した。